投稿日:2009年8月17日|カテゴリ:コラム

先週のコラムで、マニフェストには確信的な嘘が書かれているからそんなものを鵜呑みにしてはいけないと書きました。そうしたらそれを読んだ友人から「西川は子供だな。国民はもっと大人だからお前に言われなくたってマニフェストなんて誰も信じていないよ」と言われてしまいました。
確かにそうかもしれません。年配の人たちはこれまで何度も政権公約に裏切られてきて、たとえマニフェストに衣替えしても、それが単なる撒き餌であることを知っています。今回初めて投票する若者世代も、こういった大人たちの政治に対する冷めた態度の中で育ってきたせいか、選挙に多くを期待しているように見受けられません。政治そのものに対して期待がないと言ったほうが正しいかもしれません。
そう言われてみれば、確かに私は20代の若者に比べて子供っぽいかもしれません。私はこの歳になってもまだ、自分たちの努力で自分たちの社会を、そしてこの国のあり方を変えられるのではないかと、一縷の望みを捨てきれないからです。でも子供っぽいと言われてもやはり政治に冷めてしまってはいけないのではないでしょうか。私たちの関心の低さが、本来守られて当然であるべきマニフェストをいい加減にしているのだと思います。

私は診察室で患者さんにしばしば「もう少し大人の対応ができるようになるとよい」と偉そうに喋っています。でも本当は誰よりも自分自身が子供っぽいということを自覚しています。しかも、内心「下手に大人になる必要はない」、「子供の心を失わない方がよい」とさえ思っているのです。
それではなぜ患者さんには「大人になれ」などと言うのかというと、私の所を受診される方はそれまでの生き方によって傷ついている方が多いからです。子供を失わずに生きるということは多大なエネルギーを必要としますし、人間関係で傷つく可能性が高いのです。
ですから周囲との摩擦に耐えられるエネルギーがあると自信を持っている方には、いつまでも子供っぽさを失わないでいてほしいと思いますが、疲れて傷ついた方は自分を身近な日常生活においては、大人の生き方を身につけて無益なエネルギーの消耗を避けることをお勧めしているのです。
そうは言っても、へらへらと斜に構えて、飯を食って息をするだけに一生を送ってはいけません。摩擦を恐れてはいけない場面もあるのです。ただ長生きだけを目標にして日夜健康維持に励んだとしても、自立して生きていられるのはたかだか5,60年です。後進にすべてを託して墓場に行くことは避けられない宿命です。
ですから人生の終盤を迎えた者は、自分のことはさておき次世代の将来に関わる問題から目をそらしてはいけません。責任を持たなければいけません。この社会の将来の舵取りをする政治に関しては、死ぬまで主権者としての責任ある行動を取るべきだと思うのです。いかに年をとっていたとしてもこと政治に関しては日和見の大人の態度に逃げ込んではいけないのです。
それなのに、政治の話になると余計に物知り顔の大人ぶる人が少なくありません。若い人が素朴に感じた疑問や義憤をぶつけても「青臭いこと言ってもだめだよ。世の中はそんなに単純じゃないんだよ」と言ってかわそうとします。ずるい態度です。
我々大人一人一人が、理が理としてまかり通るまっとうな社会を目指して、諸問題と真摯に取り組むべきだと思います。「理解困難なほど複雑だ」ということにして思考停止させてしまうことは、最も聞かれたくない質問をごまかす常套手段ですが、恥ずかしいことです。

悲しいことに、近年は目の前の問題に正面から取り組むことを避ける悪い傾向がより強くなってきたように感じます。真面目に問題と向き合って、不格好に国民のために汗をかくよりも、「聖域なき構造改革」だとか「自民党をぶっ壊す」だとかいった上辺だけ気を衒って、中身が全く伴わない言葉を吐くほうが受けてしまうのです。こんな世の中をいつまでも続けてはいけません。
また、「嘘も方便」だとか「政治家は清濁併せ飲まねばならない」といったことが政治家であるための条件のように言われますが。これも間違っていると思います。「嘘も方便」という言葉は、原則として嘘を吐かないことを前提にして、初めて成り立つ例外です。正攻法だけでは通じないことがある。そういう場合には例外として嘘という手段を使わざるを得ないと言っているのです。
「清濁」の話もそうです。政治家自身は根本的にどこまでも「清」でなければなりません。その上で例外的に世の中の「濁」の部分を理解できる奥深さも必要だと言っているのです。
ところが今の政治家はどうでしょう。本来例外である部分の方が強調されて、基本的に嘘吐きで、濁った水の中を泳ぎ渡る能力だけに長けています。また、政治の世界とはそうしたものだと誤って信じているようにも見受けられます。麻生さんがこの勘違いの象徴です。べらんめえ口調で大人を気取り、漫画やモデルの名前を知っていることでいかにも庶民や若者の心に精通しているかのようにはったりをかましています。しかし、そんな見せかけの器量やはったりは国家、国民の指導者たる者に求められる本質ではありません。
坂本竜馬が、高杉晋作が嘘やはったりだけで人を動かしたでしょうか。そうではありません。真に人民の琴線に触れ、世の中を動かす力は、心から民と国を思い、その目的に向けて「真」を貫き通す実直さです。

今回立候補している諸氏は、ひたすら愚直に「赤心奉国」の姿勢を貫いて、政治家のあるべき姿を忘れないでいただきたい。当然、私たち国民も上辺の格好良さとか威勢のよさにごまかせることなく、「本物」を見抜く眼力を養わなければなりません。政治家は私たち国民の鏡なのですから。

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