投稿日:2008年7月14日|カテゴリ:コラム

1792年にフィリップ・ピネル(Philippe Pinel、1745-1826)がパリ郊外のビセトール病院で、精神障害者を鎖で拘束することをやめさせたことは以前のコラムでも書きました。精神障害者が長くて暗い中世の頸木から解き放たれて、近代精神医学が産声をあげた画期的な出来事です。
しかしながら、精神障害に対する科学的な理解はそう簡単には進展しませんでした。グリージンガー (Wilhelm Griesinger、1817-1868)の「単一精神病」説で代表されるように、精神障害は依然混沌として無差別に「精神病」として扱われていました。
19世紀の後半になるとフランスのモレル、ドイツのヘッケル、カールバウムといった精神科医たちによって、十把一絡げにされていた精神病の中から現在、統合失調症として分類されている一群を分離しようという試みがなされました。
そして、ハイデルベルグ大学教授であったクレッペリンEmil Kraepelin (1856-1926)が、1893年の「精神医学書 Compendium de Psychiatrie」第4版の中で,この一群の精神障害に「早発性痴呆 Dementia Praecox」名前をつけて1つの疾患群として分離しました。またクレッペリンは狭義の精神障害を早発性痴呆と躁うつ病の二つに大きく分類しました。
20世紀に入って、スイスのチューリッヒ大学教授、ブロイラー( Eugen Bleuler 、1857-1939)は、この疾患は必ずしも痴呆状態に到るわけではないことと、この障害が単一の疾患ではなく、幾つかの病態の集まりである「症候群」であると考えました。また、この障害の示す症状の本質は、さまざまな概念と概念との連合(association)がうまくいかなくなることにあると看破して、Schizophrenieということばを作って、病名として提唱しました(1911年)。因みに、Schizoは「分かれる」、「分離する」という意味を持つことばで、phrenieは「心」、「精神」を表わす古いことばです。
これ以降、多くの優秀な精神病理学者によって統合失調症の理解が飛躍的に進捗することになります。しかし一方、精神障害の治療に目を向けてみると、ピネルの後100年以上も科学的な治療法は開発されないままでした。つまり、精神障害に関しては診断はあっても治療はないという時代が長く続いたのです。

ピネルは施設の中で精神障害者に温浴療法を試みて、なんとか社会復帰させようと情熱を傾けましたが、充分な効果はあげられませんでした。ピネルの弟子のエスキロールは「精神科の患者が、騒ぎや騒音を離れて楽しめる静寂と、職場や家族から離れて、以前の不健康な感情から解き放たれることは治療上有益な効果がある」と考えて、施設への隔離を進めました。
こういった施設はアサイラム(Asylum)と呼ばれて、ヨーロッパを中心に爆発的に世界中に広まりました。このアサイラムの中で行われていた治療は規則正しい生活をするという生活行動療法の先駆けのようなものが主体でしたが、会話を通して治療しようという試み、すなわち精神療法も誕生しました。
これといって有効な治療法を見出せないでいた精神科医たちはこぞって精神療法に没頭しましたが、たまたま症状が軽快する例があるといった程度で、真に有効な成果を得られなかったことは言うまでもありません。
有効な治療方法を持たないままに患者を受け入れていたアサライムはやがて「慢性の患者と痴呆患者のためのだだっ広い倉庫」と化してしまいました。つまり、回復して社会復帰する可能性もなく、殺到する入院患者に対して、精神科医たちは圧迫されて、ただ隔離、放置するだけの収容施設へとなってしまったのです。
その間、精神科医たちも会話による精神療法のほかに催眠療法、水治療法、温熱療法、松葉浴などの入浴療法、電気刺激療法、マッサージ、理学療法などいろいろな方法が試行錯誤的に試みてはみました。しかし、その多くは末梢神経を刺激することで中枢神経系の症状の改善を図るものでで、いずれも失敗に終りました。

オーストリアのユリウス・ワーグナー・ヤウレック(Julius Wagner Ritter von Jauregg、1957-1940)は1883年、感染症で発熱した精神病の患者の精神症状が改善したことに興味を持って、以来、発熱によって精神疾患を治療することに取り組みます。丹毒やツベルクリンでの試みは失敗に終りますが、マラリヤ寄生虫接種による発熱によって神経梅毒の治療に成功しました(1917年)。
この発熱療法の業績によってワーグナーは1927年にノーベル生理学・医学賞を授与されますが、この治療法は神経梅毒に対してだけ有効であって、他の多くの精神疾患に広く適用されるものではありませんでした。
その後、阿片、モルヒネ、幻覚剤、覚醒剤、睡眠薬、麻酔薬などが治療に試みられました。この中では睡眠薬や麻酔薬によって数日間眠らせるという持続睡眠療法が一時有望視されましたが、精神症状の改善効果は一過性のものであり、これに対して誤嚥による死亡や薬物耐性などの問題が大きすぎるために、やがて姿を消しました。
ポーランド人精神科医マンフレート・ザーケル(M.J.Sakel)はウィーンでインスリンによって昏睡状態をきたした患者の精神症状が改善することに着目しました。ザーケルは1933年、インスリンを大量投与して、人為的に低血糖ショック状態を引き起こすことによって、統合失調症の興奮状態やうつ病のうつ症状を治療するインスリンショック療法を提唱して、一時は世界中で採用されましたが、死亡例が多すぎるために1950年代には廃れてしまいました。
1934年、ハンガリーのメドゥナ(L.J.Meduna)がカルチアゾールという薬物によって人為的に患者にけいれんを起こさせることによって統合失調症の症状が改善することを報告しました。
けいれん療法が考え出された背景には統合失調症の患者はてんかんになりにくく、てんかんの患者は統合失調症になりにくいという、現在は否定されている考えが基盤になっていました。彼らはこの考えから一歩飛躍して、人工的にてんかんを起こさせれば統合失調症がよくなるのではないかと考えたのです。
やはり同様の理論から、イタリアのツェルレティ(U.Cerletti)とビニ(L.Bini)が頭皮上から100Vの交流電流を通電することによって患者にけいれんを引き起こして、精神症状が改善することを報告しました。統合失調症では幻覚妄想、精神運動興奮が、うつ病でも自殺念慮などの重症のうつ症状が短期間で改善することが分かりました。「電気けいれん療法(electroshock therapy)」の登場です。
この電気けいれん療法はネーミングや見かけのおどろおどろしさとは違って、重篤な副作用も少なく効果発現が早いことから、後で述べる抗精神病薬による薬物治療が登場するまで、精神科治療の一つの柱となりました。薬物治療が主役となった現在でも、改良された「無けいれん電気けいれん療法」が重症のうつ病に対して短期間で治療効果が得られる治療法として確立されています。

