私が今年になってからこのコラムで3回にわたって取り上げた後期高齢者医療制度が政争の具となり、現在国会は大騒動です。
民主党を初めとして野党は、4月から始まったばかりの新医療制度を撤回して元の老人保健制度を復活させるべく、「後期高齢者医療制度廃止法案」を参議院に上程して、その法案は6月6日に参議院で可決されました。
一方、与党の自民党と公明党は新医療制度を断固として守る姿勢です。衆議院では与党が絶対的に多数ですから「後期高齢者医療制度廃止法案」が成立する見込みはありません。
野党もこの法案が成立するとは考えていないはずです。現政権に対する「No」を提示するための材料として利用して、これを機に解散総選挙に持ち込み、政権奪取をもくろんでいるに過ぎません。しかし、今ほど政権に対する支持率が低下した状態で福田総理が解散に出るとは考えられませんから、結局後期高齢者医療制度は存続していくのでしょう。
この医療制度は実施直後からさまざまな不備や問題点が露呈して舛添厚労相と福田総理は弁明に追われています。ところで、この法律はそもそも小泉内閣が2年前に作った「健康保険法等の一部を改正する法律」に基くものです。引っ掻き回すだけ引っ掻き回しておいて、無責任にオペラ鑑賞などを楽しんでいる小泉の尻拭いをさせられて、挙句の果てに支持率がみるみる低下する福田総理はお気の毒としか言いようがありません。
とは言うものの、いくら小泉が種を撒き、厚労省の官僚が敷いた路線だとは言え、既定方針だからというだけで、無反省にひた走ろうとするのでは、やはり総理大臣としての責を問われても致し方ないでしょう。
舛添さんも福田さんも「この制度の骨格は正しいが、細部に対する心配りが足りなかったから、そういう点を手直ししましょう」と言っています。まずは世論が猛反発している低所得者層の保険料負担を減額。保険料の年金からの天引きを同居する世帯主による肩代わりや口座振込も選択できるようにする。被扶養者の保険料も減額。次々と改善案を提出しました。
新聞を初めマスコミも国の改善案が実施されるとどれだけの高齢者が当面救済されるかについては詳細に報道していますが、こういった改善案が期限付きのものであることや、なぜ国が骨格を残すことに固執しているのかについての詳しい論評は避けています。
国が当面はどんな妥協を受け入れてもなぜに骨格だけは残したいのかと言えば、骨格さえ残しておけば、いずれ近い将来、立法府である国会の審議を経ないで、政令あるいは省令ひとつで元の形に戻すことができるからです。諸々の改善策が将来ともに担保される保証はまったくないのです。国家のこういったやり方には常に警戒をしていなければなりません。
「老人は早く死ね」という本音が表れているということで、国民から非難の的である診療報酬の「終末期相談支援料」*についても、凍結あるいは運用面での再検討をするといっているに過ぎません。いずれは復活すると解釈するのが正しいでしょう。
私は、75歳という年齢で線引きをして、高齢者を他の国民から引き離す制度の骨格こそが問題であると考えます。国は新医療制度設立の主目的を超高齢者社会の到来の際に想定される若者の負担増を防止することとしていますが、その目的のためには75歳以上のお年寄りを切り離すよりしか他に方法はなかったのでしょうか。
日本社会の高齢化はずっと前から確定していたにもかかわらず、この点についての真面目な議論は充分になされてはきませんでした。この謗りは今頃になってこの問題を政争の具として、成立不可能であることを承知の上で「廃止法案」を提出した野党も甘受しなければなりません。
道路で代表される特定財源のあきれかえる無駄遣いなどを止めて、国民があまねく負担する消費税率を少しだけアップさせれば、別立ての医療保険制度などをわざわざ新設しなくても老後の安全保障を確保できるのではないでしょうか。
ところが別立ての新制度を作ったために、この制度を維持するための事務費が増加して、天下り先が新設されてしまいました。後期高齢者医療保険を管轄する都道府県単位の広域連合という組織が新設されたために、多くの健康保険組合などの各医療保険者から広域連合への莫大な納付金が発生したそうです。これまでの老人保健のときの負担に比べて5割り増しほどにもなったと聞きます。現役世代の負担軽減どころではありません。
