投稿日:2008年2月25日|カテゴリ:コラム

食糧、原油、鉄鉱石の相次ぐ価格高騰など、さきゆき不安なニュースが相次ぐなか、さらに今後の大きな騒動の火種となりそうなビッグニュースが飛び込んできました。2月17日に発せられたコソボの一方的な独立宣言です。
私はこのニュースを聞いて、人類がはるか昔から繰り返してきた「民族紛争」というものを改めて考えてみました。

コソボの位置する旧ユーゴスラビア地域はパレスチナと同様に、古くから国際紛争の耐えない地域であり、「ヨーロッパの火薬庫」と言われてきました。
ユーゴスラビアとは「南スラブ人の国」という意味です。しかし、南スラブ人という人種、民族があるわけではありません。実際旧ユーゴスラビアには主要民族だけでも6つの民族が居住していました。さらに宗教や歴史的な背景が複雑に絡み合って実に特殊で複雑な、他民族が同居してきた地域なのです。
もともとは6~7世紀にまったく同一の遺伝子をもった人々(後にセルビア人とクロアチア人と別れて呼ばれることになる)がこの地域に移住してきました。彼らは東方正教会、カソリックを信仰していました。
ところが15世紀に、セルビア地方とボスニア・ヘルツェゴビナ地方がオスマントルコに征服されると、ボスニアにいたセルビア人とクロアチア人の多くがイスラム教に改宗してセルボ・クロアチア語を話す敬虔なイスラム教徒になりました。
第1次バルカン戦争で長いオスマントルコによる統治が終わりを告げましたが、引き続きトルコから奪回した領土の分配をめぐって第2次バルカン戦争がおこり、さらに支配権獲得を目指すヨーロッパ列強の思惑も加わって、この地域は混乱の頂点に達していました。
そして1914年6月28日に当時ボスニア・ヘルツェゴビナを併合していたオーストリア・ハンガリー皇帝の継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がサラエボでセルビア人青年ガブリロ・プリンチプに暗殺された事件をきっかけに世界は第1次世界大戦に突入することになります。
第1次世界大戦が終了してベルサイユ条約が締結され、一応の和平が成立します。ベルサイユ条約締結の翌年には国際連盟が設立されますが、平和は長くは続きませんでした。1939年には前大戦をはるかに凌ぐ規模の第2次世界大戦が勃発し、バルカン半島も当然ながら戦火に巻き込まれます。
この戦争に際してイスラム教徒はドイツナチス政権の「セルビア人狩り」に加担してお互いに虐殺しあいました。この殺し合いが、民族間の軋轢をさらに深めることになります。
第2次世界大戦の間、民族を超えてドイツに対する抵抗運動組織パルチザンを指導したヨシップ・チトーは東欧の国で唯一ソ連軍の力を借りずに自力開放を成し遂げました。終戦後チトーは、優れた政治手腕とカリスマ性によって血塗られた民族の枠を超えて、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を打ち立てます。そしてソ連ともアメリカとも一線を引く非同盟主義で長きに渡って自主独立を貫き通しました。
チトーが守り抜いたユーゴスラビア社会主義連邦共和国はスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国とセルビア共和国内のヴォディオとコソボの2つの自治州によって構成されていました。
この国の統治の難しさは「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字により構成される1つのモザイク国家」と表現されました。
7つの隣国とは、イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア。5つの民族とはスロベニア人、クロアチア人、セルビア人、マケドニア人、モンテネグロ人。4つの言語はスロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語。3つの宗教とはカソリック、東方正教、イスラム教。2つの文字はラテン文字とキリル文字のことです。
このような複雑な多民族国家が長期にわたって平和を保てた根源はひとえにチトーの個人的な力によるものでした。したがって、1980年にチトーが死去するやいなや分裂の動きが始まりました。
1990年に東欧革命がおこって、東欧の共産主義政権が一掃されると、今まで水面下にうっ積していた不満が一気に表面化して、戦争と呼ばれるほど大規模な紛争に発展してしまいます。
スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが次々と独立し、最後に残ったセルビアとモンテネグロが1つになって新しいユーゴスラビア連邦共和国(2003年にセルビア・モンテネグロと改称)を樹立しました。こうしてチトーが作り上げたユーゴスラビア社会主義連邦共和国は崩壊したのです。
一連の独立戦争の中でもっとも多くの犠牲者と非人間的な行為がなされたのがボスニア・ヘルツェゴビナ独立戦争です。それまでこの地域に共生していたセルビア人、クロアチア人、ムスリムがそれぞれお互いに「民族浄化」の名のもとに三つ巴の殺戮を繰り返しました。
また、それぞれの遺伝子を広める目的で組織的に意図的に3つの民族間で集団レイプが行われました。1995年に一応の解決をみましたが、この時の恨みはお互いの間でこの先長くくすぶり続けることと思います。
最後に2006年、モンテネグロがセルビアから分離して独立。こうして旧ユーゴスラビアを構成していた6つの共和国はすべて完全に独立することになりました。しかしこれで完全決着がつくほどこの地域は単純ではありません。セルビア国内に自治州として存在していたコソボをめぐる紛争がその後も続くことになるのです。
コソボ自治州は人口の8割がイスラム教に改宗したアルバニア人です。キリスト教徒のセルビア人は人口の1割にも満たないのです。経済的にはこの地域でも最貧です。それなのにセルビアがコソボに固執する理由はセルビア人にとっては忘れられない歴史的な怨念の土地だからです。
1398年にセルビア王国がオスマントルコと闘って敗れたのがここコソボなのです。その後そこへどっと入り込んできたのがイスラム化したアルバニア人。
1990年台後半から盛んになったコソボ開放軍の動きに業を煮やしたセルビアは1998年ついに大規模なゲリラ掃討作戦を開始して、コソボからアルバニア人を追い出す方針を明らかにしました。セルビア人にとっては600年前の「あだ討ち」です。
1999年になってセルビア軍の非人道的行為が世界の注目を集めたために、国連とEUが後ろ盾となってNATOがセルビアに対する大規模な空爆を3ヶ月続けて、セルビア軍はコソボから撤退しました。その後、国連の暫定統治機構の管理下におかれていました。こういう状態下で今年2月17日にコソボ自治州議会が独立宣言を採択したのです。
アメリカ、フランス、イギリス、ドイツは直ちに独立を承認しました。これに対してセルビアの首都ベオグラードではアメリカ大使館が襲撃、焼き討ちにあいました。コソボからセルビア人の脱出が相次いでいるという報道もあります。
コソボ新政府はすべての民族に対して平等とうたってはいますが、実際にはこれまで被支配者であったアルバニア人によるセルビア人への報復も報じられていて、これから先、果てしない報復合戦になる可能性が大きいのです。
また、コソボの独立はヨーロッパ各地にくすぶり続けている少数派民族の独立運動に火をつけることにもなりかねません。
ロシアのチェチェン共和国、グルジアの南オセチア自治州やアブハジア自治共和国、アゼルバイジャンのナゴルノ・カラバノフ自治州、英国のスコットランドや北アイルランド、スペインのバスク地方、キプロスの北キプロス・トルコ共和国、ベルギーのフラマン地方、ルーマニアのトランシルバニア地方、モルトバの沿ドニエストル地域、スロバキアのハンガリー系住民居住地域など、多くの国が明日からでも血で血を洗うような殺戮が行われても不思議ではない民族問題を抱えているからです。
ヨーロッパだけではありません。世界レベルで見ればスリランカのタミル人、イラクとトルコにまたがるクルド人、多数の少数民族を抱える中国など数えればきりがありません。
自国にそのような民族独立問題を抱えた国がコソボの独立を簡単に承認するわけがありません。コソボの独立宣言に今後世界がどのように対応するのか。また、この独立宣言が他地域での独立運動にどのように影響するのか、片時も目を放せない状況といえましょう。

