投稿日:2008年12月29日|カテゴリ:コラム

加齢とともに時の流れが加速します。つい先日、平成20年のカレンダーを壁に掛けたと思っていたのに、残る1枚も間もなく平成21年のカレンダーにその座を明け渡さなければなりません。新聞やテレビの報道番組が「今年の10大ニュース」一色になっています。こういった報道を観ると、あっという間の1年のように感じていたのに、実に多事多難な年であったことを思い知らされます。
私のコラムも今回が2008年の最終版となりますから、今年1年を振り返って、心に残る出来事を身近なことから地球規模のことまで階層的に一つずつご紹介しようと思います。
一般的な関心事はあらゆるメディアで取り上げていますので、本稿は一般的には取り上げられないことに限定します。また、選考はあくまで私個人の独断と偏見に満ちた基準に拠ります。

自分自身:6月末に胆嚢もろとも胆石を摘出しました。
それまでも御馳走を食べた後、度々心窩部の疝痛に襲われることがありました。「何かあるな」とは思うものの、「医者の不養生」でその度に消化剤と鎮痙剤でごまかしてきました。
しかし、6月の中旬になると、ことさら暴飲暴食した後でもないのに腹痛を感じるようになり、鎮痙剤を注射しながら診療するようになりました。その時点ですでに胆石であろうと自己診断し、友人の医師に腹部エコーで胆石の存在を確定診断されました。それでもまだ「夏休みを利用しようして治療しよう」などと甘く考えていたのです。
ところがついにその晩の痛みはどんな薬を飲んでも治まるどころか激しさを増し、痛みのために意識が朦朧とする始末。翌日が職員の給料日なので、朦朧とする意識の中で何とか給料の振込を終えて、翌朝医師の出勤する時刻を待って、近くの病院にタクシーで駆け込みました。
私の胆嚢は何年にも渡って胆石を育てていたようで、繰り返した炎症によって胆嚢が周囲と癒着していました。そのために手術はそう容易ではなかったようですが、大学の同窓生である外科の担当医が頑張ってくれて、なんとか腹腔鏡下の手術で胆嚢を摘出してくれました。
腹腔鏡による手術は開腹手術と違って、大きくお腹を切らないために、術後の回復が早いのです。おかげで私は術後3日目からは外出して診療することができ、5日目には退院しました。
幼少時は病弱で年中入院しておりましたが、10歳の頃からは生まれ変わったように元気になり、病気らしい病気をしてきませんでした。ですから、久しぶりに患者の身になって改めて医療と看護の何たるかを考えさせられました。的確な診断と治療は言うまでもありませんが、暖かく優しい看護師さんの対応が想像以上の元気を与えてくれます。本当にありがとうございました。
医療はやはりhumanな仕事です。決して機械で代行できるものではないことを再確認しました。
また、あと1年ちょっとで還暦を迎える己の年齢を実感しました。それほどたっぷりとは残されていない人生をどのように過ごすべきなのかということを考えました。
私は幸運にも医師というかけがえのない天職に恵まれました。開業医という分を踏み外さない範囲で、残りの人生を人様の役に立つように頑張りたいと決意しました。

家族:長男が第1志望の法科大学院の入学試験に合格しました。
息子は小学校から近隣の私立一貫校で学んできました。私から見て、才気煥発な天賦に恵まれているとは思えませんが、地道に努力する能力を持ち合わせている男です。しかし長い間、自分がやりたいことを見つけられないまま中学校、高校、大学へと持ちあがりで進学してきました。
真のモチベーションというものは周囲から押し付けられて得られるものではなく、自分で獲得するものですから、どうしたものかと心配しながらも黙って眺めていました。きっかけについての詳細は知りませんが、大学の3年生になって「法曹になりたい」と言いだしました。
法律家は私と全く縁がない分野ですから、とくに援助することもできずに、ただ彼の勉強する姿を見守っていました。私から見れば、彼はこの1年余、本当によく頑張っていると思っていましたが、彼にとっては自分の力で受験をするのは生まれて初めてのことです。入学試験には入学試験用のテクニックが必要とされますから、私は内心では浪人も致しかたなしと考えていました。
第一志望校への合格の報が入って我が家は一気に盆と正月が一緒に来たようなお祝い気分になりました。親馬鹿の私が大喜びであることは言うまでもありませんが、合格、不合格には運が付き物ですから、運にも恵まれたのだと感謝しています。
合格した事実よりも私が嬉しく感じることは、彼が自分の持ち味を十分に生かして日々の努力を怠らなかったことです。さらに、自分の進む道を自分で決定したことです。私自身サラリーマンの息子でありながら、一念発起して医師の道を選びました。そういう遺伝子を伝えられたことが喜びです。
とは言うものの法曹への道は今やっと出発点に立ったばかりです。これからが本当の勝負の時です。「学問に王道なし」。これまで以上に精進してほしいと願っています。

