投稿日:2008年6月22日|カテゴリ:コラム

先週、心神喪失状態、心神耗弱状態というものについての説明と、そのように判定された場合の刑事裁判上の責任能力に関してご説明をしました。この責任能力は刑法上だけではなく民事訴訟においても問われる重要な争点です。

さて、現在の世論は「被害者および被害者家族の感情重視」の流れにあるように思います。確かに、なんの過失もないのに不幸な事件に巻き込まれた被害者のことを思えば、加害者が情状酌量されて軽い刑で済んで、何年か後には社会で生活をすることには耐え難い感情が湧くものと思います。
しかしながら、あまりにその点に比重をおくと刑事裁判は「目には目を。歯には歯を。」という報復の場になってしまいます。現在テレビでくりひろげられる、扇動的なワイドショーによる過熱報道と来年から開始される裁判員制度とあいまって、この報復至上主義に拍車がかからなければよいと懸念するものです。そして、こういう流れになるといつも検討されるのが保安処分です。

保安処分とは「犯罪者もしくはそのような行為を行う危険性がある者」を対象に、刑罰とは別に処分を補充したり、犯罪原因を取り除く治療や改善を内容とした処分を与えることを言います。
保安処分の必要性をはじめて提起したのは19世紀のドイツの刑法学者クライン(Ernst Ferdinand Klein;1744〜1810)です。社会の健全を保つためには刑罰手段だけでは犯罪防止対策として不充分と考えたのです。責任無能力者による犯罪や再犯の危険性が高い常習犯に対して、刑罰以外の特別な手段をもって対応すべきであると考えて、保安処分の必要性を説きました。
刑罰は犯罪行為に対する「責任」を基礎として、その行為に対する応報を行為者に与えることで犯罪の一般予防を果たそうとするものです。これに対して保安処分は「危険性」を基礎として、再犯あるいは犯罪防止のために特別予防をするものです。
すなわち、刑罰とは実際に発生した犯罪に対処したものであるのに対して、保安処分とは「将来犯罪行為をする危険性がある」とした特定の対象者に対して行うものです。
刑罰は行為者に苦痛を与えることが本質的な内容ですが、保安処分は犯罪防止を目的に治療・改善することを内容としています。とはいうものの、保安処分でも身柄を拘束することも狙いの一つですから大きな問題になります。
我が国では非行少年に対する保護処分や売春婦に対する補導処分などが保安処分の一種と言えますが、刑法上正式に保安処分は採用されていません。しかし、ずっと古くから刑法に保安処分制度を導入しようという動きは再三ありました。
1926年(大正15年)、1961年(昭和36年)、1974年(昭和49年)に答申された「刑法改正要領」は、いずれも保安処分を刑法に盛り込む内容でした。例えば1974年に答申された刑法改正要領では精神障害者に対する「治療処分」や、薬物中毒者に対する「禁絶処分」を裁判所が刑罰の代わりに言い渡すことができるとして、保安施設への強制収容やその期間までもが明記されていました。
しかし、再犯の危険予測自体が極めて困難で、客観的に行うことは不可能であろうという点。また、保安処分の対象者に対する医療制度が保安処分の本来の目的を達成するほどに充実していない点などの批判が相次ぎました。結果、日本弁護士会、日本精神神経学会などからの強い反対によって具体化はしませんでした。

