投稿日:2008年6月30日|カテゴリ:コラム

退陣間際の安倍前首相を揶揄して「KY」という言葉が流行りました。KYすなわち「空気が読めない」の略で、安倍前首相が国民からの要望をまったく理解していないかのような発言をくり返していたためにそう言われたのです。
「空気を読む」ということは、人とのコミュニケーションの中で相手の身振りや表情、その場の雰囲気、状況の流れから推察して、言語そのもの以外のメッセージを相手から読み取るということだと思います。
社会的動物として生きる人間にとってはかなり重要な能力と言えます。まして、アメリカのような多民族、他宗教国家と違って、長い間、単一の言語、単一の文化を守り続けてきた日本では「言わずもがな」とか「空気を読む」という能力がより強く要求されます。日本に限らず、一々言葉で事細かに説明しないと了解できない人は馬鹿にされ、仲間はずれにされやすいことは世界中どこででも言えることだと思います。しかしよく考えてみると、この仕草や状況、雰囲気から相手の心を読み取る能力は、当に高度で洗練された知的機能です。

1944年オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガー(Aspeperger.H)が特徴的な自閉症の児童の一群を報告しました。しかし、同時期(1943年)にアメリカの精神科医レオ・カナー(Kanner.L)がやはり幼児の自閉症の一群についての報告をして、早期幼児自閉症(Early Infantile Autism)という概念を作りあげていったので、当初アスペルガーの業績はドイツ語圏では反響を呼んだものの、世界的にはあまり注目されませんでした。1980年代から徐々に再認識されるようになって、1990年代になって世界中の注目を浴びるようになりました。
自閉を示す発達障害に関してはアスペルガー症候群、カナー症候群のほかに、高機能自閉症、低機能自閉症、サヴァン症候群、自閉性障害などの用語があって、それぞれの定義があいまいであったり、各疾患間に明確な境界線を見出せないために混乱しています。
現在はこういった発達障害を自閉症スペクトラムとして捉えて、高機能自閉症はアスペルガー障害と、低機能自閉症はカナー症候群とほぼ同義であると言ってよいでしょう。アスペルガー症候群とカナー症候群とは主として知的機能(知能指数IQ)の高低によって区別されます(図1)。
すなわち、アスペルガー症候群は知的機能が正常あるいは高いにも関わらず極度に自閉的な人です。妊娠中、周産期および出産時に大きな異常はなく産まれ、乳児期も正常な発達をします。幼児期の言語発達にも遅れは認められませんが、5歳くらいまでには通常の児童とは異なる徴候が現れてきます。そして、青年期、成人期を通して異常が持続します。養育環境などに大きく左右されないことから生物学的な発達障害と考えられます。
imagea001.gif

