投稿日:2008年12月22日|カテゴリ:コラム

数週間前から、私が数個の諺や格言と四文字熟語を使った小文を創作、提示して、それぞれの言葉について解説することが、我が家の夕食時の行事になりました。子供たちからの要望があったからです。
ことの始まりは「麻生さんが言葉を知らない」という話題でした。麻生さんは論外ですが、子供たちが「近頃は四文字熟語や諺、格言があまり使われないので、よく知らない。それなのにお父さんは文章だけでなく会話の中にもそういう言葉をよく使う。できれば少しずつ教えてよ。」と言ってきたのです。
そう言われてみると、私は会話の中で殊更気にも留めないで諺、格言、四文字熟語を使うのですが、しばしば子供たちから「それってどういう意味?」とか「どういう謂われなの?」と聞かれることが少なくありません。改めて注意して観察すると、町中の会話の中からは、こういった言葉が姿を消しつつあることが分かりました。
我が国は中国で創作された表意文字である漢字を使用する、世界の中でも数少ない民族です。表意文字はその名の通り、1字だけで1つの意味を表します。したがって、森羅万象、多くの事物や概念に応じた文字が作られています。文字を覚える作業は、26文字のアルファベットさえ覚えてしまえばよい英語などと比べて、想像を絶する労力を要します。欧米に比べて、文字ということに関しては、基礎教育の段階で詰め込んで覚えさせなければならないことが遥かに多いのですから、「ゆとり教育」なんて言ってはいられないのです。
それでも、ある程度以上の画数の漢字は偏(へん)と旁(つくり)の組み合わせですから、偏、旁、それぞれの表す意味を正しく理解すれば、それを組み合わせた漢字の意味は容易に想像できるようになっています。したがって、基本となる漢字を深く習得すれば、複雑な文字は比較的容易に覚えることができます。ここが中国人の優れた発想だと感心するところです。
表意文字は概念と結びついていますから、いったん脳に入力された文字は、脳の広範な領域にまたがって刻み込まれます。ですから、脳が障害されて失語症に陥った際には、表音文字である平仮名や片仮名は早期に失われてしまうのに対して、漢字はかなり進行するまで障害を受けにくいのです。
また、数少ない文字の組み合わせで意味のある文章を表現できるのでとても使いやすいし、表音文字だけの表現に比べて奥深い表現をすることができます。なにせ1つの文字がきちんとした概念に対応していますから。想像を逞しくすれば1文字だけで一定のメッセージを読み取ることさえできます。
そのよい例が、今年は「変」に決定された「今年の文字」。これは毎年末、日本漢字能力検定協会がその年一年を表す文字を全国に公募して決定し、清水寺貫主が書き記す文字です。
「変」1文字によって、度重なる首相の交代、アメリカの金融破綻に端を発した世界経済の急変、ガソリンをはじめとする物価の乱高下、「change」を掲げたオバマ氏が次期大統領に決定してアメリカの与党が共和党から民主党への政権交代が決定したことなどがあったこの1年を言い表しています。アルファベットではこうはいきません。表意文字文化ならではの行事です。
1文字でもこれだけのことが伝えられるのですから、数文字が組み合わされば、ちょっとした物語になります。それが三文字熟語、四文字熟語です。私が座右の銘としている「塞翁之馬」*1などは数年に及ぶ物語を集約した四文字熟語です。

四文字熟語は漢字文化圏にしか存在しませんが、諺、格言、名言は欧米の表音文字文化圏にも数多く見られます。多くは古代ギリシャ、ローマ時代の史実に由来しますが、近代になって生まれた言葉も少なくありません。
ダグラス・マッカーサーの退任演説の最後のフレーズ「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」などは渋くて重みのある言葉であり、さまざまな場面でよく使われます。石田純一の「不倫は文化だ」が後世の格言として生き残るとは思われませんが、これからも新しい諺や格言が創り出されていくでしょう。

こういった言葉を理解するためには、単に暗記するだけでは足りず、その来歴を知らなければなりません。つまり歴史を学ばなければならないのです。四文字熟語に関しては歴史だけではなく、漢文に関するある程度の素養も求められます。
私は単科の私立医大卒業であって、特別に文科系の教育を受けたわけではありませんし、それほどの読書家でもありません。それでも、四文字熟語や諺、格言をそこそこ知っているのはおそらく私が受けた中、高教育のお陰だと思います。
私の出身校である麻布学園は私立の中高一貫校です。家から近く、父も兄も麻布生であったので、当然のように麻布に進学しました。
麻布学園は今や開成高校や灘高校ほどではありませんが、東大合格者数が多い進学校というのが世間の評価するところです。しかし、父や私が在学した頃までの麻布学園の特色は受験教育ではありませんでした。
東洋英和女学校の男子部から出発した麻布は、学祖、江原祖六が「府立中学校に入れないような男子に対してもきちんとした教育が必要」という建学の精神が受け継がれてきました。校風を一言でいえば「自由奔放」でした。それ以外にも、「ちょっと世の中を斜に構えて見る」、「野暮ったさを軽蔑する」、「反権力、反体制」、「自己責任」といった言葉が似合う学校でした。
ですから、一般の方には信じてもらえないかもしれませんが、中高一貫して受験対策とは対極のカリキュラムでした。東京のど真ん中の学校だというのに、中学校では農業の授業があり、多摩川べりの農園に行って芋掘りなどの農業実習もさせられました。
もうすぐ大学受験という高校3年生の時に、「大学に行ってから役立つ」という信念をもった教諭たちがそれぞれ勝手に受験科目とは関係ない幾何学、論理学、哲学といった講義を展開していました。こちらはその大学に入れるかどうかが大問題だというのに、頓着されませんでした。物理学や生物学も文部省のガイドラインを無視して、理数系の大学で習うようなハイレベルの講義でした。
その流れの中で、希望進学学科には関係なく、やはり受験直前まで相当濃密に教えられたのが「古文」と「漢文」でした。私が現在使っている四文字熟語や諺、格言の多くはこの時の授業で習った知識が大半です。
大学受験には全く役に立ちませんでしたし、大学でも役に立ったとは思いませんが、この歳になって初めて恩師から受けた一連の教育のありがたみが理解できるようになりました。受験にとっても、また大学でも科によっては何ら実益に結びつかない分野だからこそ、あの時期に教えていただいてよかったのだと思います。特に私のような特殊な職業に就いた者は、大学以降の人生においては、よほどの動機がなければ漢文や古文に触れる機会には恵まれないからです。