私のような一精神科医がなぜこの保安処分制度についてのコラムを書くのかというと、保安処分の対象者の大半が精神障害者であるからです。
「精神障害者が罪を犯した場合、凶悪な罪を犯しているのにもかかわらず、責任能力が欠落しているという理由から無罪になったり、刑が減軽されるのは納得がいかない。」、「それならば、そのような者は予め社会から一生隔離して犯罪の危険性を減らしておくべきだ。」という意見が必ず出てくるのです。
事実、精神障害者にかかわるわが国の法律は保安処分的色彩をめぐって過去からずっと大きく揺さぶられてきました。
明治33年の精神病者監護法は精神障害者を完全に社会から隔離する保安処分に基づく法律でした。すなわち、精神病者は地方長官の許可を得れば、私宅や病院などに監置できるという法律でした。
大正8年に制定された精神病院法という法律は都道府県が精神病院を設置できるという法律でしたが、実際には病院の設置はまったく進みませんでした。
やっと精神障害者を病人として扱う初めての法律ができるのは戦後も5年たった昭和25年になってです。精神衛生法がその法律です。この精神衛生法によって初めて都道府県に公立の精神病院の設置が義務付けられ、長年にわたって精神障害者を苦しめてきた私宅監置が廃止されました。現在の精神保健福祉法の原型ともいうべき法律で、自傷他害のおそれのある精神障害者に対する措置入院制度や保護義務者の同意による同意入院の制度が創設されました。これによって精神障害者に対する処遇は一定の決着を見ました。
しかし、1964年(昭和39年)3月にアメリカ大使ライシャワーが大使館前で統合失調症の患者に刺されて重症を負った、所謂ライシャワー事件がおこることによって、精神衛生法に対する内外の批判が相次ぐことになりました。これを受けて昭和40年に精神衛生法の一部が改正されて措置入院制度が強化されて、同法の保安処分的色彩が強いものとなりました。
ところが昭和59年3月に宇都宮病院という精神科病院でおきた看護職員による患者の傷害致死事件(宇都宮病院事件)*1をきっかけに日本の精神医療のあり方が再び世論の批判を浴びるようになり、昭和62年に精神衛生法に代わって、患者の人権保護を強く打ち出した精神保健法が制定され、その後何回かの改正を経て、平成7年に精神保健および精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)が制定されました。
この間、世論は障害者の人権のほうに比重がおかれていたのですが、その後精神鑑定によって判決が大きく左右されるような重大事件が多発しました。その結果、再び精神障害者は危険であり、社会から隔離することが望ましいという論調が力を増してきました。そして平成13年6月に大阪府池田市で起きた池田小学校事件*2によって世論は再び大きく方向転換しました。世論というものは何年かおきに右や左に大きくぶれるものです。
こうして、平成17年7月に保安処分法である「心神喪失者等医療観察法」が日本精神神経学会や日弁連の反対を押し切って施行されたのです。この医療観察法は心身喪失や心神耗弱の状態で重大な他害事件をおこしたものを指定医療機関に強制的に入院させたり、通院させることを定めた法律です。
多くの反対意見を押し切って施行された法律ですが、指定医療機関の整備も不充分であり、入退院のための「鑑定ガイドライン」も完成していないままの見切り発車でした。現時点でも十分な体制には至っていません。
国は「社会復帰のための手厚い医療」と言っていますが、実際には「治安のための長期拘束」になる可能性が否定できません。既に対象疾患を治療効果が期待しがたい人格障害、発達障害、認知症にまで広げようという動きがあります。大変危険な動きです。
医療観察法の拡大適用がなぜ危険なのかというと、保安処分の対象者が際限なく拡大されて乱用される危険が拭いきれないからです。
以前のコラムにも書きましたが、一般的に(もちろん例外はありますが)、生来おとなしい人格の方が精神障害になるとおとなしい患者さんになります。生来粗暴で凶悪な人が精神に障害をきたした場合には普通の病院では扱いに困るとんでもない患者になります。社会に対して危険性が高いか低いかということは病名だけで決まるわけではないのです。
ところが、保安処分制度の適用がどんどん拡大されていくと、精神障害というだけで対象者になり、身柄を拘束されて社会から隔離されてしまう可能性が高いのです。
わらには厳密に精神障害者だけに適用される保障はありません。もし国家がこの法律を濫用すれば、国家権力は反体制派の人間に精神障害者のレッテルを貼って、長期にわたって監禁するおそれがあります。現に旧ソ連や中国では治安維持を理由に保安処分が利用されて多数の政治犯が精神病者として幽閉された歴史があります。我が国でも戦前は治安維持法の名の下に政治犯が数多く拘禁されました。
国家という圧倒的な権力に「打ち出の小槌」を持たせてしまうことになるおそれがあります。
それでは、明らかに再犯を重ねるおそれの高い人間を世の中に放置しておくのが正しいのかと問われれば、それも否です。
私の58年間の人生経験から考えて、世の中には本当に危険で隔離するしかない人間もいると思います。ただ、それを病名で決めろといわれても私にはできません。じゃあどうやって決めるんだと聞かれれば、事例を個別的に詳細に検討していくしかありません。それでも主観的な曖昧さが残りますが、その作業を煩わしく思ってはいけません。
簡単に線を引くことができない事柄を法律という名の下に規則化しなければならないところに難しさがあるのでしょう。誰か本当に頭のよい人が現れて、誰もが納得がいく、客観性の高い基準を作って欲しいものです。

なお、心身喪失者等医療観察法の適用対象拡大には絶対反対です。なぜならば、こんなコラムを書いている私も対象者に選定されてしまうかもしれないからです。
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*1宇都宮病院事件:1人のアルコール中毒と診断された患者の不審死が発端となって病院内で日常的に患者に対する暴行が行われていた事実が判明した事件。その後の取調べで、同病院では3年間で200人以上の不審死があったことが判明。また、患者が死亡するとその脳を採取して東大医学部のT助教授に研究材料として提供していた事実まで判明して社会的に代波紋をひきおこした事件。精神障害者に対する非人道的な扱いが注目されたが、一方ではどこの病院でも扱いに困るような粗暴な患者を一手に引き受けてくれる病院で合ったために、同病院が解散させられた時には周辺の病院はその患者たちの引き受けに困った。社会的必要悪としての存在でもあったのである。
*2池田小学校事件:平成13年6月8日に大阪府池田市にある大阪教育大学付属小学校に当時37歳の宅間守が乱入して児童8名を殺害、児童13名と教諭2名に傷害を追わせた事件。宅間は最終的に死刑が確定し、平成16年9月14日に死刑執行された。宅間は精神科通院歴があり、逮捕当初精神障害者を装っていた言動があったために、心神喪失等による刑事上の責任能力について世間の関心を集めることになった。

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