レセプトコンピュータにトラブル発生。さあどうしよう。使用説明書をひっぱりだしてきても、どこを読めば良いのかさえ分からない。そもそもトラブルの原因がソフトにあるのかハードにあるのかさえ不明。
こういう場合はレセプトコンピュータを納入した会社のサービス係に電話して、症状を報告し、電話を通じて指示されるままに操作をします。何をやっているのか分からなくても、言われるがままに操作すればたいていの場合、トラブルは解決します。皆様の多くもそうされるのではないでしょうか。担当者に原因を説明させて自分で対処法を考えるなどという能力と勇気をお持ちの方はそう多くはないと思います。
レストランでワインを注文する際はどうでしょう。部厚いワインリストを眺めて、注文した料理にぴったりのワインを選択できる人はそう滅多にいないのではないでしょうか。私はソムリエかお店の責任者に自分の好みと予算を伝えて選んでもらいます。
本格的にコンピュータに関する勉学をしたことのある人や、家の購入を犠牲にしてワイン三昧の人生を選択した人ならばいざ知らず、中途半端な知識だけでコンピュータを修理したりワインを選んだりしたら、コンピュータに致命的なダメージを与えたり、大枚叩いたせっかくの料理を台無しにしてしまう危険性大です。
以前のコラムで医療者の知ったかぶりに対する警告を書きましたが、医療の現場では中途半端な物知り患者さんと、知る権利の行き過ぎにも困っています。
つい最近、ある患者さんから「先生栄養剤ください」と言われて困ってしまいました。40代半ばの女性で、食欲が多少落ちているとのことですが、体重が減っているわけでもなく、血色もよく、総入れ歯でもなく、嚥下障害もなく、なんでも自分の歯で噛んで食べることができます。
なぜ栄養剤とやらを欲しがるのかが分かりませんが、それ以前に、彼女が「栄養」という言葉の意味をどのように解釈しているのかが謎でした。
「あなたの言う栄養とは一体どのようなものを言っているのですか」と尋ねてみました。
予想通り、彼女は栄養の意味を理解していませんでした。頭の中に「栄養」という言葉だけが他の概念と全く関連性なくプカプカと浮かんでいるだけなのです。
しかし、栄養剤という言葉を正しく理解しないで使ってしまったことについて彼女の不勉強だけを責めることはできません。単にブドウ糖液にビタミン剤を混ぜただけの代物を「栄養剤」だとか「にんにく注射」だとか称して注射して金儲けしている医師の責任も大です。
その時はちょうど待合室に患者さんがいなかったので、炭水化物、タンパク質、脂肪が三大栄養素であること、タンパク質を構成するアミノ酸には必須アミノ酸と必須ではないアミノ酸があること、ミネラルやビタミンも生命の維持に大切なものであるがあくまで脇役であるし、通常の食事をとっていれば概ね必要な物質を採ることができることについて講義をしました。その上で、「今のあなたは必要な栄養素は十分に足りています。ことさらに注射や飲み薬の形で補給する必要はありません。それに、きちんと3食の食事から採る栄養に勝るものはないのですよ。」と説明しました。その方は何とか納得して帰っていったようです。
ところが、次の日にはもっと困った方がいらっしゃいました。
「娘がうつ病になったので、ちょっと軽めの抗うつ薬を出してほしいんです。」
「うつ病という診断を受けたのであれば、診断してもらった先生からお薬をもらったほうが良いのではないですか。」
「病院へは行かないんですよ。だから私がこうして薬をもらいに来ているんです。」
「御本人を診察してみないとうつ病かどうか分かりませんから、診察もしないでお薬を出すわけにはいきません。」
「うつ病なんです!だから家族はこまっているんです!」
「あなたは精神科医なんですか?!どうして娘さんがうつ病だと分かるのですか?」
「死にたいなんて言うし、テレビでやっていたのと同じなんですからうつ病なんですよ。」
「ところで、ちょっと軽い抗うつ薬って、何のことを言っているのですか?テレビで軽めの抗うつ薬なんて言ってましたか?」
「テレビでは名前まで言ってません。だから、ここに来ているんでしょ!サプリメントをたくさん飲ませたんですが全然よくならないから、副作用を覚悟で薬をもらいに来ているんです。困っているんですよ!」
「薬はいろいろな性質があるので一概に軽いとか重いとかいうことはできません。ともかくお嬢さんをお連れ下さい。診察してみないとうつ病かどうかもわからないし、うつ病だとしてもどういう薬が適当か判断できません。」
「そんな難しいことはどうでもいいんです!娘は病院が嫌いなんです。私は娘のことですごく困っているんですから、とりあえず抗うつ薬を出してくださいとお願いしているんです。どうして聞いてもらえないんですか!抗うつ薬がダメならば取りあえず安定剤かなんか出してください。困っているんです!」
