投稿日:2009年2月2日|カテゴリ:コラム

認知症というとアルツハイマー型認知症と脳血管型認知症が有名ですが、この他の原因でも痴呆症状を示す病気はいくつかあります。その中でレビー小体型認知症については昨年の8月のコラムでご紹介しました。今でも私のホームページの検索キーワードの上位に位置していて、認知症に対する関心の高さを感じています。
このところ時事評論のようなコラムが続きましたので、今回はレビー小体型認知症と同様に、発生頻度はそう多くない特殊な認知症の一つ、前頭側頭型認知症についてお話します。

前頭側頭型認知症は名前のとおり大脳のうち前頭葉と側頭葉が特異的に委縮する病気です。この中核的な病気がピック病(Pick’s disease)です。そのピック病は1892年にプラハ大学のアーノルド・ピックが言語障害、記憶障害と意欲低下を示して、死後の解剖で左側頭葉に限局した萎縮を認めた71歳の男性症例を報告したことに始まります。
その後アルツハイマーがピック病の患者さんの死後脳の病理学的な研究からピック嗜銀球とピック細胞という特殊な病理所見を発見して、一つの疾患群であることを明らかにしました。
ピック病は長らく45歳から65歳までの初老期に発症する病気と考えられて、アルツハイマー病、クロイツフェルド・ヤコブ病と合わせて三大初老期痴呆とされてきました。
しかし、その後の研究によって必ずしも初老期だけに発症するわけではないこと、また、特徴の一つである嗜銀球という病理変化がないものもあることが分かってきました。このために、現在は認知症の一つで、前頭葉と側頭葉が選択的に縮んでしまうという特徴だけに限定して「前頭側頭型認知症」と分類するようになりました。

前頭側頭型認知症は臨床症状がアルツハイマー型認知症や脳血管性痴呆症などと大きく異なっています。ピック病ではこういった一般的な認知症の主症状、初期症状が記憶障害であるのに対して人格障害が顕著です。つまり、アルツハイマー型認知症や脳血管型認知症では初めのうちは人柄にはそう大きく崩れずに、物覚えが悪くなったり、物忘れが激しくなるということで気付かれるのに対して、前頭側頭型認知症では記憶力は保たれているのに人格、性格が極端に変わっていくのです。騒がしく、軽薄になったり、派手になってやたらに買い物をするようになったり、不潔な行為を平気でするようになったり、お店においてある物をとってその場で食べてしまったりといった非社会的な行動を取るようになって周囲を困らせるようになります。以下に症状の特徴を列挙します。
1.  人格障害・情緒障害などが初発症状。
2.  病期前半にはアルツハイマー病でよくみられる記憶障害・見当識障害はほとんど見られない。
3.  進行に伴い自制力低下(粗暴、短絡、相手の話は聞かずに一方的にしゃべる)、感情鈍麻、異常行動(浪費、過食・異食、収集、窃盗、徘徊、他人の家に勝手にあがる)などがはっきりし、人格変化(無欲・無関心)、感情の荒廃が高度になる。
4.  人を無視・馬鹿にした態度、診察に対して非協力・不真面目、ひねくれた態度など対人的態度の特異さが目立つ。
5.  意味もなく同じ内容の言葉を繰り返したり同じ行動を繰り返したりする滞続症状が見られる。
6.  進行性の失語症症状が見られることもある。
7.  物はちゃんと使えるのに、その物の名前をしゃべることも意味することも分からなくなる語義性失語症が見られることがある。
8.  異常行動が見られるのにレビー小体型認知症のような幻覚はない。
9.  病識がない。
極めて奇妙な人物像が想像できるでしょう。ですから、この病気に対する知識のない人には認知症の初期であることが理解できないで、躁鬱病、統合失調症といった精神病と勘違いされてしまいがちです。それどころか、「奥さんをなくして嫁さんに虐められて人が変ってしまった」などと安易に心理学的な解釈をされて放置されているケースも少なくありません。

今述べたように、この病気に関する知識は一般医に十分知られていませんから、相当の数の患者さんが見逃されていたり、誤診されていたりしていると思われます。したがって、いったいどのくらいの患者さんがいるのかということが把握できていません。諸説ありますが、アルツハイマー型認知症の数分の一から数十分の一の間としか言えません。ともかくそう滅多にお目にかかる病気でないことだけは言えます。精神科医歴34年の私でもこれまでに数例にしかお目にかかっていません。

臨床症状だけからでは、この病気に精通している医師でなければ診断はつきませんが、MRI検査をすれば限局的な脳の委縮が認められますから、ある程度病気が進行した時点では診断はそう難しくありません。SPECTやPETなどの最先端画像診断を行うことができれば、より早期にこの部位の血流低下を検出できます。

この病気の詳しい原因は未だによく分かっていません。幾つかの異常代謝産物が脳の中に蓄積されているのですが、その異常物質にもいくつかのタイプがあります。したがって、前頭側頭型認知症は一つの病気ではなく、いくつかのサブタイプに分かれていると思われます。
ではなぜそういった異常な物質が脳に溜まってしまうのか、その異常な物質が溜まることと前頭葉や側頭葉が限局的に委縮することとはどのような関係にあるのか等々、今後の研究に待たなければならないことだらけです。

このように原因が不明ですから治療法も見つかっておりません。したがってマンパワーに頼る、介護を中心にケアーしていくことが原則です。多動、徘徊、衝動行為などの介護の手に余る症状に対して対症療法として抗精神病薬を使用するしかありません。
ここで強調したいことはアルツハイマー型認知症に有効であるということで広く普及している塩酸ドネペジル(アリセプト)がこの病気には効果がないということです。一般医を中心に安直にこの薬が処方されていますが、この病気には無効です。アリセプトは高価な薬ですから、対象を選ばず、徒にアリセプトを服用させ続けるだけでは医療費の無駄遣いですし、家族に無用な介護のエネルギーを長期間強いることになります。
抗精神病薬を使っても家庭での介護が困難な例が多いので、施設での介護ということになりますが、ここでも管理不能になるケースが少なくありません。そうなると、認知症専門病棟を備えた精神科病院に入院していただくしかありません。

一般に認知症の方の平均余命は認知症がない高齢者の平均余命よりも短いのですが、前頭側頭型認知症の場合はさらに予後が不良です。アルツハイマー型認知症よりも早い進行で痴呆化して数年で死亡するとされています。

以上、現在のところこの病気は残念なことに診断はできても、その診断が治療に結びつかない状態です。しかし、早期に正しい診断をつけなければ周囲が適切かつ可能な対処方法を検討できずに、過大な苦労を背負うことになります。また、症状の誤解から老人虐待を誘発する危険性も出てきます。
もし高齢者が記憶力の低下はそれほどでもないのに、人柄だけがどんどん悪い方向へ変化して、困った行動を起こすようになったら、前頭側頭型認知症の可能性があるので、ただただアリセプトに頼るのではなく、早期に専門医へ受診させて必要があると思います。

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