今から73年前の1936年(昭和11年)2月26日、降り頻る雪の中を皇道派の影響を受けた一部青年将校が1483名の兵士を率いて「昭和維新」、「尊 王討奸」をスローガンにして皇居周辺で決起しました。彼らは内大臣、斎藤實と大蔵大臣、高橋是清を射殺して四日間にわたって帝都の中心部を占拠しましたが、最終的には天皇の勅令によって、二名が自決し、残る1400余名の反乱軍の投降によって幕を閉じました。
これが我が国近代史上初のクーデター未遂事件である二・二六事件です。一般に、この事件は陸軍の皇道派と統制派との権力争いだったと論じられていますが、 その背景には一般国民の先の見えない貧困。そしてそれを救済するどころか、一部資本家と癒着して利権を貪る政治腐敗に対する庶民の悲憤慷慨があったと考え られます。
1929年10月24日ニューヨーク証券取引所で株価大暴落に端を発した金融崩壊は、第1次世界大戦で疲弊しきっていた世界中の実体経済に壊滅的な打撃を与えて、出口の見えない世界大恐慌を引き起こしました。
日本もこの世界恐慌の大波に呑まれて、当時わが国の経済はどん底の不況から抜け出せない状況でした。特に地方農村部での貧困は凄まじく赤貧洗うが如き状況 でした。今のように社会保障制度が整備されていない社会でしたから、糊口の道を断たれた農家では、健康な男子はこぞって軍役に志願しました。しかし、女子 は軍で必要とされません。このために口減らしのために娘を泣く泣く女衒に身売りする農家が後を絶ちませんでした。
一方、経済界は一般民衆の困窮をよそに、旧財閥(三井、三菱、住友、安田)と新興財閥(日産、日窒、日曹、理研)とが勢力争いに鎬を削っていました。結 果、財界から政界への買収工作の激しさがまして政財界の癒着が横行するようになっていました。社会の腐敗が極まっていたのです。
こういう閉塞した状況に現れるのがテロ行為です。テロは、天下泰平な世であれば民衆からもってのほかの重大犯罪として厳しく糾弾されるのですが、澆季末世 (ぎょうきまっせ)の時代には、民衆は表向き眉を顰めて見せはしますが、内心では日頃の鬱憤を晴らしてくれた天誅として喝采の声を上げているのです。
ですから、一旦テロが始まると、その原因である社会不安が解消するか、より大きな困難、災害を目の当たりにしない限り鎮静化することができません。当局が下手に厳罰に処したりすれば、犯人が義賊として讃えられて、さらなるテロの原動力になってしまいます。
以下に、第一時世界大戦終結から二・二六事件までの主な出来事を年表にしてみました。
1919年 | 6月28日 ヴェルサイユ条約調印、第一次世界大戦終結 |
1920年 | 1月10日 国際連盟成立 |
3月15日 日本で株価暴落、戦後恐慌始まる | |
1921年 | 11月4日 原敬首相暗殺事件 |
11月13日 高橋是清内閣成立 | |
1922年 | 6月6日 高橋内閣総辞職(短命) |
6月12日 加藤友三郎内閣成立 | |
1923年 | 8月25日 加藤友三郎急死により総辞職 |
9月1日 関東大震災 | |
9月16日 憲兵大尉甘粕正彦が大杉栄や伊藤野枝らを殺害(甘粕事件) | |
10月 ドイツでマルク暴落 | |
11月8日 アドルフ・ヒトラーがミュンヘン一揆 | |
12月27日 虎の門事件(皇太子、摂政宮祐仁親王が難波大介に狙撃される) | |
1925年 | 1月3日 イタリアでベニート・ムッソリーニが独裁宣言 |
4月28日 イギリスが金本位制に復帰 | |
6月6日 クライスラー社設立 | |
7月18日 アドルフ・ヒトラー「我が闘争」刊行 | |
1926年 | 12月28日 大正天皇崩御、昭和となる |
1927年 | 3月 昭和金融恐慌発生し各地の銀行で取り付け騒ぎが勃発、株大暴落 |
1928年 | 6月4日 張作霖爆殺事件 |
8月27日 パリ不戦条約調印 | |
1929年 | 3月5日 革新的な政治家、山本宣治が右翼テロリストに刺殺される |
4月16日 四・一六事件(共産党員が一斉に検挙される) | |
8月15日 北海道鉄道疑獄事件 | |
10月24日 ブラックサースディ、ニューヨーク証券取引所で株が大暴落し世界恐慌が始まる | |
1930年 | 2月26日 全国で共産党員一斉検挙 |
9月10日 米価大暴落、豊作飢饉 | |
11月14日 濱口雄幸首相襲撃事件 | |
1931年 | 3月20日 三月事件、政治結社「桜会」によるクーデター発覚 |
9月18日 柳条湖事件(満州事変勃発) | |
10月17日 錦旗革命事件(軍部によるクーデター計画発覚) | |
12月13日 犬養毅内閣成立 | |
1932年 | 1月8日 桜田門事件(朝鮮人李奉昌が天皇の馬車に爆弾を投げつける) |
2月9日 血盟団事件(前蔵相井上準之助が本郷で血盟団員小沼正に暗殺される) | |
3月5日 血盟団事件(三井合名理事長團琢磨が血盟団員に暗殺される) | |
3月11日 血盟団盟主、井上日召が自首 | |
5月15日 五・一五事件犬養毅首相が若手将校に暗殺される | |
