投稿日:2008年2月12日|カテゴリ:コラム

私は法律を専門的に学んだことがありません。大学の教養課程(1,2年)の時にほんのさわりの部分を教えていただいただけです。今頭に残っているのは「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」、「未必の故意」、「罪刑法定主義」など、なんの関連性もないわずか数個の用語です。しかもその意味するところもよく理解しているわけではありません。
学生の当時には「医学部に入ったのになんで法学なんて勉強しなければいけないの?」と不思議に思ったものです。しかし、実際に臨床に携わるようになると、教養課程で法学を学ばされた理由が理解できます。医療に従事するものは片時も法と無関係でいるわけにはいかないからです。もっと、真剣に勉強しておけばよかったと反省する今日です。
法と関係のない仕事なんてありませんが、医療行為というものはそもそも法の許可の下にはじめて許される行為なのです。神でない、一介の人は他の人の生身の身体に勝手に手を加えることはできません。ましてや、生命にかかわる行為など本来許されることではないのです。しかし、法の下に医師という資格を持った者だけが例外的に許されている行為なのです。
つまり医療そのものが法に基いた行為ですので、臨床の現場では医師法や医療法のほか種々の法律と関係することになります。医療は大きな意味で社会保障活動に含まれますので、私たちが関係する法律の多くは社会保障に関連した法律です。

社会保障とは、病気、けが、出産、障害、死亡、老化、失業など本来個人が負うべき生活上のリスクを国家または社会が保障し、サービスする制度です。これによって貧困からの救済、医療、介護を国民に保障するものです。
憲法第25条1項に記された「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」という条文、いわゆる生存権の保障をその根拠としています。
これに続いて第2項では「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上および増進に努めなければならない」として、こういった保障やサービスを、国家が国民に果たさなければならない重大な義務であると明言しています。
国家の義務である社会保障は具体的には社会保険、社会福祉、公的扶助、公衆衛生、医療・老人保健の5本の柱から成り立っています。
医療、老人保健、公衆衛生はまさに私たち医療人の本業ですが、医療はその他の3つの分野とも深く関わっています。
社会保険には医療保険、年金保険、労災保険、雇用保険、介護保険があり、公的扶助とは生活保護のことです。社会福祉には老人福祉、児童福祉、母子福祉、障害者福祉などがあります。
医療者は年金や雇用保険には直接的な関係はありませんが、その他の分野とは日常的に関わりをもっています。このために医療制度そのものだけでなく社会福祉関連制度の変化と無関係ではいられません。医療関係者は崩壊する医療制度のみならず福祉関連の変化にも翻弄されているのです。
最初の大きな波は介護保険制度の施行でした。介護保険制度の導入には福祉関連活動からの医者はずしの意図が隠されていたことは以前のコラムでお話しました。しかしながら、医療抜きに高齢者の介護が成り立たないことは現状からも明らかです。
この介護保険制度は問題だらけの制度です。今後、介護の対象となっている高齢者のみならず、介護に当たっている家族、さらには保険料を支払う40歳以上の被保険者(近い将来20歳以上になる)を苦しめ続けます。
介護保険の次に国民を襲った災禍は障害者自立支援法です。この世に生を受けた以上、老化は避けられません。介護保険は将来誰もがお世話になる可能性があります。ところが、自立支援法はその対象者が障害者に限定されているために、その関心はそれほど大きな広まりを見せません。しかし、その邪悪さは介護保険をはるかに凌ぐものです。

障害者自立支援法は平成18年10月1日に全面施行された法律です。その設立趣旨は以下の5点と言われています。
1.障害者の福祉サービスを一元化:サービス提供主体を市町村に一元化するとともに障害の種類(身体障害、知的障害、精神障害)にかかわらず提供する福祉サービスに一元化する。
2.障害者がもっと働ける社会にして自立を目指す。
3.地域の限られた社会資源を活用できるように規制緩和する。
4.公平なサービス利用のための手続きや基準の透明化、明確化する。
5.増大する福祉サービス等の費用を皆で負担し支え合う。
(1)利用したサービス等の量や所得に応じた公平な負担。
(2)国の財政責任の明確化。
障害を抱えて長い一生を送る人々の生殺与奪にかかわる、この重大な法律はろくな審議を経ず、また関係者からの意見集約もしないままに、試案提示後からわずか4ヶ月という短期間で平成17年10月31日に国会で成立しました。これまた小泉元首相のなした唾棄すべき業績のひとつです。
詐欺師、小泉はこの法律を「障害者を閉じ込めるのではなく、一般の社会の中で健常者とともに生活できるようにするための支援をする法律である」とまことしやかにごまかし通しました。そこで用いられたのは「バリアフリー」とか「ノーマライゼーション」という耳ざわりのよい片仮名言葉です。「高利貸し」を「キャッシング」と言い換える手法と同じです。
小泉の説明や名称とおりの実態をともなった法制度であるならば、まことにすばらしい法律と言えます。しかし、実際には「障害者支援」どころか「障害者いじめ」としか思えない法律です。

「障害者自立支援法」という名前を具現化するならば、5つの柱のうちの2.「障害者が働ける社会の整備」が先行して行われなければなりません。しかしながら、肝心の「バリアフリー」や「ノーマライゼーション」はかけ声ばかりで、障害者に対して開かれた社会の整備はまったくといっていいほど整っていません。企業利益のみを追求する近頃の風潮です。健常な若者の多くでさえ正規雇用されずに派遣という不安定な雇用条件を強いられています。重度の障害者を雇い入れる会社などあるはずがありません。
それにもかかわらず強引にこの制度を実施した結果、障害者の人たちは自立するどころか、これまで受けていた福祉サービスを受けることさえ困難になってしまいました。福祉施設で提供される食費等の実費負担や利用したサービスの1割を自己負担しなければならなくなったからです。障害者にかかる財政負担の軽減と増大するサービス利用の抑制。政府の真の狙いはまさにこの点にあったと言わざるを得ません。
障害者の方々は食事をしたり、入浴をしたり、炊事洗濯をしたり、外出して買い物をするといった、普通の生活のための行動ができないために支援を必要としています。ところが自立支援法では、日常生活においてできないことが多い、重度の障害者ほど高額な自己負担金を要求されるために、これまで受けてきたサービスを受けることができにくくなってしまいました。さらに、サービス提供施設の運営も圧迫されているようです。

