投稿日:2009年2月23日|カテゴリ:コラム

鉄の意志を持つ人はそうはいない。つい飲み過ぎて二日酔いに苦しんだ経験のお持ちの方は多いのではないでしょうか。また、自分を見失って酒の上での失敗談をお持ちの方も少なくないと思います。しかし、三日酔いはあまり聞いたことがないし、世界を揺るがす大失態を演じるまでの深酒となると、そう滅多にあるものではありません。
ところが、無様な酔態を全世界に放映されて我が国の信用を失墜させて、問題酩酊から丸二日以上右へ左への酔歩蹣跚(すいほばんさん)を続けた挙句、結局は自ら崖下に転落してしまった男がいます。前金融・財政担当大臣の中川昭一氏のことです。

先日ローマでG7先進7カ国財務大臣・中央銀行総裁会議が開催されました。未曽有の金融危機を打開して、世界大恐慌の再来を何とか瀬戸際で食い止めるために先進国の財務関係トップが鳩首したものです。
会議後の記者会見はそれぞれの国の代表が会議の結果を受けて、自国が今後どのような基本姿勢で経済運営に臨むのかを世界に表明する重要な舞台です。とても大事な会見ですから、その映像は世界中に配信されます。ところがその映像を目にした者は全員、我が目を疑いました。
そこに映し出された中川さんは酔眼朦朧とした表情で、発する言葉は呂律が回らず、オバマ大統領を「オビャマ」などと言っているのです。必死に立ち居振舞いを正そうと努力している様子も伺えたのですが、結局は睡魔に勝てませんでした。質問が隣席の白川日本銀行総裁へ移った後は、総裁の名前にあやかったのでしょうか、とうとう白川夜船になってしまいました。
この醜態は日本にとどまらず世界中のメディアの格好の餌食になり、繰り返し繰り返しテレビの画面に流されました。ユーチューブでも高視聴率だったと聞きます。これを受けて日本国内は上を下への大騒ぎ。郵政民営化再検討発言で小泉元総理の虎の尾を踏んで、衰弱の度を増していた麻生さんをさらに追い詰める事態となりました。
小さな会社の課長会議の場でも馘首が不思議でないような失態に対して続投宣言をしたのです。しかし、この対応が火に油を注ぐ形なったことを知って、半日後には予算成立後の辞任に変更。これでも火勢が衰えないことが分かってやっと即日辞任となりました。危急存亡の折に、麻生さんはまたもや中途半端な対応をして、指導者の器でないことを露呈してしまったのです。

ところで、人間の嗜好品の代表と言えば酒と煙草が挙げられます。飲酒と喫煙は共に長い歴史を持ち、文化を築いてきました。しかしながら昨今、喫煙に対する風当たりが異様なまでに強くなり、社会に害悪な物の代表に仕立て上げられてしまいました。一方、酒害に関する批判はかなり甘く、酒の評価は毀誉褒貶相半ばすると言ったところではないでしょうか。愛煙家の私としてはこの片手落ちの扱いには甚だ遺憾なのです。
公平に見れば、今回の中川さんの一件に限らず、酒に起因する重大な過失事故や重大事件は古今東西、枚挙に遑がありません。しかも飲酒運転による轢き逃げ殺人、酒の上の口論からの殺傷事件など生命を脅かす例も少なくありません。
一方、煙草の場合はどうでしょう。火の不始末からの火災事故は憂慮すべき課題ですが、それ以外に重大な事故あるいは凶悪な犯罪の原因になることなどそれほどあるでしょうか。煙草を巡る殺人事件なんて聞いたことがありません。中川さんにしても、直前の行為が酒の飲み過ぎでなく煙草の吸い過ぎであったならば、あんな醜態を演じることはなく、今でも大臣の職席に着いているのではないかと思います。
こんなことを書くと、今や世界を席巻しつつある禁煙運動家諸氏から非難の雨霰を受けそうなので喫煙擁護論はこのくらいで矛を収めます。争いを好まない気弱な愛煙家は、知ったかぶりの数字を並べたてて文化人ぶった、ヒステリックで他罰的傾向のある嫌煙運動家にはとても太刀打ちできません。そのうちに喫煙したという理由で医師免許を剥奪される時代がやってくる予感がします。そうなったら、この文章が私が煙草を吸うことの致命的な証拠になり、社会的に抹殺されてしまいます。くわばらくわばら。

