投稿日:2009年6月8日|カテゴリ:コラム

徐々に進行してきたのでしょうが、最近自分の記憶力が確実に悪くなっていることを自覚します。新しいカタカナ用語や略語(CDS*1とかPPIP*2とか)をなかなか覚えられません。自分の専門でない経済用語なんか覚えられなくても当たり前と自分を慰めてはみるのですが、専門分野の医学用語でさえも例外ではないのですから言い訳はできません。
「ARB*3」と言われて「なるほど。アンギオテンシン受容体阻害薬だからアンギオテンシンンのA、receptorのR、blockerのBなんだ。」といったんは覚えたつもりになるのですが、しばらく経つと「アンギオテンシンのA、receptorのR、inhibitorのIだからARIかな?」という調子です。自信をもって覚えたと言えるには数週間を要してしまいます。
専門の精神医学の領域でさえ言葉を覚えるのに苦労します。例えば、今や講演のタイトルにまで使われる「アドヒアランス」も覚えるのに一苦労しました。患者さんが主体的に治療を続けていくという意味だったということは思い出せるし、たしか「ア」から始まったなというところまでは出てくるのですが、その後が出てこないのです。ただ、研究会などで皆さんが口を揃えて「今までの患者さんに治療者の方針を順守させるコンプライアンスではなく、これからはアドヒアランスです」などと使うのに、メモを取らなかったためにすぐには覚えられませんでした。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。とある研究会に参加した直後、勇気をもってその研究会で顔を見かけた知り合いの医師に尋ねました。「今まで使われていたコンプライアンスに代わって流行りだした概念で、アで始まるやつってなんでしたっけ?」。
それから何度も復唱して頭に叩き込みました。言わんとする内容はとりたてて声高に連呼するほどのことではないのですが、すっと言葉が出てこないと、若手の精神科医や製薬会社のMRさんたちに馬鹿にされそうですし、患者さんからの信頼をなくしてしまうので必死にならざるを得ません。
こんな調子ですから、雨後の筍のように登場するタレントやお笑い芸人の名前なんか、まったく覚える間もなく当人たちが消えていってしまいます。それでも伊東美咲の名前はデビューするや否やしっかりと覚えましたから、自分の情動や本能を強く刺激する対象についての記銘力は衰えていないようです。
ということは物を覚え込むという記銘機能の潜在能力そのものは保たれているわけですから、美咲ちゃん以外の人物名、医学用語、政治経済用語をすんなりと覚えられない原因は記銘力そのものにあるのではなく、美咲ちゃん以外のことを覚えることを脳がサボタージュしているに違いありません。
他の脳機能と同様に、記憶も他の諸機能と相互に深く連携しています。ですから、できるだけ多くの機能が関連した記憶ほど覚えやすく忘れにくいのです。中でも本能や情動と結びついた事象は強く深く記憶されます。
こう考えると加齢とともに記憶力が悪くなるというのは単純に記憶機能そのものが低下しているのではなく、本能や情動の感受性が低下していることも関係しているのではないでしょうか。言葉を変えれば、年を取るとだんだん興味や関心が狭く、弱くなるために、いくら覚えなさいと命令されても記銘機能がさぼってしまうのでしょう。
専門の学術用語に関して言えば、本当に画期的で目から鱗のような発見ならば、今の私でも一回聞いただけで覚えると思います。否が応でも忘れられないと思います。アドヒアランスを覚えるのに苦労したのは、内容を聴いて、「臨床に携わっていれば言わずもがなの当たり前のことを、ことさら奇を衒って横文字の名前を持ち出しているだけじゃないか。ばかばかしい。」という思いが心の底にあったために、無意識のうちに記銘することを拒否していたのかもしれません。
人間は加齢とともに経験が増えます。そうすると何か新しい出来事に遭遇しても、「ああこれは以前に経験したあの例とほとんど同じことだ」と言うように、過去に体験し記憶している出来事に当てはめて類型化して対応しがちです。このやり方は効率が良くて失敗が少ないのですが、好奇心を惹起しませんから目の前のことを新たに記憶しようというモチベーションが上がりません。結果として新しいことを覚えなくなります。
ですから、記銘力の低下を防止したいならば過去の記憶に頼って無難に生きるではなく、当たり前と思うことにも疑いを持ち、今まで関心を持たなかったことにも目を向けて、ドキドキハラハラしながら好奇心旺盛に、ちょっとあぶなっかしい生活をするほうがいいのかもしれません。