大塚界隈:めっきりと空地が増えました。
クリニックの裏手に「三業通り」という小道があります。三業とは芸妓置屋、待合、料亭の三業種のことで、三業地とはそれら3種の営業が許可された地域のことを言います。大塚駅から南に延びる細長い道の両脇は大塚三業地と呼ばれて、戦前は東京でも有数の色街でした。大分寂れましたが、十数年前までは政治家が秘密で集まる料亭もあったようです。
今の大塚駅周辺しか知らない人たちには想像もできないでしょうが、戦前、戦後しばらくは隣接する池袋や巣鴨など及びもつかないほど華やいだ町だったのだそうです。現在は書店とマクドナルドが入っているビルは白木屋という、この界隈で唯一のデパートだったのです。池袋に西武百貨店や東武百貨店ができたのはずっと後のことです。駅周辺も現在唯一存続している都電、荒川線だけではなく、巨大な操車場があり、都心方向に向かう都電の始発駅としての一大ターミナルだったのです。
地下鉄丸ノ内線が開設される際、当初の計画では始発は池袋ではなく大塚であったとも聞きます。それが、当時の町の有力者のつまらない私欲のためにJRとはかなり離れた場所に新大塚という駅が作られて、始発は池袋にさらわれてしまいました。
JR大塚駅は現在改修工事が行われて、やっとエスカレーターとエレベーターが設置されましたが、山手線の中で大塚駅のように出口が1ヶ所しかない駅は数少ないのではないでしょうか。池袋寄りに出口が増設されれば利用者が増えると思うのですが、その増設も地元商店主たちの目先の思惑で目処がたたないようです。
そんな取り残された町、大塚の中でも私のクリニックのある南大塚一丁目、二丁目地区は特に衰退が加速しています。商店が次々とつぶれてマンションに様変わりしていくのです。私の所属する商店会など商店会長自身が米穀店を廃業してコインパーキング経営者という有様です。もはや商店会の体をなしていません。マンションばかりの町になってしまいましたから、日が暮れると人通りが少なく裏寂しさに拍車がかかります。
どう考えたって供給過剰のマンション事情。空き家が目立つ昨今ですから、マンション建設も侭ならず、コインパーキングや更地になったままの土地が増えてきました。
そこへ持ってきて、10月からの大不況。クリニックの向かい側の土地ではマンションを建築していたデベロッパーの突然の倒産で、基礎建築を終えたところで工事が放棄されました。更地ならばいざ知らず、基礎部分だけが残った土地に買い手がつく筈もなく、放置されたままです。人気の少ない夜間、きわめて治安の悪い場所になってしまいました。
町は生き物です。時代とともに栄枯盛衰、変貌していきますが、町の発展には目先の利害を超えて、時代の先取りをする計画的行動が必要です。昔の賑わいの欠片も見られない現在の大塚の町を見るにつけ、自己利益を離れて先見性を持った指導者不在の悲劇を感じます。

