投稿日:2009年6月1日|カテゴリ:コラム

砂漠に聳え立つ地上800mの摩天楼。海には世界地図を模した人工島。灼熱の砂地に人工スキー場やゴルフ場。世界金融危機勃発以前のドバイは世界中から資本と労働力が集まりお伽噺の実現かと思われていました。
広告塔としてセレブと称される人々がドバイでのバカンスの素晴らしさを謳い、日本でもそれに乗せられ、見栄、小金その上暇を持て余しているお馬鹿さんたちがこぞってドバイを目指しました。
私はもともとそんな所へ行くほど金も暇もありませんが、もしあったとしても、行ってみたいなどとさらさら思いませんでした。ドバイの気違いじみた光景を見るたびに旧約聖書、「創世記」に登場するバベルの塔を連想し、吐き気すら覚えたほどです。
ドバイは中東の中では原油産出量が極めて少ない国です。したがって、石油に依存しない経済システムを模索した結果、巨大な人工都市を作り上げて観光での立国を目指しました。
石油に過度に依存した経済からの脱却を努力すること自体は理解できないことはないのですが、結果としてアメリカを中心とした金の亡者たちのマネーゲームの場になってしまいました。できあがるであろう建造物を担保にさらなる投資。金が金を生む巨大ネズミ講のからくりで膨れ上がる虚構の富。ドバイは正に歪んだ新資本主義経済の象徴と言えます。
ですからリーマンショックに端を発した金融破壊でドバイの建設ラッシュにも急ブレーキがかかりました。無責任な資本家が蜘蛛の子を散らすようにドバイから逃げ去ったのです。
経済誌を読むと金融危機も底から抜け出して、ドバイに再び資本が戻ってきているとのことですが、長い目で見た場合にあの砂上の楼閣が長く栄華を誇れるはずがありません。
先ほどバベルの塔を引き合いに出しましたが、私はユダヤ教徒でもキリスト教とでもありません。したがって神の怒りの雷によってドバイが滅ばされるなどとは思っていません。このような人間の企てが成功しないのは、自分自身がその一部分であることを忘れて、自然に挑戦し、自然をねじ伏せようとしても無理だからです。
現代の一部文明国の住民は自分たちが、脳が異常に発達しただけの猿であることを忘れて、思い上がった振る舞いをしています。自分たちも地球や宇宙という大きな自然のシステムの中の砂粒よりも小さな一部分であるにも関わらず、自我だけが肥大してしまいました。その結果目先の快楽や利益を追求するために自然を破壊し続けています。自然を破壊するということが自分自身を破壊することであるということに気付いていません。

私のクリニックは近くにある警備業に関係した人材派遣会社の健康診断を請け負っています。警備業務に携わるためには種々薬物の依存者でないことと、重大な精神障害者でないことを証明しなければならないからです。
この会社でアルバイトをする若者を毎日何人も面接します。会社の方ですでに一定の選別をしていますから、問題のある方はまずいらっしゃいません。しかし、この面接を通して、現在の都市生活者がいかに不健康な生活をしているか、また、自分が不健康な生活をしていることを自覚していないかを知って愕然とします。
「これまで睡眠障害で困ったことはありませんか?」と尋ねると90%以上の人が「ありません」と自信深げに答えます。続いて「それではだいたい何時くらいにベッドに入りますか?」と尋ねると、これまた自信満々に「2時くらいです」と返ってきます。
睡眠というものは眠っている時間だけではなく、眠る時間帯も重要です。本来は10時くらいには就寝したほうが良いのですが、地方で農業や漁業に従事している方と違って都市で生活している人は10時に寝るという生活はなかなか困難だと思います。しかし医学的に考えると100歩譲っても0時までに床に就かなければなりません。つまり今日中に寝るということが大切です。
脳はきわめていい加減な臓器ですからいくらでも夜更かしできるかのように錯覚しますが、ホルモンをはじめその他の身体のシステムは0時以降眠る生活には対応していません。ですから遅寝遅起きを続けていると様々な精神障害やメタボリックシンドロームと呼ばれる現代病に陥る危険性大です。
我々がエネルギーを大量に消費して深夜遅くまで動き回る異常な生活をするようになったのはたかだかここ数十年ですが、生また時からこのような生活を続けてきた若者にとってはこのクレイジーなライフスタイルが当たり前の生活なのです。
なお、今ここに書いたことは昨年のコラムでも説明しました。
私はこういった若者に、人間がなぜ昼間活動して、夜になったらさっさと寝なければいけないかを解説します。その際、ヒトが昼行性動物であることから説明を始めるのですが、まず「あなたは夜目がききますか?」と尋ねることにしています。
たいていはその段階で私の言わんとするところを気付くのですが、中にはここでも力強く「僕は夜でもよく見えます。」と答える人がいます。その何の疑問も持たないあっけらかんとした顔を見ていると慄然とするものがあります。街灯やネオンで照らし出された夜景に慣れっこになっていて、夜が暗いということも知らないのです。
この数十年で不夜城のごとき異様なライフスタイルが定着したと言いましたが、こういう生活をしているのは文明国の都市生活者だけです。今現在でも地球規模で考えれば太陽の光を中心に自然に逆らわない生活をしている地域が殆どです。一部の人間だけが富とエネルギーを収奪して自然を作り変えて不健康な生活をしています。
かく言う私も東京生まれの東京育ちであり、生まれてこのかた偉そうに講釈を垂れるほど健康な生活をしてきたわけではありません。私自身、いったん文明を手に入れた者が急に原始の生活に戻れと言われたって、そう簡単にできないことを痛感しています。
ですから、今すぐ電気を使わないで農業をしろと言っているのではありません。まずは現在の自分たちが当たり前と思っているライフスタイルが実は正常ではないことを自覚してほしいのです。時々で良いから自分が洋服を着た猿であることを思い出してください。