この時点で、この人とはこれ以上話をしても通じることは困難と悟りました。養老猛先生の例の本です。
結局、「診察しないで薬を出す行為は法律で禁じられている」という建前論でお引き取り願いました。きっと彼女は私のことを、上から目線で患者の立場に立ってくれない、権威的で不親切な医者だと憤慨していると思います。
言葉が通じ合わなくて困るのは何もこの2つのケースに限ったことではありません。診療の現場では日常茶飯事のできごとです。その原因には、表面的な知識だけは安直に手に入る時代だということがあります。その結果、その言葉の本来の意味を理解せずに言葉だけが独り歩きしてしまうのです。「更年期」、「自律神経」、「体調」と言った言葉が患者さんの口から発せられた時には、いったいこの人はその用語をどういう理解の上で使っているのだろうと考えざるを得ません。
もう一つの原因はテレビのワイドショーなどで、なんでもパネルに図示して、一言で断定的に説明する手法が多用されすぎていることが挙げられます。どんなことでも「要するに」「一言でいえば」「みたいなもんです」と簡単に説明できるものと思い込んでしまうのです。
こういったやり方による弊害の良い例が「うつ」です。精神障害に対する偏見をなくすために使われた「うつ病は心の風邪みたいなもんです」というたとえが独り歩きしてしまい、今ではうつ病でない人が「うつ」と称して巷に溢れてしまいました。
最後に、「知る権利」、「知らせる義務」という説明責任とやらが行き過ぎていることも空虚な用語の使用実態に拍車をかけています。全く基礎知識のない物事でも、なんでも知って当たり前、自分が分からないのは自分が不勉強なのではなく、相手の説明が足りないのであるという嫌な風潮が蔓延しています。
私のようにコンピュータに関する基礎知識を持たない人間が、数分の講義で、長年IT畑で仕事をしてきた人と同じ程度の理解をできるはずがありません。
聞きかじりのボルドーとブルゴーニュの有名ブランドしか知らない私が、そんな簡単に料理とのマッチングを判断できるのならば、ソムリエになるために何年も費やして海外で修行する必要なんかありません。
説明書通りに組み立てれば一軒の家を建てることができるのならば、厳しい徒弟時代を経て大工になろうという人が出てくるはずがありません。
私たち医師は他の分野については無知で非常識かもしれませんが、医学に関してだけは最低6年間は勉強してきました。その基礎知識を元にさらに何年もの勉学と経験を経て診療に当たっています。医学に関して簡単に説明できることもありますが、6年間勉強して初めて理解できる事柄も少なくないのです。それを「要するにどうなんだ?」と言われても全く基礎知識のない方に正確に理解していただくことはできないのです。
私のクリニックはどういう訳か医療関係者の患者さんが多いのです。同業者の診療はやりにくいという医師もいますが、私にとっては同業者や生物科学に通じた方の診療はとても楽です。
なぜならば言葉が通じるからです。共通の言語で話ができますから、お互いに納得できるのです。全く医療を知らない人に同程度の理解を要求されても無理と言うものです。その場合どうするかと言うと、細かい部分を省略したり、例外を無視した方便を使うしかありません。
方便はどんなに上手でもしょせん方便であり、真実とは異なります。方便で分かったつもりになっていただくと、かえって後々のトラブルの元となりかねません。
どんな分野でも一朝一夕で「本物」を知ることはできません。長い時間をかけた修練を必要とします。その努力があって始めて職人や専門家が生まれるのです。
また、オールラウンドに精通している人はめったにいません。自分の得意とすること以外はその道の専門家に任せればよいのです。
長年我が国では、職人が尊敬されてきました。ところが近年、情報の氾濫と「要するに」、「一言でいえば」、「みたいなもん」文化が横行した結果、誰もが「分かったつもり」に陥ってしまっていると思います。それに反比例して職人に対する尊敬の念が失われてきました。誇り高き職人が生きづらい世の中になり、
あらゆる分野で技術の継承が困難になっています。
ちょっと余談ですが、小泉のワンキャッチコピーに騙されたのも「要するに」、「一言でいえば」、「みたいなもん」文化のせいです。難しい物事は言葉を尽くしても説明しきれません。ましてや絶対に一言なんかで言えないのです。
論語に「知らざるを知らざると為せ、是知るなり」とあります。まずは「知る」、「できる」と言うことがそれほど生半可なことでは達成されないことを知るべきです。そしてなんでも「自分が、自分が」と主張するばかりではなく、少しは相手に任せるという態度に立ち戻ってみてはいかがでしょうか。