コソボをめぐる民族紛争だけにも、膨大な紙面を割かなければならないほど長期間にわたる、民族間の歴史的な憎しみの連鎖が存在するのです。しかし、そもそもお互いを殺し合う元になっている差別化、「民族」というアイデンティティの本体とは何なのでしょうか。
改めて考えると「民族」の定義はきわめてあいまいです。私たち人類、ホモサピエンスを何らかの基準で区別しているようにみえますが、はっきりとした基準はありません。
人類を区別するとすれば、まず思いつくのは白人、黒人、黄色人種という生物学的な特徴での区別でしょう。しかし、この「人種」も必ずしも生物学的な特徴だけを言うわけではありません。育ちを基準にして「人種が違う」という表現をされることもあります。「社会的人種」です。
人類が人種だけで区別されるのならば、こんな複雑な民族紛争は起きていません。次に考えられるのは言語です。言語は文化の最大要素ですからそれぞれのアイデンティティのよりどころになります。確かに「○○語族」という言い方があります。しかしユーゴスラビアの例で分かるとおり語族と民族は必ずしも重なりません。
人種、言語に加えて大きな要素となるのが宗教です。過去の歴史上の悲惨な殺し合いの多くは宗教間の争いであることからも、宗教の重要性は容易に想像がつきます。しかし宗教もまた民族と完全に一致はしません。
つまり、民族とは国家国民を形成する民族としての「ネーション」と、風土、環境の中で同じ集団に属しているという感覚が自然に育まれた人々としての「エトノス」という二つの側面をもっているのです。一言で言えば自然に「我々という意識を共有する仲間」というきわめて主観的な区分けなのかもしれません。
日本人はたまたま他民族との交流が限定された島国で、古来から意図しないで国民国家を形成してきました。したがって、ネーションとエトノスがほぼ重なりあう非常に特殊な環境にあります。日本人は日本語を話す日本民族で、日本という国民国家は単一民族であるという考えがなんとなく受け入れられてきたために、民族や民族紛争のことがよけいに理解しにくいようです。

