投稿日:2009年8月10日|カテゴリ:コラム

まだ公示日前だというのに巷は総選挙モード満開です。政権与党なので真っ先に公約発表して然るべき自民党ですが、最後の最後に後出しじゃんけんでいいとこ取りのマニフェストを発表しました。見苦しい限りですが、そんな些末なことはさておいて、何はともかく各党のマニフェストが出揃って政策論議となったわけです。
詳しく各党のマニフェストの内容を検討したわけではありませんが、相も変わらず玉虫色の理念や涎が出そうな甘言が羅列されているようです。
さてマニフェストというカタカナ言葉が我が国の政治の舞台に登場したのは2003年のことでした。当時の岩手県知事、北川正恭氏がイギリスで行われていたこのやり方を取り入れるよう提案して、岩手県、神奈川県知事選挙に導入されたのが始まりです。国政選挙としても2003年の総選挙から実施されました。
それまで選挙に際して候補者が国民に対して当選した暁に果たすとする約束は「選挙公約」と呼ばれていました。今でもマニフェストの日本語訳は「政権公約」であって、何のことはない、本質的には我が国お得意の言葉の置き換えにすぎません。
ですが敢えてこのカタカナ言葉に置き換えた目的は、それまでの選挙公約のように漠然とした政治理念だけではなく具体的な施策とそれに関する数値目標、期限、工程を明記して、事後評価・検証を可能にすることでした。この目的がしっかりと叶えられるならば我が国の民主選挙が少しはレベルアップしたはずです。
その後、選挙のたびに立派なマニフェスト集が作られてきましたが、意に反して政治のレベルはますます低下してきたように思います。なぜなのでしょう。
具体的な施策とそれに対する具体的方法を列挙するという、形式だけは整えていても、政治家にその約束を必死に守ろうという姿勢がないからです。以前の公約では、どうとでもとれる曖昧な理想だけぶち上げていましたが、マニフェスト選挙になってからは平気で嘘を吐くようになりました。政治により真剣に取り組む努力をするのではなく、面の皮を厚くするトレーニングに励んできたようです。
小泉などは「赤字国債は増やさぬ」と言っておきながら、いざとなったら国民に詫びることもなく国債を増刷して「こんな約束違反はたいしたことではない」と言い切りました。盗人猛々しいとはこのことです。でも、上っ面だけの格好良さを追いかけて、本物を見抜く力のない国民は、涙を流してこの盗人に喝采を送ったのですから、何をかいわんやです。
無論、神でない限り将来のことを確約できるはずはありません。状況によってマニフェストで約束したことが実行できなくても仕方がないでしょう。だからと言って、目先の票を得るために、初めから実現するつもりのない美味しい言葉を並べたてる行為がすんなりと許されてしまってよい筈がありません。べたべた所狭しと張られる内股膏薬のごときマニフェストは国民が馬鹿にされている証にほかならないのです。

我が国のマニフェスト選挙を形だけのものにしている何よりの元凶は事後の評価・検証がなされないことだと思います。今回も国民の物忘れの良さに付け込んで4年前の郵政民営化選挙時のマニフェストの結果がどうなったかを全く検証していません。
郵政民営化がなされた今、本当に構造改革がなされて、社会が安定し、国民の生活が豊かになり、我が国に活力ある社会が戻ってきたのでしょうか。「舌の化け物」竹中は「道半ばで改革が充分になされていないからだ」とか「不測のアメリカ発金融危機があったからだ」などと臆面もない言い訳で事足れりとしています。
しかし、マニフェストは4年間の工程を具体的に示していたはずですし、金融危機自体が小泉、竹中の目指した市場最優先の新自由主義経済が行き着く当然の帰結です。その重要な点についての明確な総括はありません。
金融危機を境に、その主張を180度転換させた変節漢の有識者たちもいかがなものかと思いますが、まったく責任を取らず、反省の弁もない竹中を未だにのさばらせているマスコミの無責任さにも呆れます。
投票日までまだ時間があります。今回のマニフェストにごまかされないために是非とも4年前のマニフェストを引っ張り出して、そこに書いてある約束に政治家たちがどう取り組んで、どのように実行したか点検してみようではありませんか。公約に嘘がまかり通るならばどんなに立派な体裁を繕っても、蒔絵の重箱に牛の糞盛るです。
マスコミも口先だけの各党スポークスマンの雁首を並べて、時間潰しの議論ばかりさせていないで、4年前のマニフェストの客観的検証に当ててほしいものです。

マニフェストでは具体的な施策が列挙されるようになった代わりに、この国の将来の道筋を示す大局的なビジョンが語られなくなりました。短期、中期的な目標はその先に目指すべき遠い目標が定められて、初めて示せるはずです。
私の内股はもう膏薬でいっぱいです。徳川家康のような人物までは期待しませんが、国民に国家百年の計と、その目標に向けて私たちがどのような心構えで立ち向かうべきかを示してくれる真の政治家の出現が望まれます。

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