投稿日:2009年5月3日|カテゴリ:コラム

先週のコラムでメキシコ発の豚インフルエンザについてお話しましたが、その後、正式に「新型インフルエンザ」と昇格したこのウイルスによる感染は急速に広まって、5月2日午前0時段階で14カ国3,181人、疑い症例まで含めると3,500人を超えました。これまではメキシコ1国に止まっていた死者も、ついにアメリカでも出てしまいました。
この報告とアメリカ国内で2次感染者が増加したことを受けて、WHOはパンデミック段階をフェーズ4からフェーズ5に引き上げました。つまりこの新型インフルエンザによる世界的大流行が目前であると認めたのです。
今やメディアは新型インフルエンザに関する報道一色となり、時々刻々と最新の情報が入手できます。海外の感染状況、国内の防疫体制、国民各人の対処法などについて第一線の専門家が詳細に説明していて、今更専門家でもない私が出る幕はありません。
しかし、医療界にとって何十年かに一度の出来事ですから、この時期に新型インフルエンザの話題には触れず、麻生さんの悪口を書いているようでは、医療人のコラムとしてはあまりにKYとの誹りを受けそうです。そこで、今回はインフルエンザウイルスとはどのようなものなのかという基礎的なお話をすることにしました。

インフルエンザウイルスについて説明するにはそもそもウイルスとは何ぞやという点について解説しなければなりません。
ウイルスとは驚くほど単純な構造をした生物です。いや、生物とは認めずに有機物質からできた単なる微小な構造体じゃないかという考えが主流になりつつあるくらいです。まがりなりにも生き物の端くれに名を連ねているのは、自分と同じ遺伝情報を持った子孫を増やす、自己増殖能力を持っているからです。
その基本構造は、自分の遺伝情報である核酸を外界から守るタンパク質でできている膜で被っている。ただそれだけです。細胞小器官はおろか細胞質そのものが存在しませんから、細胞の体をなしていません。つまり、自己の生命維持や自己増殖に必要なエネルギーを産生するメカニズムを持ち合わせていないのです。唯一己を生物であると主張する証の核酸でさえ、動物や植物や細菌のようにDNAとRNAの2種類は揃っていません。DNAかRNAかのどちらか一つしか持っていないのです。
自己増殖の仕方も他の生物とは大きく異なっています。細菌も含めて他の生物は皆、核酸の分裂によって増殖します。つまり1回の分裂で2倍に増えます。倍、倍と繰り返すことによって増殖する対数増殖です。ところがウイルスは分裂ではなく爆発的な一段階増殖なのです。あっという間に膨大な数に増えて細胞から飛び出します。
また、増殖の直前に宿主の細胞内に分解されます。ですから一時的にウイルスの姿が見えなくなる暗黒期という時期があります。細胞に入ると姿を消して、その後膨大な数の姿を現した時にはその細胞を破壊して飛び出すのです。不気味な奴です。
そして、こういった活動に必要なエネルギーや物質はすべて自分が寄生した宿主(動物、植物、細菌などの細胞)のものを借用します。他の生物は皆、生命活動を維持し、自己増殖するためには体外からエネルギーを取り込んで、それを使って生産活動をしなければなりません。そういった地道な作業はすべて寄生した細胞任せです。徹底して無駄をなくした寄生体なのです。
言い換えれば、単独では生命維持も増殖もできない「ひも」みたいな情けない奴なのですが、お世話になったという感謝の念はさらさら持ち合わせていません。まあ、核酸とタンパク質だけでできた粒子に感謝しろと言っても無理な話というものです。
こうして寄生先の細胞を利用するだけ利用してたっぷりと子孫を増やすと、お世話になった細胞を破壊して外に飛び出し、次の宿主となる細胞にとりつきます。こうやって爆発的に自分を増やすのです。
このままだと私たちの細胞は全滅してしまいそうですが、私たち高等生物もちゃんと対策をもっています。ウイルスの侵入と同時に免疫機構が活動を開始していろいろな種類の白血球やマクロファージといった細胞がウイルスを食べて殺します。また、一度侵入されたウイルスに対してはその遺伝情報を記録しておいて、次に侵入される時には細胞に入り込めないような防御態勢を構築します。
今回のインフルエンザが大騒ぎになっているのは、今までに私たちが一度も見たことのない顔をしたウイルスだからです。このために従来の警備体制を潜り抜けて容易に細胞内に侵入されてしまいます。もちろん被害届が出たならば直ちに白血球その他が出動しますが、初動捜査が遅れる分、被害が出てしまうのです。
ウイルスが何らかの生命体に寄生しなければ生きていけない寄生体だと述べましたが、寄生していない時には「生きている」も「死んでいる」もない、単なる物質です。物質としてのウイルスは宇宙空間に多数漂っていると思います。そのウイルスが地球に飛来して宿主たる生命体と出会った時、ウイルスは再び生物として振る舞うのです。
実際に、ウイルスは結晶化することができます。そして長期間経った後、結晶を細胞に戻すと自己増殖を始めることが確かめられています。
現在地球上に存在するウイルスは皆宇宙から降ってきた可能性が高いのです。しかし、こういった連中が全て敵対的だという訳ではありません。今や私たちの細胞が生きていくために必須の細胞内小器官であるミトコンドリアは、元々は外から侵入したウイルスだと考えられていいます。というよりは植物の細胞が葉緑素を取り込んだことによって初めて光合成という代謝ができるようになったのと同様、私たちはミトコンドリアというウイルスを取り込んだからこそ酸素呼吸を出来るようになったのです。ミトコンドリアは好気生物の細胞と20億年以上も共存共栄してきました。今や私たち自身になってしまっています。

