投稿日:2008年2月18日|カテゴリ:コラム

統合失調症(Schizophrenia)という病気の辿ってきた歴史については先日お話しました。一般の方がこの病名を聴くとすぐに思いつくのは「幻覚」と「妄想」という症状でしょう。
本当は幻覚や妄想はこの病気の中核症状ではありません。また、幻覚や妄想は統合失調症に限って現れる特異的な症状でもありません。しかし、幻覚や妄想は、「口数が少なくなる」とか「やる気が湧かない」などという地味でありふれた症状と違って、非日常的で目立つ症状なので、一般的によく知られています。私たち精神科医にとっても興味深い症状です。
このうち「妄想」については以前のコラムで取り上げましたので、今回は「幻覚」の話をしたいと思います。

「幻覚(英hallucination、独Halluzination)」とは「対象のない知覚(perception sans objet)」と定義されています。つまり幻覚とは実在しないものを実在するかのように知覚することです。実在するが本当の対象とは違ったものに知覚する「錯覚」とは別物ですが、鑑別が難しい場合もあります。
知覚はそれぞれ担当する感覚器官によって味覚、嗅覚、視覚、聴覚、前庭知覚、触覚、身体感覚などに分類されますが、幻覚はすべての知覚領域で起き得ます。幻味、幻嗅、幻視、幻聴、平衡幻覚、幻触、運動幻覚、臓器幻覚などです。
統合失調症ではすべての幻覚が起き得ますが、もっとも高頻度に認められる幻覚は「幻聴(英auditory hallucination、独Gehörshalluzination)」です。
これに対して幻視(英optic hallucination、独Gesichtshalluzination)はアルコール、LSDといった薬物や有機溶剤、重金属などの毒物による中毒性の精神障害のときによくみられます。
幻聴は実在しない音や声がはっきりと感覚的な鮮明さをもって聞こえるわけですが、聞こえてくるものはパチパチ、ザワザワという要素的な音からうめき声、足音、笑い声、泣き声、人の話し声のような複雑なものまでいろいろです。
統合失調症に特徴的なのは、人の話し声で、話しかけや受け答えのできる形式の幻聴です。本人は本当の声だと思っていますから、幻聴に一生懸命応答します。しかし、本来その声は実在しませんから、はたから見ると、一人でぶつぶつ言ったり大声でしゃべったりしている人としか見えないのです。つまり客観的には独語(独り言)として観察されるわけです。独語が見られたときには幻聴が存在すると考えてよいでしょう。
話し声の内容は悪口、批評、からかい、罵倒、命令、禁止などの不快や苦痛を与えるものが大半です、そしてこういった被害的な内容の幻聴は被害妄想と結びつくことが一般的です。一方、数は少ないですが、賞賛、約束、教訓、お告げのような内容の場合もあります。
一般的に発病初期には被害的な内容の幻聴が多いのですが、慢性化してくると幻聴の苦痛度が弱まってきます。慢性化して、長期間にわたって人との交わりを絶って自閉的な生活をしている上に、いくら治療しても幻聴が消えない方の中には、賞賛や支持の内容の幻聴だけが友達、数少ない話し相手となってしまっていることがあります。本人は初期と違って苦痛はなく、むしろ幻聴の存在を楽しんでいるようにも見えますが、私たち治療者にとってはなんとも切ない話です。
聴こえ方もさまざまです。両耳から通常の会話とまったく区別がつかないほど鮮明に聴こえることが多いのですが、片方の耳からだけ聴こえるものもあります。また、耳から聴こえるのではなく、腹の中から聴こえたり、頭の中に直接響いてくる場合もあります。
鮮明さは病気の勢いに比例します。病気の最盛期の時には目の前で話している実在の会話と寸分違わない鮮明さで聴こえます。診察場面でも、私の問いかけは幻聴によって度々妨害されて、何度こちらに注意を喚起してもすぐに幻聴との会話のほうに夢中になってしまいます。
治療によって病勢が弱まるにつれて幻聴の鮮明さも失われていきます。診察を妨害されることもなくなってきます。治療によって幻聴の鮮明さが低下していく過程は症例によって異なります。
