投稿日:2009年6月22日|カテゴリ:コラム

「畏れいりやの鬼子母神」という遊び言葉で知られる台東区入谷、真源寺の鬼子母神堂は夜叉の女神の一尊であるハーリティーを祀っています。子供と安産の守り神とされている鬼子母神は、東京では入谷の真源寺のほか雑司が谷の法明寺鬼子母神堂も有名です。
安産を願う妊婦さんや子供の健やかな成長を祈る若い御夫婦のお参りが後を絶ちません。仏教発祥の地インドでもハーリティーは子授け、安産、子育ての神として手厚く祀られているそうです。我が子の無事な成長を願う親の気持ちは世の東西を超えて変わりがないことがよく分かります。

さて先日、臓器移植法改正案が衆議院を通過しました。この後、参議院で可決されれば、平成11年以来10年ぶりの改正となります。今回衆議院を通過した案の大きな改正点は、年齢を問わず、脳死を一律に人の死と定義すること。また、本人の書面による意思表示を義務とせずに家族の同意のみで臓器提供ができるようになるということです。
我が国の現行臓器移植法は先進諸外国に比べて脳死判定による臓器提供に関する制約が厳しいので、施行当初から国内における移植が増えないことが予想されていました。
このため、法律施行後の国内移植医療の成果を検証して、3年後を目途に見直すことになっていました。案の定、国内での臓器移植件数は遅遅として伸びず、多くの患者さんが移植手術を受けるために海外、とくにアメリカに渡航する状況が続いていました。
アメリカにおいても湯水のように提供臓器があるわけではありません。アメリカにおいても多くの人が臓器提供を待っているのが現状です。優先すべきは自国民ですから、金にあかせて臓器を買い漁る日本人は歓迎されません。そこでアメリカでも外国人には5%以内という臓器配分の枠をはめました。それでも、他国に比べて金持ちですから、5%枠のほとんどを日本人が占めてしまっています。
豊かな国における移植医療の範囲が拡大の一途であるために、移植のための臓器は慢性的に不足しています。需要に応えるために正規のルートから入手できる臓器だけではなく、違法な方法で入手した臓器が闇のルートで売買されています。
非正規なルートから入手した提供臓器の中には、一族郎党の生存の代償として、第三世界の貧困者、中でも子供たちの身体から生きながらに抜かれた臓器も少なくないのです。当然ながら、金持ちである日本人がこういった闇のルートによる臓器売買の上得意であることは言うまでもありません。日本人の需要が増えたために臓器の闇値もどんどんつり上がっています。日本人の移植ツアーが世界の臓器不正売買ビジネスに一役買っているのです。
スポーツ選手などが、移植治療を希望する子供のために募金を呼びかけるということが美談として報道されることがあります。確かに、発起人たちの募金の動機は、いたいけない幼児の命を救おうという、目の前にある不幸を見過ごせない純粋な博愛の心にほかならないのだと信じています。しかし、尊い一人の命が救われる背景に、同じ一人の人間の無念の死があるかもしれません。移植医療に纏わる影の部分にも目を向けなければなりません。
WHOもこの事態を看過することができず、海外渡航移植の原則禁止と臓器の自国内提供を定めるガイドラインを本年5月に策定することにしました(実際には予期しなかった新型インフルエンザの流行によって来年に延期)。このために、法の改正は焦眉の急であったのです。それにも関わらず、人の死に関わる哲学的な判断をも要求されるデリケートな法律であることと、もともと議員立法で成立した法という理由で行政が改正議論から距離を置いたために10年も店晒しにされてきました。
臓器移植以外に我が子の延命が図れない両親にとっては首を長くして待ち望んでいた法改正です。本来ならベッドから動けないような病状の我が子を遠い外国に行かせなくても済むようになります。また、5%の狭き門をクリアーするために必要な何十億円という補償金や、渡航費用も必要でなくなります。朗報と言えます。
原則自国内での臓器提供となれば、日本人の子供を延命するために貧困国の子供たちが生きながらに臓器を抜かれて売買される地獄絵図も改善されるでしょう。
しかし、移植を望むすべての患者さんの需要を満たすだけの臓器が今の日本で入手できるとは到底考えられません。さらに、いったん商売として成立した臓器不正売買がそうたやすく根絶されるとも思いません。
今まではアメリカや中国に送られていた臓器が、巧妙な手段で日本国内に持ち込まれる危険性があります。また、そうでなくても児童虐待が後を絶たない昨今、虐待を隠ぺいする目的や金を得るために、子供の臓器を売る親が出てくることはほぼ間違いないと思います。
脳死を死と考えるか否かという重要課題ももっと時間をかけて検討するべきですが、自然の摂理に反して、他人の臓器を頂いてでも己や我が子の命を長らえさせたいという、生きることへの欲求はいったいどこまで許されるのかという疑問にはこれまで表立った議論がなされてきませんでした。
なぜならば、人の命は地球より重いという美しい大義名分を前にした時、生半可な勇気では異を唱えることができないからです。しかしながら、この課題については絶対にきれいごとでお茶を濁してはいけません。全国民が本音で議論しなければなりません。少なくとも参議院では、票勘定抜きに、実りある議論がなされることを切望します。

ハーリティーは仏に帰依する以前は己の子供を愛するあまり、他人の子供を喰らっていた鬼でした。釈迦の導きで、他人の不幸の上に自分の幸福がないことを悟って慈愛の神、鬼子母神となりました。彼女が果たしてどのような思いで今回の法改正を見つめているか、大変興味深いところです。

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