インフルエンザウイルスはDNAだけを持ったミトコンドリアと違ってRNAだけを持ったウイルスで、今のところ人類に対してミトコンドリアほど友好的態度を示していません。しかしエボラ出血熱ウイルスほどの凶暴性も見せません。
このウイルスのややこしいところは、今回の騒動のように遺伝情報が変異しやすいことです。性質や顔形をくるくると変えてしまうのです。このために、これまでは豚にしか感染しなかったウイルスが急に人間に感染するようになったり、感染してもおとなしくしていたはずだったのが、急に暴れだしたりするのです。また、美容整形マニアのように顔も変えますので、私たちの身体の警察である免疫機構も後手に回ってしまうのです。
これからも変異を続けますから、鳥インフルエンザ並みに凶暴化する可能性もありますが、逆に早晩、借りてきた猫のようにおとなしくなる可能性もあります。今しばらくは敵のお手並み拝見と行くしかなさそうです。

さて、今回の騒ぎに対する私の対応はと言うと、運よくゴールデンウィークの臨時休診をとっていますので、クリニックでは当面大騒ぎにはなりませんでした。また、敢えてウイルスを挑発するような海外旅行はしないので、食料とマスクを備蓄して我が家で状況分析をします。ただ、日本国内での感染が急拡大し、致死率が高まるような事態になると、東京都、豊島区からの要請により医師会単位で現場に出動しなくてはならなくなるかもしれません。
そのような事態になった場合には、言うまでもなく、自分のクリニックではインフルエンザを疑う患者さんは一切診療できません。院内に入ることさえお断りということになります。
これは私が冷血漢だからではありません。万が一その方が新型インフルエンザであった場合、私のクリニックの待合室が感染拡大の場になってしまうからです。ですから、今後国内での感染が広がった際には、風邪の症状の方はくれぐれも私たち医療機関を受診しないでください。各地区の発熱センターへ電話でお問い合わせください。よろしくお願いします。
ちなみに東京都発熱相談センターは03-5320-4509、豊島区発熱相談センターは03-3987-4179です。

いたずらに慌てず、しかし、やるべき事前対策は抜かりなく行い、沈着冷静に対応してください。生き物とも呼べない、ひも野郎みたいな情けない奴をのさばらせないよう、皆で協力して頑張りましょう。

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