今までの話は物を覚え込む記銘という機能の話でした。ところが、記憶という機能は記銘だけではなく、覚え込んだ記憶を整理して貯蔵し、必要な時に収納してある棚から取り出して使えなければなりません。
アルツハイマー病のように重篤に脳が障害されてしまうと記憶を収納している倉庫もやられてしまうので、完璧に記憶が消し飛んでしまいます。コンピュータのハードディスク自体が破損してしまうようなことです。しかし、普通に年をとっていくだけではこういう事態にはなりませんから、あまり過剰に物忘れを心配することはありません。
ところが、いざ必要となって記憶の倉庫から取り出してこようと思ってもなかなかそれを見つけることができないという状態はどんな人でも年をとってくると避けることができません。これは記憶の再生障害と言って、倉庫にしまってあることは確実であるにも関わらず、どの棚に分類してあるかが即断できなかったり、その棚を開けるための鍵を見失ってしまう状態で、若い時にも起きますが加齢とともに確実に増加します。
再生障害と言うと難しそうですが、平たく言えば「ど忘れ」です。喉のあたりまで思い出しているのに言葉になって出てこないというやつです。記憶自体が失われているわけではありませんから、元いた部屋に戻ってみるなど、状況を変えたり、他の作業をやるとかしているうちに、ふっと思い出すのが常です。
銀婚式を過ぎた夫婦を見ていると、「おい、あれだけどさ。なんとかうまくいったよ。」、「あらそう。良かったね。私の方もあの人にちゃんと言っておいたから。」なんて、「あれ」だとか「あの」だとか、代名詞ばかりの会話をしていることが少なくありません。この現象は二人揃って、若い時に比べて記憶の再生機能が低下しているから起こるのです。しかし、言葉として表現しなくても意思伝達ができるのですから、コミュニケーションが効率化されたと考えられなくもありません。しゃべらずとも通じ合えるのならばそれはそれで日常生活には困りません。
ただ、このテレパシーのような意思伝達は、何十年に亘って生活を共にして同じ体験を共有し合ってきた二人だからこそできる技です。この調子で二人だけの社会での効率よく無難な生活だけを続けていますと、再生機能が本当に錆び付いてしまいます。そうなってしまうと、いざ家庭外の社会であかの他人とコミュニケーションをとろうとしてもできなくなってしまいます。
ですから、お互いの記憶力保持のためには、いくら以心伝心の仲良し夫婦と言えども、いやそうだったらなおさら、代名詞だけで済ませられるような定常的で退屈な生活だけでなく、若い日を思い出してハラハラドキドキするような、未知の状況や体験に二人してチャレンジすることをお勧めします。新しい状況ではお互いに一生懸命言葉を使わなければならないからです。そういう努力をすると、いつの間にかどこかに置き忘れた大切な鍵が出てきて二人の仲が一層輝くものになると思います。その鍵とは「愛してる」という言葉がしまわれている棚の鍵です。