四文字熟語や諺、格言を理解するには歴史を始め幅広い教養を身につけなければならないと述べました。したがって、会話の中でこういった言葉をお互いに使える間柄というものは、そうでない関係に比べてずっと深みのある人間関係を構築できます。それはお互いが歴史に目を向け、哲学する姿勢を共有できているからです。
熟成された日本語の語彙は貧困なのに、英語混じり、カタカナ略語の金融用語をやたらと駆使して偉そうにしている人が増えていますが、そういう会話しかできない人々の人間関係は、その間柄も利害優先で浅薄な域を脱し得ません。
国民の民度を向上し、質の高い社会を作るためには是非とも教養を高めるような、言葉の教育に力を注がなければならないと思います。
折しもNHKが10月から日曜日の深夜帯に「漢語論語」という番組を放映しています。1回の番組で3つの熟語や諺をコントをまじえながら分かりやすく解説しています。この番組がいつまで続くかは視聴率次第ですので、是非ともお休み前にご覧になることをお奨めします。

私に与えられたわが家でのこの毎日の業務。最初のうちは数個の言葉をA4の紙に列挙するだけでした。しかし、だんだんとハードルが高くなり(実際には自分で勝手にハードルを上げているのかもしれませんが)、最近は「今日のお言葉」と呼び、朝日新聞の「天声人語」のように、今日一日に私が感じたことをテーマにしてミニコラムを書き、その中に数語の4文字熟語と諺、格言を散りばめる体裁になりました。
この仕事は想像していた以上に労力を要求されます。週1編、このコラムを書くだけでもかなりの負担なのに、さらに苦役が増えてしまいました。朝から何を書こうか眉間に皺を寄せて思案の毎日です。

最後に、今晩の夕食時にお披露目する「今日のお言葉」を皆さまにもご紹介してこのコラムの結びとさせていただきます。
「2008年12月21日
今日は気温が20度近くまで上がり風もない『小春日和』であった。こんな日は健康のために陽光を浴びて運動をするべきである。それにもかかわらず、また常日頃患者さんにもそのように指導していながら、自身は蟄居を決め込んでいた。『医者の不養生』の誹りを受けても致しかたない。しかし、部屋に籠っているにはそれなりの理由がある。なぜならば、私は休みの日にまとまった運動をするだけの時間が取れないのだ。この歳になって、週1編のコラムを書くという、自らに課した責を果たすためには、日曜日はほぼ一日、机に向かわざるを得ない。『生地安行』や『学知利行』を果たせなかった浅学非才の私には『困知勉行』*2以外に残された道はないのだから。
嗚呼、『少年老い易く学成り難し』*3
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*1塞翁之馬:出典「淮南子」。北方の塞(とりで)のそばに住む老人の飼っていた馬が塞の外に逃げた。隣人がそれを慰めると、老人は「この不幸が幸いとならないと言えようか」と答えた。やがて逃げた馬が良馬をたくさん引き連れて戻ってきた。今度は隣人がこれを祝うと老人は「この幸いが不幸とならないと言えようか」と言った。果たして老人の息子がその馬から落ちて足が不自由になった。これを見て隣人が同情すると、老人は「この不幸が幸いとならないと言えようか」と答えた。果せるかな、この息子は、足が不自由なおかげで徴兵を免れたという故事から、人生の幸不幸は、変転定まらないことを例えている。転じて、いたずらに一喜一憂するべきでないと諫める言葉である。
*2生地安行、学地利行、困知勉行:出典「中庸」。人が踏み行うべき道を認識して実践していくには3つの道程がある。すなわち、生まれつき先天的にそれを持っている完全な道徳的人間の「生地安行」、生まれつきには持っていないが、後天的にそれを認識し学んで正しいと知り、初めて実践する「学地利行」、生まれつき聡明でなく、発憤して心を苦しめ、やっとのことでそれを認識し、一心に努力を重ねて実践する「困地勉行」である。修養には結果は同じ3つの道があるから、才能の劣った者でも努力すべきであると言っている。
*3少年老い易く学成り難し:出典は朱熹の詩「偶成」。若い時は先が長く慌てる必要はないと思っているが、月日の過ぎるのは早くてすぐに年をとってしまう。しかし学問はなかなか成就しないものである。だから、若いうちから寸暇を惜しんで学問に励まなければいけないということ。

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