1950年、フランスのローヌ・プーラン社(現在サノフィ・アベンティス社)が抗ヒスタミン作用を持つ外科的麻酔薬としてクロルプロマジン(chlorpromazine)を開発しました。当初、抗ヒスタミン作用が弱すぎるとの評価でしたが、1951年にアンリ・ラボリ(Henri Laborit)がこの薬が精神的に落ち着かせる作用があることに気付いて論文に発表しました。
1952年、パリ、サンタンヌ精神病院の医師、ジャン・ドレー(Jean Delay)とピエール・ドニカー(Pierre Deniker)は8名の統合失調症患者に対してこのクロルプロマジンを投与して精神症状が改善することを報告しました。現在の精神科薬物療法の出発点であり、ピネルの業績に匹敵する偉業だと考えます。
その後、類似の構造を持つフェノチアジン系の薬物が次々に開発されて、抗精神病薬あるいは神経遮断薬と呼ばれて統合失調症や躁病の治療に一筋の明るい道が開かれたのです。
さらに1957年ベルギーのヤンセン社のポール・ヤンセン(Paul Janssen)がアンフェタミン(覚醒剤)の運動量昂進に対して拮抗する薬物としてハロペリドール(haloperidol)を開発しました。この薬物はクロルプロマジンとは構造的にまったく異なるブチロフェノン系の薬物ですが、クロルプロマジンに勝る抗妄想、抗幻覚作用を有する抗精神病薬であることが分かりました。
また、1954年にはメプロバメート(meprobamate)、1957年にはディアゼパム(diazepam)といった抗不安薬が、同じく1957年にはMAO阻害薬のイプロニアジド(iproniazid)と三環系抗うつ薬のイミプラミン(imipramine)といった抗うつ作用を持つ薬が発見されました。
このように1950年代に入ってから、精神症状に効果を示す薬物が相次いで発見されて、精神科治療はめざましい発展を遂げることになります。

統合失調症の領域では抗精神病薬の開発は以下の3つの変革をもたらしました。
1. それまでは事実上、ただ収容されていただけであった患者さんに対して、初めて本格的な治療が施されるようになりました。患者さんたちは一生を病院で過ごすのではなく、症状が改善して社会復帰できるようになったのです。入院主体の治療から、外来での通院治療主体へと治療体系の大転換がなされたのです。
2. 統合失調症が脳の障害であるということが再認識されました。それまで統合失調症は、診断はつくものの、これといった決定的治療手段が見つからなかったために、一部の人たちの間で統合失調症は脳の疾患ではないという誤った理解がなされてきました。精神療法家、特に精神分析を行う精神科医を中心に、統合失調症は母親の誤った養育態度が作り出すとか、不幸な社会環境が生み出すといった、心因論的な主張がまかり通っていたのです。
抗精神病薬の普及とそれに伴う患者の劇的な症状改善は、統合失調症が治療可能な神経生物学的な疾患であることを証明し、精神医学を本来の自然科学の世界に引き戻しました。
3. 統合失調症の病因、病態生理の解明に多大な寄与をしました。次々と発見される抗精神病薬の薬理作用を検討すると、共通してシナプス間におけるドパミン遮断作用(正確にはドパミンD2遮断作用)があることが分かりました。このことから統合失調症の発症にドパミンの伝達異常が深く関与しているのではないかと考えられ、ドパミンを中心とした神経伝達物質に関する研究に力が注がれ、数多くの発見が得られるようになり、本疾患の本態解明が実現可能な課題にまで近づきました。

統合失調症は古代ギリシャ時代以降、隔離収容する以外手立てのない、もっとも攻略困難な病気でした。しかし、1950年代以降の精神薬理学的発見によって急速に治療の道が開けました。この50年余りのこの分野における進歩にはめざましいものがあります。
このペースで研究が進めば、近い将来もっと優れた、画期的な治療薬が開発されることが充分に期待できます。さらに、治療するだけではなく、より積極的に発病を予防する薬物の開発も可能だと思います。
私が精神科医になったのがクロルプロマジン開発の後であった幸運にただ感謝するばかりです。

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