今回のコラムは久しぶりに純医学的な内容です。統合失調症はあまりにも大きなテーマですし、一般の読者の中にはまったく興味がない方もいらっしゃると思って、これまで取り上げてきませんでした。
しかし、なんといっても統合失調症は精神医学のメインテーマであり、精神科医にとってのエヴェレスト山です。私自身、統合失調症の解明、治療を目指して精神科医の道を選びました。やはり本コラムで取り上げないわけにはいきません。
ただし、1回のコラムで書きつくすことなど到底できません。何回かに分けて書いていくつもりです。
初回は教科書のような総説的な話です。固くて面白くないという方は今回はお休みください。しかし、今後書く予定の、具体的な詳しい話をする前にどうしても避けて通れない前置きなのでお許しください。
我が国では、以前精神分裂病と呼ばれていた精神障害が2002年8月から統合失調症という呼称に変わりました。精神分裂病という病名はドイツ語のSchizophrenie、英語のSchizophreniaを日本語に訳したもので、1911年にスイスの精神医学者オイゲン・ブロイラー(Eugen
Bleuler)が創案した病名です。
ギリシャ語で「分裂」を意味する「schizo」と横隔膜を表わす「phren」を組み合わせてできた医学用語です。古代ギリシャの医学者たちが魂は横隔膜にあると考えていたことに由来します。
元来精神病は古代ギリシャ時代を除いて長い間、「悪魔憑き」とか「神の祟り」といったとらえられ方をしてきました。キリスト教の影響が強かった中世において精神病は「天罰」、「天啓」、「悪魔憑き」、「狼憑き」、「妖気に魅せられたもの」という非科学的な俗信に支配されて、僧侶が治療する状態でした。精神病者の待遇は残酷をきわめて、他の自然科学と同様に精神医学にとっても暗黒の時代でした。
それまで、文字通り鎖につながれて社会から隔離されてきた精神病者を1792年フランス・パリでピネル(Pinel)が解き放って人間的な扱いを始めました。近代精神医学が産声をあげた画期的な改革でした。
時まさにフランス革命の最中。精神医学はそれ以降も政治や社会の波に翻弄されることになりますが、ピネルの偉業は良い意味でそのさきがけと言えます。同時にピネルはそれまで一括して取り扱われてきた精神障害を4つの疾患群に分類しました。しかしながら、その分類はまだ大雑把なものでした。
精神障害の疾病概念確立の流れをおおまかに言うと次のようになります。精神障害は何十世紀にもわたって混沌として無差別に「精神病」としてとらえられていました。
この中から先天的な精神障害と後天的な精神障害とが分離され、次に後天的な精神障害を発症時期によって分離する試みがなされました。1852年にフランスのモレル(Bénédict
Morel)が青年期に好発して、やがて痴呆状態に陥る原発性痴呆群を早発性痴呆(Démence
précoce)として分離しました。統合失調症の中核的なグループに当たります。
しかし、当時の分析はきわめて粗雑であったために、今から考えると統合失調症による痴呆状態とそれ以外の疾患による痴呆状態とが混同されていました。多くの精神科医が共通認識していたのは幻覚や妄想が目立って、やがて痴呆状態に陥るタイプの妄想痴呆(Dementia
paranoides)であったように思われます。
その後、1871年にドイツのヘッケル(Hecker)が破瓜病(hebephrenie)を、1874年にやはりドイツのカールバウム(kahlbaum)が緊張病(Katatonie)を提唱しました。
この病気を1つの疾患として確立し、その後の研究、治療に道を開いたのはドイツのエミール・クレッペリン(Emil
Kraepelin)です。クレッペリンは妄想病、破瓜病、緊張病をそれぞれ亜型として位置づけて、これらの一群を「早発性痴呆(Dmentia
Praecox)」として総括しました。精神医学の歴史の中で特筆すべき業績と言えるでしょう。これ以降、それまで曖昧模糊としていた心の変調を、1つの病気としてとらえて研究、治療しようという、大きな流れが生まれたのです。
