投稿日:2009年2月9日|カテゴリ:コラム

去る1月24日、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊のダンビル市で多くの市民の称賛を浴びて、一人の男性が表彰されました。祝福を受けたのはUSエアウェイズのチェスリー・サレンバーガー機長(57歳)です。
事件は、アメリカ国内は言うに及ばず全世界が、数日後に行われるオバマ新大統領就任の瞬間を待ちわびて、アメリカに注目していた2009年1月15日に起きました。
USエアウェイズ1549便はニューヨーク、ラガーディア空港を離陸直後、高度900mで鳥の大群と遭遇し、バードストライク*1によって瞬時に二基のエンジンが停止してしまいした。
離陸時操縦桿は副操縦士が握っていましたが、サレンバーガー機長は直ちに副操縦士から操縦桿を引き継いで緊急事態に対処しました。機長の報告を受けた管制官からの指示はラガーディア空港を含む最寄りの空港への緊急着陸でした。
しかし、機は離陸直後であるために最寄りの空港まで安全に滑空するために必要な高度と速度を保持していなかったのです。彼は、もしこの状態で管制官の指示に従えば、かなりの確率で機がマンハッタン内に墜落して、乗客、乗員はおろか多くの市民を巻き添えにする可能性があると考えました。
その結果、機長は管制官の指示を採用せずにハドソン川への着水を選択したのです。しかし、当時のニューヨークは零下数度の厳寒で、ハドソン川には氷が張っていました。
人間は氷点下の水中で長時間生存していられません。ですから無事に着水できたとしても、その後、機体から乗客と乗員を迅速に救出しなければなりません。そこで彼は日常的に多くの船が行き交うフェリー乗り場付近への着水を決心しました。
それから数分後、彼と乗員スタッフ全員の優れた操縦技術によって見事に目標とした水面に着水しました。彼の目論見通り、周囲を行き交う多くの船によって乗客乗員155名全員が氷点下の川から無事に救出されたのでした。
この快挙はスタッフの協力と幸運もなければ達成できなかったかもしれません。しかし、一人の犠牲者も出さずに未曽有の緊急事態を大惨事から回避させた功績は、なんと言ってもサレンバーガー機長にあるのではないでしょうか。
彼の迅速果断(じんそくかだん)かつ沈着冷静な判断と泰然自若(たいぜんじじゃく)とした行動がなければ何百人もの儀歳者を出していたかもしれないのです。
機長は全員が救出されたことを確認した後、最後に救助船に乗りました。大仕事を終えて河岸に辿り着いた機長は、フェリー乗り場のカフェで沈みゆく機体を眺めながら珈琲を飲んでいたと聞きます。映画の「カサブランカ」のリックを彷彿とさせる男伊達の格好良さだと思います。
閑話休題(かんわきゅうだい)、サレンバーガー機長は、祝福のために集まった数千人の群衆からの讃辞に「優秀なスタッフに恵まれたことが幸運でした。皆いつもの訓練通りに行動しただけです。」と答えたそうです。
勝って奢(おご)らぬを良しとする、日本の武士道に通ずる謙譲の美徳を示す発言に米国民はさらに彼に対する敬愛の念を強くしたと聞きます。アメリカは自己主張しなければ生きていけない国と聞いていましたが、本当に立派な人への評価は洋の東西を問わないことを知りました。「君子は行いを以(も)って言い、小人は舌を以(も)って言う」という格言はアメリカでも生きているのです。