この広域連合という組織はもちろん厚労省関係者の新たな天下り先です。この広域連合のトップの年収は3000万円にもなるそうです。1000円単位の保険料の工面にも困る年金暮らしの高齢者を初め、国民から絞り上げた保険料からまかなわれます。さらに、この広域連合は年金の不祥事から近々解体される、社会保険庁の役人の受け皿になるとの噂もあります。
新制度が導入されなければ、こういった天下りポストができずに、新たな事務費も発生しなかったことを考えると、なんとも苦々しい限りです。官僚は転んでもタダでは起きないどころではありません。転んだら倍は手に入れて起き上がるのです。
この「姥捨て山政策」を立案した小泉はアメリカ政府から毎年提出される「政府要望書」に沿った形でこの国を運営してきました。すなわち彼が理想として考えていたのはアメリカ型市場経済優先の弱肉強食型資本主義国家なのです。
国民は小泉や竹中に扇動されて、ひたすらに競争に凌ぎを削り、格差を開く生活をよしとして走ってきました。しかし、このような社会のあり方で国民に本当の幸せは訪れるのでしょうか。
トヨタはその収益においてGM社を抜こうとしています。しかし、トヨタが世界に冠たる自動車生産会社になったからと言って国民の生活が豊かになったでしょうか。幾つもの銀行が合併して世界に伍するメガバンクが誕生したからといって日々の生活にゆとりが生まれたでしょうか。
私はグローバルスタンダードといってアメリカの猿真似をしてきた結果、日本文化のもつ良さが失われて、ぎすぎすとして住みにくい世の中になっているだけのように思います。
そもそも小泉がお手本としたアメリカ型資本主義経済は、巨万の富を手にしているごく少数の資本家が、90%以上の貧しい人々の犠牲の上に、マネーゲームによってさらに莫大な富を手に入れる歪な社会構造を生み出しました。
しかし、この実態をともなわない馬鹿げたマネーゲームにもそろそろ影が刺してきたようです。それにもかかわらず、アメリカに比べてはるかに体力の劣る我が国が盲目的に同じ道を歩んでいます。破綻は目の前に迫っているのではないでしょうか。
中曽根元総理が「指導者は歴史観を持って行動しなければならない」と言ったと聞きます。彼がどのような歴史観を持っているのかは分かりませんが、ある意味正しいと思います。政治家が官僚による慣例優先の問題棚上げ、先送り行政をただ黙認していては我が国に未来はありません。何十年先の日本を見据えた舵取りが要求されるのです。
日本の政治家はアメリカの言うなりになって我が国を自殺させるのではなく、日本の国民の安全保障と幸せを追求した国家作りを考えるべきではないでしょうか。こういう観点から考えると、後期高齢者医療制度の抱える問題は、保険料が高い、安いという末梢的な課題よりも、我が国の国家像をどう定めるのかという、より大きなテーマに関わる象徴的な課題であると考えます。
私は、超高齢化社会を迎える今こそ、日本を弱肉強食路線から離脱して、北欧のように、経済的に覇権を唱えなくても国民一人一人がそれなりの豊かさを感受できる社会福祉優先の国作りに方向転換するかどうかを議論するべき、大きな岐路に立っていると考えます。
そのためには、国民の一人一人が目先の利害を度外視して、真剣に将来の日本国像を設計し、その意見を政治に集約させなければなりません。後期高齢者医療制度に関する議論は年金の問題と併せて、今後の我が国の将来を占うよい試金石と言えるでしょう。
私が何回も例えてきたように、この制度は老人を乗せた「アウシュビッツ行きの貨車」です。高齢者をまとめて貨車に乗せるという制度(骨格)を許してはいけません。貨車をいくら慌てて綺麗に飾り立て、座り心地をよくしたとしても行き着く先に変更はないのですから。
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後期高齢者終末期相談支援料:75歳以上の後期高齢者が癌などの疾病で終末期を迎えた時に医師が患者と相談して、容態急変時の延命治療や救急搬送の希望の有無などの治療方針を文書化して患者に示せば医師に出る2000円の報酬が出る。延命治療の中止など、患者に意思決定を無理強いして、強引に医療費を削減しようとするものであるとの批判が湧き起こっている。