閑話休題、酒の話に戻りましょう。「酒は百薬の長」と言われる通り酒は古代では薬として用いられていました。現代においても酒の主成分である酒精(エチルアルコール)は気付け薬、消毒・防腐剤、食欲増進剤、胃薬の代用品として用いられています。また、酒を睡眠薬代わりに用いる人も多いのが現実です。が、酒の何よりの効能は脳の抑制を解いて本音を発露し、日頃の憂さを晴らしてストレスを解消したり、人間関係をより緊密にすることではないでしょうか。
適量の飲酒は人をいっときの間、羽化登仙の境地に誘ってくれます。さらに、身体的にも血管を拡張して血圧を下げ、新陳代謝を亢進し、胃腸の運動も活発にします。睡眠時の脳波活動を他の睡眠導入薬適用時とアルコール適用時とで比較しますと、アルコールによって眠った時の方が自然の睡眠に近い脳波パターンが得られます。
このように書くと、アルコールは良いこと尽くめのように思われるかもしれませんが、実際にはアルコールは消毒薬以外、正式な医薬品としては認知されていません。この最大の理由は適用量の設定が難しいことによります。
先ほど述べた、ありがたい薬効はすべて「適量の場合」という但書が付いています。もちろんどんな薬物においてもその効果がうまく発揮できるのは一定の適当量の場合に限ります。一定の量(有効量)以下では全く効果が現れませんし、逆に特定の量(中毒量)を過ぎると、身体に良くない中毒症状が現れます。この有効量と中毒量の差(安全閾)が大きければ大きいほど安全で使いやすい薬です。一方、安全域が狭い薬は使用量によほど気をつけないと毒性が現れてしまいますから、危険で使いにくい薬と言えます。因みに、有効量よりも中毒量の方が少ない物質は毒物であり、もはや薬をして使用することはできません。
さてアルコールはと言うと、有効量や中毒量に関する個人差が極めて大きい上に、安全域がとても小さいのです。ですから、アルコールは薬としてはとても使いにくい物質なのです。Aという人にとってはまだ物足りないくらいの量のアルコールがBという人に対しては生命を脅かす急性中毒を引き起こすことがあります。また同じ人でも、ちょうどほろ酔いだなと感じた後のもう一杯で、泥酔になってしまうこともあるのです。つまり、紙一重の差で「百薬の長」が一転して「百毒の長」になってしまいます。
ですから、嗜好品としてお酒を飲む時にも、「もう少し飲みたいな」と思っているところで止めるのが上手な飲み方なのですが、酔いが回って事理弁識能力が低下した脳に適切な判断は困難です。酒宴は「礼に始まり乱に終わる」と言われる所以です。

アルコールは今述べた急性中毒だけでなく長期にわたって飲み続けることによって起こるアルコール依存症も重大な副作用であり、社会問題でもあります。
一般的に、毎日お酒を欠かさない人、大量のお酒を飲む人、酒癖の悪い人などを指して「あいつはアルコール依存症だ」という傾向がありますが、これは間違っています。これらは単にアルコール常習者、大酒家、問題酩酊というだけです。
もちろん、酒の常習、大酒、問題酩酊があれば依存症へもう一息のところまで来ています。しかし、アルコール依存症と決定するかどうかのキーポイントはTPOをわきまえて断酒できるかどうかという点です。
すなわち、毎日一升酒を飲んでいても、大切な予定や車の運転が予想される時には控えることができる人はアルコール依存症ではありません。一方、量的にはコップ一杯のビールしか飲まない人であっても、大事な会議であるというのにどうしても酒の誘惑に勝てない人は立派なアルコール依存症なのです。
この点を踏まえてみると、世界中に発信する大事な記者会見の前に酒を口にした中川前大臣に、アルコール依存症という診断を下すことに異論を唱える方はいないと思います。そして、依存症患者のほとんどがアルコールの常習者であり、大酒家で、問題酩酊の既往があります。となると、「食事は何十回も一緒にしたが、私の前でお酒を飲んだことはない」と明言した麻生総理には虚言癖の診断がつきそうです。
当のご本人も辞任に至る最後まで、深酒を否定して「風邪薬を飲み過ぎた」との弁解に終始していました。今回の辞任劇を不本意な「飲まぬ酒に酔う」*1の喩のように仕立てて、僅かでも名誉を守ろうと思っての苦肉の策でしょう。
しかし、どんなに言い訳しても世界中の誰もが「飲まぬ酒には酔わぬ」*2としか思っていません。確かに先ほどから述べてきましたように酒をアルコールという化学物質と考えれば、薬の飲み過ぎと言えないこともありませんが、しかし、やはり牽強付会で見苦しいだけです。

ところで中川さんのことを笑ってばかりもいられません。私たちもよほど気を付けてお酒と付き合わないと、彼と同じような失態を演じるとも限りません。「人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む」*3と言います。酒が酒を飲みだす前に切り上げる強い意志を鍛えなければなりません。
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*1:飲まぬ酒に酔う:そうなった原因は身に覚えがないのに、不本意な結果になることの喩。
*2:飲まぬ酒には酔わぬ:何か原因がなければ、このような結果にはならないということの喩。「火のない所に煙は立たぬ」と同義。
*3:人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む:はじめは人は楽しんで酒を飲んでいるが、そのうちに酔った勢いで酒を飲むようになり、さらに酒に飲まれて悪酔いをしてしまうということ。

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