投稿日:2008年5月26日|カテゴリ:コラム

これまでに本当の「うつ病」のほかに「うつ病もどき」が紛れ込むことによって、世の中に「うつ」と称する人が数多く出回っている現状についてお話しました。それではうつ病と紛らわしい「うつ病もどき」とはいったいどんなものなのでしょう。

「うつ病もどき」にはいろいろな病気や状態が混ざっていると思います。その一つは、何か不愉快で苦痛な出来事があって一過性に抑うつ状態になっているストレス性の反応や適応障害です。
いやな出来事に出会って、気分が滅入り、やる気を失うことはごくあたりまえの、心の正常な反応です。いやな目に会って爽快な気分になったら、それこそ気がふれた異常な反応と言えるでしょう。
こういう状態は原因になっている事象から距離をおけば、時間とともに回復してきます。むろんこういう方も治療したほうが早期に回復しますが、時間に勝る妙薬なしです。
一方、本当のうつ病はきっかけになった出来事から時間がたっても改善しません。むしろ時間とともに症状がひどくなっていきます。たとえば、肉親の死去をきっかけにうつ病になる場合には、逝去直後はそうでもないのに49日の納骨の頃からひどくなることがよくあります。
前回述べましたように、精神科の敷居が低くなったり、一般医が精神的な問題を扱うようになった結果、精神の不調を訴える方が、以前に比べて早い段階で医療につながるようになりました。
このために、先ほど述べたような一過性の抑うつ状態の方が医療機関を受診して、「うつ」という診断を下されるケースが増えてきました。これが「うつ病もどき」の一つになっているのです。
このような人たちは、医師が「症状が少なくとも2週間以上続く」という診断基準を厳密に守っていれば、「うつ病」とは診断されないはずです。

一過性のうつ状態とは違って、本当のうつ病と同じように長期間にわたって抑うつ状態を訴える「うつ病もどき」があります。その一つが統合失調症です。
統合失調症というと幻聴、被害妄想、興奮などの派手な症状(陽性症状)ばかりが知れ渡っていますが、この病気の中核的な症状はこういった目立つ症状ではなく、自閉、意欲の低下、感情の表出障害など(陰性症状)であると考えられています。
つまり、家に引きこもって人と接触をしようとせず、何をする気もせずにごろごろとして、周囲のいろいろな出来事に対して感動せず無関心に見えるという、きわめて地味な陰性症状こそが統合失調症でもっとも問題となる中核症状なのです。
そして陽性症状がほとんど顕在化されずに、陰性症状だけを訴えるケースはしばしば「うつ病」と誤診されます。熟練した専門医であっても注意深く診察しないと鑑別できないくらい間違いやすい症例もあります。
したがって、「やる気がでない」、「気分が滅入る」という訴えの統合失調症患者さんが一般医を受診した場合には高率に「うつ病」と誤診されて、抗うつ薬を投与されます。いつまでたっても症状は改善しません。それどころか、病勢がひどくなって、それまで影を潜めていた幻覚や妄想などの陽性症状が現れて大騒ぎになる場合があります。
うつ病と紛らわしい統合失調症は発症から時間が経過した慢性期の状態によく見られます。したがって、若い時からの症状の流れを丁寧に聴取すれば判別がつく場合が多いのです。しかし、統合失調症には発症直後から陽性症状はほとんど見られずに陰性症状だけが目立つタイプもありますから、見極めはそう簡単ではありません。自己評価スケールだけに頼っていたら確実に「うつ病」と診断してしまいます。
最終的には面接場面での表情やしゃべり方、ちょっとした仕草などから判断しなければならないこともありますから、うつ病との鑑別には豊富な臨床経験が要求されます。