―図1―(ウィキペディアより引用)
アスペルガー症候群の特徴的な症状は以下の6つに要約されると思います。
1.他者と相互に関わるための社会的な能力の著しい障害:人としての共感能力に欠け、他人の感情や考えを理解して相手の心の動きに適切に反応しようという本能的な衝動が欠落しています。また、社会で暗黙の了解となっているようなサインを認識することができません。アスペルガー症候群の人たちは自分自身の現実にだけ心を奪われているのです。このために、他人の感情を察知できないで、情緒的にも社会的にも不適切な行動をとってしまいます。妥協、複雑な動機、その時々で変化する心身の状態、条件付の主張、不確実な感情といった曖昧なものごとを理解することができません。真実か虚偽か、善か悪か、正直か嘘か、必ず黒白をつけて考えないと理解できないのです。
人間関係を円滑にするための技巧を持ち合わせていない人は、愚直なほど正直で率直な人、無垢で誠実な人と受け止められることもありますが、多く場合は無神経でぶしつけ、自己中心的で他人に対する配慮に欠けた人として疎んじられ、遠ざけられます。結果として仲間や友人を作ることが困難です。
アスペルガー症候群の人たちは、この障害がほとんど啓蒙されていないために、社会の中でさまざまな不利益を受けていると考えられます。
2.非言語コミュニケーションの障害:言語以外の手段のコミュニケーションが著しく障害されています。目と目で見つめあうアイコンタクト、表情、姿勢、身振り手振りなどのボディ・ランゲージがうまくできません。このために目を合わさないで話したり、逆にじっと見据えて相手に緊張感を与えてしまったりします。喜怒哀楽、その場の状況に相応しい表情ができないで、こわばったままでいます。ジェスチャーも奇妙で、話している内容に不相応な奇妙な動作をします。
人間のコミュニケーションは言語を用いて行われていますが、キャッチボールしている内容は言語そのものよりも表情やボディ・ランゲージを介して伝わるニュアンスのほうが圧倒的に大切であるということが心理学的に言われています。アスペルガー症候群の人たちは言語そのものの表わす定義を字句通りにしか理解できないので、一般社会ではかなり不都合を生じると思います。
3.奇妙な話し言葉と言語感覚:会話は抑揚や強弱の置き方が普通の人達とは変わっていて奇妙な印象を与えます。話すときも書くときも堅苦しい学術的な言葉遣いをする傾向があります。話している時に相手が理解しているか、もうその話題に飽きているかといった反応を察知できないために一方的にしゃべりまくるか、ほとんどしゃべらないか、極端に走ります。また、相手の言葉を字義通りに受け取るために、皮肉やユーモアを理解するのが苦手です。ユーモアを持ったとしてもそのユーモアは通常の人の感覚とは違ったユーモア感覚のために、相手はまったく可笑しくなかったり、神経を逆なでされることが少なくありません。
幼小児期には相手の言葉をオウム返しにする「反響言語」が見られることもあります。成人になると同じことばを何度もくり返す「保続症」のような症状が見られることもあります。
4.きわめて狭くて限定された領域への興味・関心:きわめて数少ない興味・関心の対象に対して異常なほどの集中力で没入します。ごく限られた自分の関心事以外のことにはまったくと言ってよいほど無頓着です。また、その興味の内容や現れかたには繰り返しの傾向が認められます。つまり、ごく限られたことに対して強迫的かつ常同的に寝食を忘れて没頭するのです。したがって、興味の対象が有益なことであった場合には偉大な業績を残すことがあります。この特性が、アスペルガー症候群の人の中から歴史上の偉人を生み出す結果になります。
5.反復的、常同的な行動:特定の日課や儀式をかたくなにこだわって常同的にくり返します。毎日の決まりきった行動を何かの原因で阻まれて、いつも通りに日課が果たされなかったりすると、ひどく動揺します。パニックになることも少なくありません。そういった行動は内容だけではなく、時間にも厳密です。必ず時間配分を決めてそれにしたがって行動したがります。物を収納する場所もいつも自分が決めている場所でなければ気がすみません。食べ物もいつも同じものを食べるのを好みます。服装も時や場所、季節とは関係なく強迫的に同じ服着たがりますので、放っておくと外観にはまったく無頓着と捉えられてしまいます。
6.運動が著しく不器用:種々の運動能力が劣っているだけではなく、歩く時にもぎごちなくて普通に腕を振れなかったり、靴の紐が結べない、話をしている間の何気ない動作や拍手といった、普通の人がいとも簡単に行える動作を円滑に行うことができません。