川の可動堰がぴたっと閉まるように、ある日突然聴こえなくなるという場合もなくはありませんが、多くの例では徐々に衰退していきます。患者さんの表現では「だんだん遠くから聞こえるようになった」、「だんだん小声でしゃべるようになった」、「だんだん内容が意味不明になってきた」、「しゃべりかけてくる時間が減ってきた」など人それぞれの消え方をするようです。
病勢が強い時の幻聴が本当の声と鑑別不能なほど鮮明に聴こえることはすでにお話しましたが、この時期の幻聴は鮮明だけではなく「支配力」が強力です。
支配力とはその人の自我を支配する力です。つまり、強い幻聴は、自分は本当はそうしたくないと思っていても、抗することができずに従ってしまう強制力を持っているのです。
「死ね」と言われたら、死にたくないと思っているのに自殺行為をせざるを得なくなってしまいます。私が幻聴の支配力のすさまじさをもっとも強く思い知った症例の幻聴は「やくざが死ねと命令した(なぜかやくざ)」、「自分で死ななければ殺す(どっちにしろ死ぬんだったらなにもわざわざ自分で死ななくてもよいと思うのですが)」という内容でした。
結局彼が選んだのは自殺でした。近くにあったスコップで脳底挫傷になるまで自分の頭を叩き続けたのです。スコップを逆手に持って頭に撃ちつけるのですから、一発で意識を失うような強い打撃を加えることはできません。数十発叩き続けてようやく意識を失いました。その間の数十分、彼は血だらけになりながら想像を絶する疼痛に耐えながらスコップを振るい続けたのです。幻聴の支配力や畏るべしです。
「殺される」恐怖をもたらす内容の幻聴と被害妄想に支配されると、「殺されないために(本人からすれば正当防衛)」、加害者であると思い込んだ相手に危害を加えてしまうことがあります。
この場合、周囲から見れば患者さんが一方的に危害を加えているのですが、患者さんにとっては自分を守るためのやむを得ない行動です。患者さんの明確な意思によってなされた犯罪ではなく、病気が患者さんの体を使ってなさせる反社会的な行為といえます。
このような場合、患者さんは病気の強い症状に支配されて正常な状況判断、意思決定能力を持っていない状態にあります。このような状態を法的に「心神喪失状態」あるいは「心神耗弱状態」と呼び、その行為に対しての刑事責任を問責されません。
幻聴が聴覚として正確に認識できない場合があります。つまり幻聴なのか他の知覚機能に起こった現象なのか定かでない異常を訴える患者さんがいらっしゃいます。その一例が「テレパシーが聴こえる」という症状です。
先ほど幻聴の聴こえ方に「頭の中に直接響いてくる」聴こえ方があることはお話しましたが、さらに「音」という認識が曖昧になってくるとテレパシーと言う表現になります。
テレパシシーとは超感覚知覚(ESP)の一種で、特別な道具を使わないで遠隔の者と言葉を介せずに通信する手段です。頭の中におこる現象を患者さんはテレパシーとしてしか表現できないのでしょう。
もっと知覚という形式から遠ざかると思考障害との区別が困難になります。患者さんは「考えが頭の中に入ってくる」とか「考えが直接伝わってくる」と表現します。こうなると思考吹入とか思考伝播と名付けられた思考障害に分類されます。これこそが本来のテレパシー体験です。テレパシーは知覚系を介さずにお互いに考えを交流することですから、テレパシーは「聴く」ではなく、「伝わる」あるいは「認識する」という表現になるはずなのです。
「テレパシーが聴こえる」という表現は知覚と思考の境界にまたがった現象と言えます。脳の高次機能の統合がうまくいかないのがこの病気の本体ですから、知覚異常とも思考異常とも言いがたい現象が見られることは不思議ではないのでしょう。むしろ患者さんの自覚的な体験を知覚異常だとか、思考障害だとか生理的な機能系に沿って分類することに問題があるのかもしれません。
他の幻覚との区別が困難な症例に出会ったこともあります。その患者さんによれば「嫌なことばかりが頭の中に字として見える」と言うのです。想像するに、頭の中に外国映画の字幕スーパーみたいなテロップが現れて苦しめられているようです。もちろん眼を閉じてもその字幕は消えることはありません。不愉快な台詞を強制的に読まされ続けているのです。
この現象は幻聴の一種なのでしょうか。それとも幻視に分類すべきなのでしょうか。文字の幻視は珍しく、幻視は通常、人や自分の姿、小動物(蟻、昆虫、鼠、小人)あるいは建物、風景であることが多いです。