なんともあいまいな「民族」意識によって人類は古代から今に至るまで殺し合いを続けてきました。私にはそうすぐにこの愚行が終わりを告げるとは思えません。むしろ、今は「我々」意識を共有している仲間の中にわざわざ差異を見つけてさらに細かく分裂していく可能性のほうが高いかもしれません。
映画「ホテル・ルワンダ」で一躍その悲惨な現状が世界中の脚光を浴びたルワンダ紛争において虐殺を繰り返したツチ族とフツ族。実はツチ族もフツ族も人種的には同一、言語も同一です。第1次世界大戦によってベルギーの植民地となるまでは同じ民族として生活していたのです。
彼らはベルギーが植民地を効率的に支配するために、顔の特徴などを基準に勝手に作り出した民族なのです。しかし、人為的にでもいったん区別されて一方が支配、他方が被支配という関係が生まれてしまうと、虐殺しあう「民族」になってしまうのです。ここに「民族」という名のもとに蛮行を振るう人間の業の深さを垣間見ることができます。

人以外の生物の世界に民族紛争はあるのでしょうか。植物の世界では異種間の生存をかけた熾烈な戦いは見られますが、同種間の争いとなると私にはあるともないともいえません。
動物の世界に目を移せば、群れ同士の争いというものは確かに存在します。ライオンの「プラウド」と呼ばれる群れや猿、象の群れがお互いに餌場を取り合って抗争を繰り広げます。この群れは家族を中心とした血縁によっています。民族とはいえないですが、小さな「部族」とは言えるかもしれません。
そう考えると、民族紛争は動物としての宿命なのかもしれません。しかし、人以外の動物における部族紛争は相手のグループを皆殺しにすることはありません。ある程度闘って、双方の力量が分かったならば、それ以上の争いは避けます。つまり、自分たちのほうが弱いと判断した群れは殺される前に逃走します。強い側もそれ以上深追いはしません。ここが人間と他の動物と決定的に違う点のひとつです。
「民族浄化」などという忌むべき言葉をスローガンにして、計画的に徹底的に虐殺するのは人間だけです。あらゆる動物の中で「傑出した」行動特性と言えます。
現在のところ、進化というプロセスを経て我々人類が地球上を君臨しています。同種間で殺し合いができるという性質が、地球にもっとも適応した進化の秘密なのでしょうか。もしそうだとすれば、我々人類の栄華もほんのわずかな期間で終焉することは確実です。最終的には隣同士が殺しあって自滅していく運命にあるのですから。進化=自滅と言えます。
精神医学的にみると自我が成熟・確立した人は、他者を認めて受け入れることができます。自我が未発達あるいは歪んで発達すると、自分以外のものに対して過剰な警戒心を抱いて、他者に対して攻撃的になります。
私は、今はまだ人類全体の精神が発達途中にあり、やがては成熟し、自分と異なる者を受け入れることができる「ゆとり」をもった存在になってくれると信じています。
近い将来、愚かしい「民族紛争」のなくなる日がくることを祈るばかりです。

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