1933年 | 1月30日 ドイツ、ヒトラーが首相に就任にてナチス政権誕生 |
2月20日 プロレタリア文学の小説家小林多喜二(現在著作「蟹工船」が再び脚光を浴びている)が特別高等警察の拷問で虐殺される | |
3月23日 ドイツ、ナチスの独裁確立 | |
3月27日 日本国際連盟脱退 | |
8月12日 相沢事件(陸軍内部の抗争で統制派の陸軍省軍務局長、永田鉄山が暗殺される) | |
1936年 | 2月1日 天皇機関説を提唱した美濃部達吉が右翼の襲撃を受けて負傷 |
2月26日 二・二六事件 |
五・一五事件、血盟団事件をはじめテロが社会の乱れと並行して頻発していたことが分かると思います。こうして振り返ってみると二・二六事件は起こるべくして起こったクーデターだと言えるのではないでしょうか。
二・二六事件は陸軍内部の統制派の勝利という形で終わりました。この結果軍部の力はますます強くなって、1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに本格的な日中戦争、そして1941年12月8日の真珠湾攻撃へとひた走ることになったのです。
決起した青年下士官たちが期待したものは国家社会主義者、北一輝の描いた腐敗のない理想の社会であったのです。しかし、結局は狡猾な長老や政治家たちの思惑に翻弄されて、彼らの義侠心とは裏腹に、国民により大きな犠牲を強いる戦争への道を作る結果となってしまいました。
「外患をもって内憂を制す」と言いますが、国家は外に向けての戦争という桁違いの大殺戮を起こすことで国内の不満や鬱積をごまかして、結果テロはなくなったのです。
さて昨年11月18日、殺人と殺人未遂の事件が相次いで報道されました。今や我が国では殺人事件など日常茶飯事のできごとですが、この二つの事件は日本国 中を震撼とさせました。なぜならば、2件の被害者が旧厚生省の元事務次官夫妻、元事務次官夫人だったからです。しかも、2人の事務次官は厚生省の中でも年 金畑を歩んでおり、現在社会問題化している年金制度のシステム作りに関わったという共通項がありました。
テロ事件と考えるのが自然だと思うのですが、どういう訳か当局もマスコミも慎重な態度を崩しませんでした。私はその頃から、この事件に対する大きな影の力を感じていました。そして事件から5日後に事態は唐突な展開を迎えました。
小泉毅という47歳無職の男が証拠品一式を携えて自ら警視庁に自首してきたのです。その後取り調べに当たった警察から流される情報は拍子抜けするものばかりです。何と動機は30年近くも前に犬を処分された私怨だというのです。
新聞、テレビは当局発表を踏襲する形での報道に終始。週刊誌はしばらくの間は独自の報道を続けていましたが、やがてこちらもフェードアウト。今ではこの事件を取り上げるところはどこにもありません。
しかし、私は今でもこの犯行をテロだと思っています。彼の生活歴を見るとある程度の年齢まではちゃんとした社会生活、対人関係を持っていたようですし、犯 行時の行動そのものも冷徹でほころびがありません。明瞭な精神障害あるいは極度の人格障害とは思えまないのです。きわめて緻密に計画された犯行であって知 能の高さを伺わせます。また、行動スケジュールなどからも実行犯は単独犯であったとしても、陰に共犯者の存在が強く示唆されます。さらに、仕事もせずにそ れなりの生活をしていたことは、金銭的な補償をしていた個人ないしは組織の存在が強く疑われます。
何よりも、唐突な自首、警察発表の荒唐無稽さから、私はこの犯行がテロであったことを強く疑うのです。国はなんとかこの事件を特異な人格のばかばかしい犯 行で終わらせることに躍起になっているのではないでしょうか。なぜならば、テロを認めるとさらなるテロの続発が懸念されるからです。
私は犯罪捜査や犯罪心理学のプロではありませんから、この事件に対する私の推測は当たっていないかもしれません。しかし、この事件そのものをとやかく議論 することが私の真意ではないのです。私が危惧するのはもっと大きな流れです。つまり、今の社会の有様を俯瞰すれば、この事件がテロである方が不自然でない こと、また今後いつテロが起きても不思議ではないことを強調したいのです。
なぜならば、現在の日本の状況は二・二六事件前夜と酷似しています。出口の見えない不況。無能で見識のない政治家。かんぽの宿で代表される政財が結託した 利権争い。腹黒いキャノンの御手洗が経団連会長に君臨していることに象徴される財界のモラル低下。国民はこういったことに怒ると同時に自分たちの無力さに 絶望しているのです。
このまま有能で政連高潔な政治家、滅私奉公の原点に立ち戻った官僚、モラルを備えた経営者不在の時間が続くならば、私たちはまたもや1930年代の不穏な 道を歩くことになるでしょう。それを予感させるかように、時代は然るべく田母神のような跳ね上がった軍人をも登場させています。
目を覚ますなら今のうちです。「いつか来た道」と気付いた時にはもう手遅れなのですから。ただ、私たち怒れる国民に与えられた行動は選挙しかありません。自分自身が心を清くして、我が国の進路を正しい道に戻してくれる指導者を選び、そして育てましょう。