さて、4年前「改革」の美名に酔いしれて事の是非を十分に議論しないままに「郵政民営化」を一枚看板にした小泉自民党を圧勝させたのは他でもない私たち国民です。
今になってみれば、私が心配していた通り、採算の合わない地方の特定郵便局が続々と閉鎖して、当時熱狂的に小泉を支持していた国民を苦しめています。それでもまだ、小泉イリュージョンから覚醒できない国民が多数いることは大変嘆かわしい限りですが、その愚かな国民に鳩山邦夫総務大臣が一石を投じました。
竹中平蔵とつるんで、改革路線に便乗して甘い汁を吸ってきた、日本郵政の西川義文とオリックスの宮内義彦とが、かんぽの宿を出来レースで法外に廉価な売買をして、またぞろ濡れ手に粟の大儲けを企んでいました。この悪巧みが成功寸前のところで鳩山大臣が待ったをかけたのです。
これまで「私の友人はアルカイーダの友人」とか「オートマチックな死刑執行が望ましい」といった物議を醸す言動が多かった鳩山さんですが、今回のかんぽの宿売却阻止には与野党こぞって賛意を示しました。
派遣労働の規制緩和政策に対する批判などで、小泉路線の弊害が少しずつ明るみに出てきてところへ、追い討ちをかけたのが今回の鳩山大臣の行動でした。しかも、この鳩山大臣の行動を多くの国民が支持しました。世論のこの動きに不人気絶頂の麻生総理は「潮目(しおめ)」が変わったと見たのでしょう。支持率回復のための乾坤一擲(けんこんいってき)の一手として郵政民営化の見直しを打ち出しました。
かねてから小泉政治の弊害を強く感じていた私は、この電光石火の政策大転換を大変高く評価します。民間に任せた方がよい事業は民営化すべきですが、営利とはそぐわない事業は民営化すべきではないのだから、一刻も早く悪い改革は改めるべきだからです。
しかし、進路変更そのものは大変良かったと思うのですが、その政策転換についての趣旨説明を誤ったために、支持率を上げる算段が狂って、逆に一層支持率を下げてしまいそうです。
小泉政権当時、麻生さんは総務大臣でした。閣内の一員として小泉政権下の多くの政策に関与して政令に押印し、国会で賛成票を投じました。そのことを追及された際に、「あの時には郵政民営化についてプラスの影響の方が大きいと判断した。しかし、その後の世の中の変化を見ると予想外に負の効果が大きいことが分かった。あの当時の自分の判断は誤っていた。だから今、この成策を見直したい。」と正々堂々と述べればよかったのです。
自分も加担した先の改革と称した政策の誤りを総括し、自己反省をすることが一国の指導者たる者のとる行動であるはずです。指導者たる者、非を認めるに吝(やぶさ)かであってはならないのです。
しかし、彼の口から出た言葉はなんと「僕のせいじゃないよ。僕本当は嫌だったんだけど小泉君がやれやれって言うから総務大臣の判子押しちゃっただけなんだもん」。自省や謙譲の欠片も無い言葉でした。
これはグループでした悪さを先生から咎められた小学生や、集団で輪姦した不良が学校や裁判所で良く口にする見苦しい言い訳です。そんな言い訳は小学校でも家裁でも通用しません。かえって「人のせいにするな」と余計叱られるのが落ちです。曲がりなりにも国政を預かる者の口からそんな情けない弁明を聞くとは誰もが思わなかったでしょう。畢竟、彼の一大決心が「君子豹変(くんしひょうへん)」ではなく「小人革面(しょうじんかくめん)」*2であったことが露呈する結果となりました。
漢字が読めないことや連夜ホテルのバーで飲むことには目をつぶっていた数少ない支持者でさえ、ここまで来ると、「何をか言わんや」でしょう。

中国の諺にはしばしば「君子」と「小人」が対比的に用いられます。君子とは徳が高くて品位が備わった人。小人とは徳や器量のない人のことを指します。当然ながら、人の指導者が範とするべきは君子であって、小人が国を治めると世が乱れて民衆が塗炭の苦しみを味わうことは歴史が証明しています。
国民が理想的な君子を指導者として迎えることはそう滅多にあるものではないと思いますが、少なくとも君子の片鱗くらいは持ち合わせてくれていなければ、その国は破滅してしまいます。
そして、残念なことに我が国の総理大臣の言動からは君子の香りは漂ってこず、小人の腐臭しか嗅ぐことができません。だから、国民は我が国の将来を悲観的にしか考えることができなくなり、ますます元気がなくなってくるのだと思います。

私たち1億2千万人の国民が乗った飛行機、日本号は乗客の承諾もなしに、離陸してからすでに機長が3回も交替しています。幸運なことに、機長の器にもかかわらず未だ墜落だけは免れています。ですから、どうか今のうちに最寄りの空港に着陸して、私たち国民にとってのサレンバーガー機長を選択させてください。総選挙早期実現を切望するところです。
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*1バードストライク(bird strike):鳥が構造物に衝突する事故を言うが、主として航空機との衝突事故を指す。ジェット機の場合にはその構造上、鳥はジェットエンジンの空気吸入口に吸い込まれることが多い。吸い込まれた鳥がエンジンの重要部分を損傷してエンジン停止に至ることは少なくないが、2基のエンジンが同時に停止する事態は極めてまれである。
*2君子豹変、小人革面:君子は自分の行動が過ちと知ったならば、すぐにきっぱりと改める。これに対して小人は自分に都合が悪くなると表面的な態度だけ変えてみせる。同じように見える進路変更でもよく見ると天と地ほどの違いがある。一般的には「君子は豹変し、小人は面(おもて)を革(あらた)む」と読み下す。

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