本当のうつ病や統合失調症の抑うつ状態と同じように、長期間にわたって抑うつを訴えるもう一つのグループがあります。それはICD-10によると持続性気分(感情)障害(Persistent mood 〔affective〕disorders)に分類される人たちです。
この一群の人たちは何年にもわたる持続的な気分障害を呈しますが、その障害の程度は「うつ病エピソード」の基準にまでは達しない軽いものです。この中でも「気分変調症(Dysthymia)」が「うつ」を混乱させるという点で一番問題になる障害だと思います。なぜならば、鑑別が難しいこと、うつ病とは違った対応が要求されること、そしてなによりも相当多数存在すると思われるからです。
「気分変調症」の特徴は症状の程度において、軽症の「うつ病エピソード」の診断基準を満たさない程度の軽い慢性的抑うつ気分です。このグループの人たちは通常、自分で調子がよいといえる時期を数日か数週間もちますが、ほとんどの期間は疲労と抑うつを感じています。何をするにも努力を必要とし、楽しいことは何もない、考え込んでは不平を述べて、不眠がちで自己不全感を持っていますが、自分の好きなことは楽しめますし、日常生活で必要なことは何とかやっていけます。この点において、日常生活が破綻してしまい、本来楽しいはずのことまでもが楽しめずに、むしろ苦痛に変わってしまう本当の「うつ病」との大きく異なります。
たとえば病気休職した場合、本当のうつ病の人は医師から「会社のことは忘れてゆっくりと休みなさい」と言われても、「自分が休んだために周りの人が自分の分まで仕事をしなければならない。迷惑をかけて申し訳ない。」と自分を責めて、休職していることがかえって重荷になることが少なくありません。
これに対して気分変調症の人の中には真っ黒な顔をして診察に現れて、「先生がゆっくり休めというからハワイに行って波乗りしてきました。向こうでは楽しく過ごせたんですけど、日本に帰ってきてもうすぐ会社に行き、またあの課長の顔見るのかと思うと憂うつになってしまいますよ。」などと言う人もいます。
うつ病の人が常に自分を責める、自責的であるのに対して、気分変調症の人は害して他罰的です。こういうポイントを押さえて、「うつ」と称する人達を再度チェックしてみると、実は「気分変調症」であるという例が相当な数に上ると考えられます。
さてこの「気分変調症」は単に軽いうつ病と解釈してよいのでしょうか。いいえ、そうではありません。似て非なるもので、根本的に発症機序の異なる障害なのです。

ドイツ流の従来型診断法からアメリカ型の診断法に変わって、とても大きな出来事がありました。それまで、精神障害の大きな部分を占めてきた神経症(ノイローゼ〔独:Neurose〕〔英:Neurosis〕)というものが消え去ってしまったのです。そしてそれまで神経症と呼ばれていた人たちはさまざまな新しい疾患概念に振り分けられたのです。
以前、不安神経症と呼ばれていた人たちは不安障害というグループに組み入れられました。強迫神経症は強迫性障害というカテゴリーになりました。そして、以前抑うつ神経症と呼ばれていた人達が振り当てられた病名が「気分変調症」なのです。
訴える症状は気分の抑うつと意欲の低下ですが、根本はその人の性格に起因して起こる自覚的な不全感ですから、ただ抗うつ薬を飲んでいるだけでは解決しません。適切な精神療法によって、物事に対する考え方を変えたり、行動様式を変えなければなりません。
気分変調症では、本当のうつ病とは違って、時には叱咤激励によって健康な社会生活へ引き戻してあげることが必要になります。したがって本当のうつ病との鑑別が極めて重要なのですが。こういう方が一般医の下で漫然と抗うつ薬や抗不安薬の投与を受けていると、いつまでたってもきちんとした社会復帰ができません。
最近のうつ病は「程度は軽いがなかなか治らない。」と言われますが、実は気分変調症をうつ病と間違って治療しているケースも多いのだと思います。

もう一つ忘れてならない「うつ病もどき」は人格障害(Personality disorders)に随伴するうつ状態です。人格障害の人は、その人格の偏りから、周囲の環境に対して常に不適応を起こしてさまざまな精神症状を示します。人格障害には種々のタイプがありますが、情緒不安定性人格障害(Emotionally unstable personality disorder)、不安性人格障害(Anxious personality disorder)、依存性人格障害(Dependent personality disorder)などの人は抑うつ状態を呈することが頻繁にあります。
注意深く診察すれば、本人が訴えるうつ状態の背後に重大な人格の偏りが存在することが分かるはずです。しかし、診察時に示されている症状だけに目を奪われると「うつ病」と診断してしまう可能性があります。
当然ながら、こういう方の問題解決をするためには根気強い精神療法(精神科カウンセリング)が要求されます。抗うつ薬の投与だけですむわけがありません。

「抑うつ状態」は非特異的で、さまざまな精神障害で示される、あまりにポピュラーな症状群です。時間的な経過、抑うつ以外の隠された症状、症状に取り組む姿勢、元々の人格(性格)などをきめ細かく検討しないと、多くの「うつ病もどき」を見落として、結果、所謂「うつ」を増加させることになります。
自己チェックリストで抑うつ症状が高得点であるからといって「うつ病」と決め付けるのは早計です。「うつ病」以外にも抑うつ状態を示す病気がたくさんあることを忘れてはいけません。

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