医療業界:メンタルクリニックが急増しています。
医療崩壊の原因の一つに心療科の偏在が叫ばれています。医学部卒業生が小児科や産婦人科に進まず、美容外科志望者が急増していることを某テレビ局のドキュメンタリー番組で観ました。また、勤務医と違って、夜間、休日の過酷な当直業務が無く、しかも高収入が見込まれる開業医が急増しているという報告もあります。
このような報道からは、現在の医療崩壊の一因が楽して金儲けしている開業医の存在にあるという結論が誘導されます。この考えはある意味、間違っていません。体力があり、地域の救急医療を支えなければならないはずの若手医師が病院を離れて開業して、その結果勤務医不足が加速しています。
しかし、この流れの原因は「鶏が先か卵が先か」であって、開業する医師が皆「楽して儲けたい」という動機からだと考えられては困ります。勤務医の労働環境があまりにも過酷なために勤務を続けられずに、否応なく開業に踏み切る医師も多いはずです。その結果、病院勤務の環境はさらに過酷になり、残っていた医師も辞めざるを得なくなる。そんな悪循環の輪が出来上がってしまっているのではないでしょうか。
開業医志向の傾向は私の診療分野にも顕著に現れています。私が開業した18年前と比べて、精神科や心療内科を標榜する診療所、いわゆるメンタルクリニックの数は数倍に増えました。歯科ほどではありませんが、主要な駅周辺のビルの至る所にメンタル系のクリニックを見かけるようになりました。
私が開業した当時は精神科の保険診療点数が低いために、開業しても食っていけないのではないかと言われていました。しかしその後、社会の需要と精神科医たちの努力によって医療点数がそれ相当に引き上げられて、都心のビルを借りても経営していけるようになりました。また、精神科や心療内科は臨死のような救急場面に遭遇することが少なく、大がかりな医療器械を必要としないので開業しやすい科だという理由から人気が出てきました。
そのような理由からメンタルを標榜するクリニックが急増して、患者さんを奪い合う状況になってきています。既存の精神科開業医としては厳しい環境になりましたが、私は一人で診ていける範囲の診療しかしませんから、メンタルクリニックの乱立に既得権を振りかざして文句を言うつもりはありません。
ただ問題なのは、本来精神科医でも心療内科医でもない医師が、安直に開業できるという理由だけから精神科医や心療内科医になりすまして開業するケースが増えていることです。
我が国では標榜科目は自由に選択できます。したがって、昨日まで産婦人科の勤務医をしていた医師が、今日から精神科診療所を開設することだってできるのです。勤務は産婦人科であったが、個人的に精神医学を修得したと言われてしまえばそれまでですが、洋服を売っていた男が突然鮨を握るようなものですから、相当に問題があると思います。
実際に、とんでもない精神科医療をやっている医師には精神科以外の経歴の持ち主が多いのです。朝青龍のモンゴル雲隠れ事件の時に登場し、王監督の娘との結婚騒ぎでも話題になったH医師も、一応精神科医と自称していますが、実際には包茎治療を生業としている実業家です。私の周囲で怪しげな精神科医療をしている医師としては脳外科出身の医師が目立ちます。脳外科は大がかりな設備のある病院でしかメスを揮えませんから、開業するとなると設備を必要とせずに脳に関連した精神科を選択するのかもしれませんが、木に竹を接ぐような所業です。
もっと性質が悪いのは「隠れ精神科医」です。標榜科とは保健所と社会保険事務所に届け出る診療科です。必ずしも看板に明記してなくてもよいのです。これをよいことに、精神科とはおよそ無縁な科を開業しているのに、保健所と社会保険事務所にだけ精神科を届けている医師がいるのです。そうすれば、例えば不眠の症状の方に睡眠導入薬を処方するだけで、特別に精神科的な行為をしてもいないのに「外来精神療法」を保険請求できるのです。
こういう医者が貴重な医療費を食い物にしていますが、表面化しないので実態が把握できません。先日私の近くで整形外科をやっている男が酔いに任せてつい口を滑らしました。「うちも精神科やってるよ。あんなもの誰にでもできるから。」
嘆かわしいことに、医療の世界ではこのような輩が闊歩しているのです。