私がかかわっている精神障害者の方々への医療も大きな影響を受けました。長期にわたる治療を必要として、社会的な活動に制限を受けることの多い精神障害者の方に対して、これまでは精神保健福祉法第32条の規定によって、通院費を補助する制度がありました。健康保険の自己負担分30%のうち25%を公費が負担して5%で済みました。
障害者自立支援法の施行にともなって、精神障害者の通院費補助もこの法律の枠組みに組み入れられて、32条による公費負担制度が廃止されました。その結果、具体的には以下の点が変更されました。
(1)自己負担が5%から10%になりました。
(2)申請手続きを障害者本人がしなければなりません。
(3)対象疾患が厳密に重篤かつ長期療養を必要とする精神障害及びそれに起因する身体疾患に限定されました。
(4)申請時の診断書作成は原則精神科専門医に限定する。
(5)有効期間が2年から1年に短縮された。
私は、今回の変更の背景には一部の不心得な医療者と患者による32条の濫用があり、やむをえない側面もあると考えています。
(1)は限りのある財源で急増する急増する精神障害者に対してあまねく補助をするためには、広く薄くならざるを得ないからです。
それまでは、申請書も診断書も各医療機関においてあり、記入後は医療機関が保健所に郵送すれば手続きができました。患者さん自身が自分が知らないままに、この補助制度を受けていることも少なくありませんでした。
拝金主義の心無い精神科医がこの仕組みを利用しないわけがありません。私の近隣地区にある、業界内で悪名高い医療機関などは、初診の手続きの一環として32条の申請書を記入させていました。詳しい説明を受けていない患者さんは、窓口で5%の自己負担しか払わないで済みますから、「あそこのクリニックは安い」と思い込んでしまいます。
この制度は申請時に届け出た医療機関に適用が限定されますから、風邪をひいた時に別の病院を受診する際には適用されません。したがって、患者さんはその医療機関を離れません。いわゆる「患者の囲い込み」に利用されたのです。こんな事態を防止するのが(2)です。
(3)も「患者の囲い込み」対策の一環です。32条では単に寝つきが悪いというだけの患者さんまでもその補助制度を利用することが可能でした。しかも、一旦この適用を受けると、その患者さんがたまたま風邪をひいたり、水虫になった時にも、精神科の治療を受けている医療機関で一緒に治療を受けると、その治療費までも5%の負担で済んでいたのです。こうやって法の本来の目的とはかけ離れた利用をされてしまうようになったのです。
さらには一般科の医療機関もこの制度を利用し始めました。本当は身体疾患の治療に通っている人に精神障害の病名をつければ自己負担の軽減ができて、「あの病院は安い」との評判を得られるからです。こんな使いかたをされたらたまったものではありません。国民の税金から支払われる補助金はいくらあっても足りなくなってしまいます。(4)が必要となります。
(5)に関しては病気によっては2年以内に寛解して社会復帰する方もいるということが根拠になっているのだと考えます。

一言でいえば一部の医療機関や患者がひきおこしたモラルハザードへの避けられない対応策だったのかもしれません。こうして人間性悪説に立った制度変更が行われました。その結果は、法が本来対象としている、真に救済を必要としている重度の精神障害者の方々に甚大な被害を与えることになってしまいました。
病院に通院するだけでもやっとの思いの人が、毎年自ら保健所に申請書を受け取りに行って、再度提出に行かなければならなくなりました。精神的な負担も増えたうえ、申請時にかかる費用も倍になる計算です。
私たち病院が「早く手続きをしてください」と説明しても、更新の手続きを良く理解できないまま、期限切れを迎えてしまう方もいらっしゃいます。
重症になればなるほど低所得を余儀なくされています。そういう方にとって自己負担の倍増は大きな負担となります。そうでなくても自分が病気であり、治療を継続しなければならないという意識の少ない重症の統合失調症の患者さんの中にはこれをきっかけに通院をやめてしまって、その結果再発してしまうというケースも出てきました。
精神科医の負担も倍増です。これまで2年に1回書けばよかった診断書を毎年書かなければならなくなりました。この診断書はかなりやっかいで診療の合間にちょこちょこと書ける代物ではありません。
診断書の中でもっとも納得がいかない点は、重症かつ継続した精神障害者を対象としているはずなのに、「病気の経過」の欄に書かなければいけない内容です。1年毎の更新なのですから、その1年間の推移だけを記入すれば済むと思うのですが、なぜか毎回、発病から現在までの経過を書かくことになっています。診療が終った後のプライベートタイムを潰すしかありません。腱鞘炎になりそうです。

法は所詮人間が作り出すものです。すべての人に対して例外なく、完全に公平な法律というものはありえないことは分かっています。
また、私の腱鞘炎は一部の悪徳医師たちの貯めてきた「つけ」を精神科医全員で払っている代価だと諦めなければならないかもしれません。しかし、重症の障害で日々の生活にも困っている人ほど重い負担を強いられる現実だけは見過ごすわけにはいきません。
現行の障害者自立支援法の不備が一刻も早く是正されて、文字通り「支援」となる制度に改正される日が近いことを望みます。

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