ここで統合失調症に観られる、幻聴、幻視以外の幻覚を簡単に紹介します。
幻嗅(げんきゅう)*1:死臭、腐敗臭、毒物臭、ガス臭、便臭などのような変で気味の悪い臭いが多く、しばしば被害妄想とむすびついて出現します。
幻味:毒らしい味という表現が多い。食べ物に変な味がついているとか毒の味がするといった訴えで、やはり被害妄想とむすびついていることが多いです。
幻触:皮膚や粘膜に感じる幻覚で、「虫が這う」、「顔をなでる」、「針で刺す」、「電磁波をかけられてピリピリする」「口の中に妙なものがいる」、「皮膚がつっぱる」、「陰部を弄ばれる」といった訴えが多いです。陰部をいじられる幻覚は男性には少なく、圧倒的に女性に多い症状です。
平衡幻覚:体が傾く、めまいがする、平衡がとれないという内容です。
運動幻覚:体がふわっと浮く、動く、ベッドが動揺する、頭がぐらぐらするといった幻覚。こういった訴えを精神症状だと診断されずに、長年にわたって一般科で延々と治療を続けている患者さんもいらっしゃいます。
臓器幻覚:内臓が空っぽになってしまった、内臓が捩られる、脳が空っぽになった、脳の中を虫が這っている、脳の一部がぐにょぐにょと動く、筋肉がばらばらになっていく、手足が大きくなってしまった、胎児が動いている、身体の中に狐が入ってきたなどの内容。非常に不気味で不愉快な症状です。

作品賞をはじめ、数多くのアカデミー賞を獲得した2001年公開の映画「ビューティフル・マインド(A Bautiful Mind)」は統合失調症と闘いながら1994年にノーベル経済学賞を受賞した天才数学者、ジョン・ナッシュ(John Forbes Nash Jr.)*2の半生を描いた物語でした。
この映画ではナッシュ博士を襲う幻覚は生々しい幻視と幻聴でした。実際に私は、あれほど鮮明で系統的な幻視が主体の統合失調症を診たことがありません。違和感を覚えたというのが偽らざるところです。
しかし映像の世界で、統合失調症の幻覚を観客の心に強く印象付けるように表現するには、ああいう脚色が必要だったのでしょう。多くの人に、精神障害者を苦しめる幻覚の生々しさや凄まじさを理解していただけたという点で評価すべきかもしれません。
私たち精神科医も幻覚については患者さんが語る表現から想像するだけで、実際に自分が体験したわけではありません。患者さんがどんな苦痛を味わっているのか知るために、一度だけでいいから実際に幻聴を聴いてみたいと思っている精神科医は私だけではないでしょう。
私は、寝入りばなに人から名前を呼ばれたようなおぼろげな感覚(おそらく入眠時幻覚)を味わったことがあります。しかし残念ながら、現実の声と判別することが難しいほど明瞭な幻聴はいまだに体験したことがありません。

当然ながら、この幻聴の病態生理に関しては数多くの研究がなされてきました。しかし、いまだ本質的な解明には至ってはいません。
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*1幻嗅(英olfactive hallucination、独Geruchshalluzination):嗅覚におこる幻覚ですから幻嗅(げんきゅう)と呼ばなければなりません。しかしどういうわけかこの幻覚だけ嗅覚の対象である臭いに幻をくっつけて幻臭(げんしゅう)という誤った呼び方をする方が精神科医の中にも少なくありません。
*2ジョン・フォーブス・ナッシュ・ジュニア(John Forbes Nash Jr.):1928年6月13日にアメリカ、ウェストバージニア州ブルーフィールドに生まれる。幼い頃から聡明であるとともに自閉的な性格傾向であったようである。30歳の頃に統合失調症を発病。入退院を繰り返すが、治療しながら数学の研究を続け、1978年にジョン・フォン・ノイマン理論賞を、1994年にゼルデン、ハーサニとともにノーベル経済学賞を受賞する。現在もプリンストン大学で数学の研究に携わっている。

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