アスペルガー症候群の人はいったいどのくらいいるのでしょうか。アスペルガー障害の正確な診断をすることができる医師が少ないこと、また他の発達障害との境界が不明確なことなどから正確な数字は出ていません。一説には300~400人に1人と言われています。この計算ですと我が国では30万~40万人のアスペルガー症候群の方がいることになります。もう少し広い概念から計算すると120万人とも言われています。
ともかく発達障害のために社会に適応することに困難を感じている人は想像以上に多いものと考えられます。
男女比をみると圧倒的に男性に多く、男:女=8:1とも言われています。この理由としては女性のほうが元来社会適応しやすいからだとか、脳の発達期に男の脳のほうが外からの侵襲を受けやすいからだとか言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。
アスペルガー症候群の人の多くは社会適応能力の欠如から、仲間が作れずに、疎んじられて苦しい目にあっています。学校などでもいじめの対象になっていると思われます。
しかし、幸運にも彼らの特性である4.と5.が充分に発揮できる環境が与えられると、常人ではどんなに努力しても及ばない、偉業を達成します。なかでも、数学、物理学、哲学、芸術などの分野ではアスペルガー症候群であったと思われる巨人たちが多数挙げられます。
ミケランジェロ・ブオナローティ、アイザック・ニュートン、フィンセント・ファン・ゴッホ、アルバート・アインシュタイン、バートランド・ラッセル、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン、アンディ・ウォホールなどがその例です。

言語以外の、仕草や状況、雰囲気から相手の心を読み取る能力は相当に高度な知的機能のように思われますが、ヒト以外の高等動物にも備わっている機能です。動物同士のコミュニケーションのほとんどは言語を介したものではありません。また、同種の動物間のコミュニケーションにとどまらず、動物とヒトとの間のコミュニケーションも言語を介しているとは考えられません。
犬を飼っていらっしゃる方は常に体験されていると思いますが、飼い犬は言葉が通じなくても、ご主人のその時の機嫌を鋭く察知して、上手な対人関係を継続する能力を備えていることを実感されているでしょう。
つまり非言語によるコミュニケーションのほうが歴史的に古い機能です。ところがヒトでは他の動物と異なって、言語機能が高度に発達したためにコミュニケーションの多くを言語に頼るようになりました。
アスペルガー症候群の人たちは人が動物として本来持っているはずの非言語コミュニケーション機能が発達できずに、ヒトだけが備えている言語機能だけが発達したと言えます。このために言語(外言語および内言語)に頼る生き方しかできないのです。論理的な思考には卓越していますが、予測不可能なものや不合理なものへの対応はきわめて苦手です。
原因としてミラーニューロンの機能不全が注目されていますが、ミラーニューロンの欠陥だけではアスペルガー症候群の全ての症状を説明することはできません。ミラーニューロンについてはいずれコラムでお話します。
前に述べましたように、アスペルガー症候群は養育環境によって決定されるものではありませんから、幼小児期の育て方をいくら工夫しても発症をくい止めることはできません。また、現在のところ有効な治療薬も見つかっていません。
ところで、アスペルガー症候群というと異常者であり、その他の人は正常者ということになりますが、視点を変えて彼らをみた場合、客観的で、事実を正確に理解して表現するということには一般の人よりも優れていると言えます。また、「言葉を額面通りに受け取る」とか「細かい事象にこだわる」ということも「厳正に規則を守る」と言い換えることができます。
こうして考えると、発達の仕方が他の多くの人達と異なっている、単なる少数派であると考えることができます。正常、異常と考えずに多数派、少数派と考えて彼らを社会の中で受け入れてあげることが最善の方法であるように思われます。

さて、KYな総理大臣の系譜はいまだに続いているように思われます。ではKYな彼らは上で述べた2.非言語的コミュニケーション能力を欠くアスペルガー症候群に該当するのでしょうか。私には安倍前総理も福田現総理もアスペルガー症候群であるとは思えません。彼らにはただ国民の窮状を深刻に受け止めて、国民のために国家運営をするという基本的な姿勢が欠如しているだけであるように思います。
これは残念なことではありますが、逆に不幸中の幸いとも言えます。なぜなら、彼らは空気を読もうとしていないだけで、読むことができないわけではないからです。
私たち国民の課題は、まさに、いかにして彼らが「読まざるを得ない空気」を醸成していくかにあると思います。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】