さて、先ほどから記銘力の低下だとか再生機能の低下だとか、加齢に伴う記憶機能の変化を、一般的説明に倣って、マイナス方向の表現だけで説明してきましたが、別の見方をすることもできます。それは記銘や再生機能の低下は年とともに記憶量が増えるために、二次的に情報を新たに取り入れたり、倉庫から取り出してくるのに手間がかかるようになっているために起こるという考えです。
お釈迦様や聖徳太子以外の並みの人間は、現実に処理することができる情報量には限界があります。コンピュータに例えれば一時記憶装置が有限であるということに相当します。ですから新たな情報を記憶しようとすると、今までこの領域に貯蔵されていた情報の一部を永久記憶装置(ハードディスク)の方に移して空きを作らなければなりません。けれども、一時記憶装置にある情報は瞬時に活用できますが、いったんハードディスクに貯蔵してしまった情報は取り出す際に手間がかかります。こう考えると、年とともに覚えにくくなったり、ど忘れが多くなることを説明することができます。
実際に我々の脳がこれまでに味わった体験をすべて生々しい感情を伴った近時的な記憶として蓄積し続けたならば、私たちはパニックを起こして、まともに生きていけないでしょう。なぜならば、「命長ければ恥多し」とはよく言ったもので、人生を長くやっていきますと誰も人に言えないような、また口に出したくないような嫌な出来事や恥ずかしい体験を数多くするものです。その一つ一つを何時までも新鮮に覚えていたら苦しくて生きていけないからです。私なぞはとっくに何回も自殺していたでしょう。
こういった事態を避ける自己防衛の目的で、脳は積極的に忘れる、「忘却」という機能を備えているのです。もちろんこの忘却機能が働いても、そういう事実があったことまでを消し去るわけではありません。マイナスの感情などをできる限り削ぎ落して、単なる事実という形にして永久記憶倉庫の片隅に密封するのです。
ちなみに政治屋になるための資質の一つは、この忘却機能が優れていることだと思います。彼らの記憶装置では、都合が悪く密閉された秘密の棚の鍵は完全封印されるか、棚自体が消去されるようです。
閑話休題、何も嫌な事項だけを奥まった倉庫に移すだけでは現代の雪崩のように流入してくる情報を処理できません。したがって普段使わない事項はさっさと奥の倉庫へと圧縮されて保存されます。空きを作らないと新しい情報を取り込めないことはすでに説明しました。確かに、新しいことを覚える能力の優れた人は、さほど重要でない事項についていつまでも生々しい記憶を持っていません。

五島勉さんという人を覚えていらっしゃいますか。「ノストラダムスの大予言」という本で大儲けをした人です。ノストラダムスの予言通りならば、今の地球は私がのんびりコラムなんか書いている状態ではありません。
先日再審査請求が認められて、17年ぶりに無期懲役刑での収監から解放された小菅さんのことが話題になっていますが、一部の関係者を除いて、あの事件をしっかりと記憶していた方は少ないのではないでしょうか。
選挙の際のマニフェストの幾つが実行されて幾つが反故にされたか分かっている方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
このように、個人だけではなく社会としての記憶にも忘却という機能が働いているのです。もし社会記憶に忘却機能がなければ五島勉さん、細木数子さんをはじめ、占い師と称する人種は、予言が当たらなかった責任を問われて、とっくに惨殺されています。政治屋もそうです。国民がしっかりとマニフェストを覚えているという前提ならば、あれほど舌先三寸の公約などできる筈がありません。
みな、国民が物忘れであるということを前提に行動しているから成り立っているのです。この物忘れも、現実社会で次々と勃発する新しい事態に対応するために致しかたないことなのかもしれません。そして情報量が加速度的に増加する現在、社会の記憶の忘却のスピードも驚くほど速まっています。しかし、社会の記憶はあまりに早く永久倉庫に封印されてしまっては困ります。時々倉庫から引っ張り出して生々しい感情を呼び戻す必要があるのではないでしょうか。そうしなければ私たち社会はいつまでたっても過去の経験に学ぶことがありません。
戦争、政治、重大事件などの重要事項は是非とも、取るに足らない新しい情報を犠牲にして、生々しい一時記憶の場に止めておいてほしいものです。
私の身近な問題としては新型インフルエンザがあります。一時は過剰反応していたのに、今やほとんど話題にも上りません。しかし、本当に皆が注意を払わなければいけないのは実はこれからなのです。
世界中に広まって、最早常在ウイルスに近い存在になり下がった豚由来インフルエンザですが、気をつけなければいけないのは、今のところ猫を被っている彼等がいつ虎に変身するかもしれないからです。
ウイルスは増殖を繰り返すごとに変身していきます。弱毒と言われているこのインフルエンザがある日突然強毒化する可能性は十分にあるのです。ですからこそ、私は以前のコラムで「早いうちにかかってしまえ」と提唱したのです。

物忘れは良い側面と悪い側面があります。新しい情報を取り入れたり、心や社会の安全を保つためには物忘れをしなければなりません。しかし、一朝事ある時には即座に記憶が蘇らなければ正しい状況判断ができません。
とても難しいことなのですが、個人も社会も上手に物忘れしなければいけません。

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*1:CDS:credit default swap(企業倒産担保証券)の略。
*2:PPIP:public-private investment program(官民投資プログラム)の略。
*3:ARB:腎臓に存在するアンギオテンシンという血圧を上昇させる生理活性物質を抑制することによって血圧を下げる薬物の総称。

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