日本:4名の日本人研究者がノーベル賞を受賞しました。
物理学賞で南部陽一郎(現国籍はUSA)、小林誠、益川敏英の3博士が、化学賞で下村脩博士がノーベル賞を受賞されました。日本人のノーベル賞受賞者はこれで1949年の湯川秀樹博士以来16名となりました。
4氏の研究は相当以前の業績であり、その研究結果はすでに応用の段階に入っています。南部理論などは教科書にも記載されておりますから、遅すぎた受賞だと言えますが、4人同時受賞はやはり日本の科学研究界にとって素直に快挙と喜ぶべきなのでしょう。
4博士とも真摯で実直な研究者らしいお人柄がテレビの画面から滲み出て、品性下劣な拝金主義者や傲岸不遜な政治家の顔ばかり見せられてうんざりしていた私の心にすがすがしさを蘇らせていただきました。
中でも益川博士は天衣無縫な人柄に由来するお茶目な発言が耳目を集めて一躍時の人になりました。博士が「私は日本語しか喋れない」と言って、授賞式まで日本語で通したことには、同じく英語がからきしだめな私はひどく感激しました。
トップレベルの研究をしていく上で英語ができないはずはありません。自説は日本語で発表したとしても、海外の論文を読まないで研究を進めるわけにはいきませんから、町の英会話教室に通っているそんじょそこらのお習いごと好きな人なんかよりは、はるかに英語の読解力をお持ちであるに違いありません。
しかし、思考は日本語で行っているので、2,3歳の知能に成り下がってしまう片言の英語で話すのではなく、日本語で自分の思っていることを十二分に伝えたいという益川博士の考えには非常に共感するものがあります。
4氏のノーベル賞受賞で基礎研究という分野がにわかに脚光を浴びました。また、小林、益川、両博士は「考える力を育てるような教育が大切である」と力説して、教育のあり方にも一石を投じていただけました。
しかし、移ろいやすい世の関心は、急激な経済危機の到来もあって、1ヶ月もしないうちにノーベル賞の話題から離れて行ってしまいました。
先日、国立の某研究所で研究室長をしている後輩が「研究費がどんどん削減されていく。それも人件費を削ってくる。将来有望な研究者を放出せざるを得ない状況です。人は一朝一夕で育つものではない。」と憤慨していました。
今回のノーベル賞受賞を契機に、すぐには実益を生まない地道な基礎研究の大切さを学び、目先の利益だけを追求する悪しき風潮から脱却して、底辺の重厚な国造りを目指していただきたいものです。

世界:アメリカ発の大不況が到来しました。
国家ぐるみの詐欺商法と言える、いかさま金融商品の破綻に端を発した経済危機の嵐は、1930年の大恐慌の時に比べて格段の速さで世界中に伝播しました。麻生総理(ご本人がどれほど深刻に考えているかは定かではないが)の言うとおり、まさに70年に一度の未曽有の経済危機です。
この問題が今年のトップニュースであることは間違いありません。近頃新聞の紙面を飾る記事の大半はこの問題がらみですし、経済学、政治学、社会学の有識者が各人各様の論を展開しています。一精神科開業医の私などが、わずかな紙面で論じるには手強すぎるテーマですから、今回はあえて口を塞いでおきます。
素人ながら一言だけ言わせてもらえば、今回の騒ぎは経済の分野だけの問題ではなく、根本的な構造の大転換の、表面に現れた一現象であるということです。その大転換とはアメリカによる世界支配の終焉の始まりです。
今後数年は大変な状況が続くでしょうが、見方を変えれば、日本がとってきた明治維新以来の欧米追随姿勢、戦後のアメリカ属国化から上手に脱却して、新しいポジションを模索する絶好の機会が到来したと言えるのではないでしょうか。
前回のコラムでも書いたとおり、長い歴史を通じて我が国は漢字文化を育んできました。遠く太平洋の向こう側の顔の色ばかり窺っていないで、ここ数十年の恩讐を超えて、アジアの一員であることを再確認するべきだと思います。
内海のような日本海を跨げば、すぐにでも手を繋ぐことができる近隣諸国との関係改善に力を注ぐことが、これから日本が生きる道であり、日本をよりよく生かせる道ではないかと予感しています。

宇宙:事もなし。
私の知る限り、巨大彗星が地球との衝突コースに入ったとか、宇宙の膨張が収縮過程に転じたとか言うようなビッグニュースはありません。地球上の細々として煩雑な出来事などとは無関係に、これまで通り猛スピードで膨張を続けているようです。

自分中心に考えても悲喜こもごも、実にさまざまな出来事を乗せて1年の時が流れました。どちらかというと悲観的なニュースが多かったように感じますが、皆で知恵を絞り、汗水たらして難局を打開しましょう。平成21年に幸多からんことを祈って筆をおきたいと思います。よいお年をお迎えください。

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