自然に合わせて、自然に逆らわないような生き方を忘れた人は自然はいくらでも自分の都合に合わせて改造することができると錯覚しています。だから一番身近な自然現象である「生死」に対しても大いなる錯覚を抱いています。
すなわち、病気は治るもの、健康でいて当たり前、死ぬのは不当と言った考えです。
実際には我々は数限りない危険に囲まれて生きていますから、いつ死んでも不思議ではないのです。自然界の中で我々が生を受け、何十年も生きながらえているということは本来相当に幸運なことなのです。生きている有難さを理解していない人が増えている証拠が理不尽な医療訴訟や行き過ぎた移植医療ではないでしょうか。
確かに、医療行為の中に歴然とした過誤がある場合には訴えられて然るべきですが、本来ならばとっくに死んでいるような疾患に対して医師が懸命の医療を行った場合にも、その結果が不幸に終わったら訴えられます。また運よく助かっても、何らかの後遺症を残すと、「医療が充分ではなかったのではないか」と邪推して訴えます。
移植医療もそうです。角膜や二つある腎臓などは理解できますが、肝臓だ心臓だとエスカレート。その内に脳の移植もブラックジョークではすまされなくなる時代が来そうです。
自然界の原理に従えば、種としてのヒトを健康に保存するためには、生きる能力の弱い個体が淘汰されていかなければなりません。個々にとっては悲しいかもしれませんが、それが自然界の厳粛な掟です。にも関わらず、裕福な個体が貧困地域の健康な個体から臓器を収奪して、本来淘汰されるべき個体を延命しようとしています。こういう個人のエゴによる自然への挑戦が種としてのヒトの将来に良い結果をもたらすとは思えません。

さて、それほど脅威でもなかった新型インフルエンザに国を挙げて蜂の巣を突いたように大騒ぎ。マスクとタミフルが引っ張り凧でしたが、タミフルはついちょっと前までは異常行動の副作用が出ると言われてさんざん叩かれていた薬です。
学会が因果関係は証明できないとの見解を示したにも関わらず、何千万人に数人という特殊な例を取り上げて袋叩きにしました。あの時、タミフルの危険性をしたり顔で力説していた人が、その舌の根も乾かないうちにタミフルを求めて奔走しているのですから何をか言わんやです。
ですから、今回のインフルエンザ騒ぎは、人間が自然の中では弱い生き物であり、我々はたかだか0.1ミクロン程度の、生物とも呼べない粒子の前にいとも簡単に生存を脅かされるということを再認識するという意味で、とてもよい機会であったように思います。

私たちは今日一日生きていられることの好運に感謝して、自然の一部としての分をわきまえて、謙虚に生きていかなければいけないと思います。世界中の人、とくに先進国の人々が、自然を畏敬し、自然をねじ伏せようとすることの愚かに気づけば、環境問題も大きく進展するのではないでしょうか。
そうしなければ、大脳だけが異常に肥大した、自然界の奇形種である人類に明るい将来はなさそうです。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】