1911年、冒頭で述べたようにブロイラーが「早発性痴呆」を「Schizophrenie」と改めました。その理由は、この病気がすべて早発性であるとは言えないこと。必ずしも痴呆状態に陥るとは限らないこと。さらに、この病気の本態が思考、言語、認知機能領域にまたがる観念同士の結びつきの障害であると考えたからです。
ブロイラーのこの功績はクレッペリンに勝るとも劣らないほど偉大なものでした。「Schizophrenie」の提唱は単に呼称を変えるというだけではなく、病名に病態生理学的な裏付けを与えたからです。
我が国では1937年に日本精神神経学会がSchizophrenieの訳を正式に「精神分裂病」と決定し、つい最近まで使われてきました。ところが以前のコラムで書いたように、言葉というものは長い間使用されていると徐々に地位が下がってきます。精神分裂病という言葉自体が暗いイメージを持つようになってきました。
現在でも国際的にはSchizophreniaと呼ばれていますが、日本では2002年に「精神分裂病」という名前が、精神そのものが分裂しているというイメージを与え、患者さんの人格の否定や誤解、差別を生み出していると考えて「統合失調症」と名称変更しました。
「統合失調症」はブロイラーの看破した「観念同士の統合が失調された病気」という疾患概念によく適合した病名です。今となってみれば、なぜ最初からこう訳していなかったのかと思えるくらい適切な呼称変更だと思います。
この病気の日本における生涯発病率*1は0.85%(120人に一人)と言われています。国別、地域別、人種別に見ると若干の違いが報告されていますが、診断基準の違いなどもあるためにその差をどう解釈するかは難しいところです。むしろ大きな差はなく、人類あまねく1%弱だと考えたほうがよさそうです。性差は認められず、男女とも同じ確率で発病します。
発症年齢は当初、早発性痴呆と呼ばれていたように青年期が好発年齢層です。16歳から30歳までの間に7割以上が発病します。中でも20歳前後がもっとも危険な年齢層です。しかし、小児期に発病することや初老期(45歳〜65歳)に発病することもあるので、絶対に発病しないという年齢はありません。
近年は30歳以降に発病する例が増えてきているように思います。この理由を私は、昔に比べて現代は、人格の成熟が遅くなってきていることにあるのではないかと考えています。
昔の人は成人式を迎えるころには、社会人としてそれなりの行動をとることができるだけの人格形成がなされてきたと思いますが、最近は国民全員が幼稚化して身体や知識は立派なものを備えているのに、社会の中で自立した存在としての責任をとることができず、何かに甘えたり依存したりしないと生きていけない人が増えているように思います。
統合失調症の発病はおそらくこの人格形成の臨界期と深く関与しているのではないでしょうか。いつまでも大人になれないために、発病の危険時期も遅れてきているのだと思います。
病気のはっきりとした原因はいまだに解明されていません。神経伝達物質の中のドーパミンの異常が有力ですが、ドーパミンの異常だけでは説明がつきませんし、なぜドーパミンの異常が起きるのかと突っ込まれると答えることが困難です。しかし、ドーパミンの代謝に影響を与える薬によって症状が改善する事実からこの神経伝達物質が主要な役割を果たしていることは間違いなさそうです。
脳の部位としては前頭葉の前頭前野という部位が注目を浴びていますが、この部位が額の直下にあるために、比較的容易に外部から血流を測定できるために、この領域の研究が進んでいることが1つの理由です。前頭前野の変化だけでは説明がつきませんし、その変化が原因ではなく結果である可能性も高いので、まだまだ病因に結びつけることはできません。
症状、遺伝、治療等々の各論についてはこれからのシリーズで少しずつお話しようと思いますが、多くの謎を秘めた精神医学、いや医学全体の中でも、もっとも未知の部分を残した病気です。
私が精神科に入局した当時、恩師の新福教授が「私は若い頃、自分の手で精神分裂病を解明してみせると意気込んで精神科医になった。しかし、実際に研究してみると難攻不落の強敵であることが分かった。だから、躁うつ病に標的を変えてお茶を濁した。今でも精神分裂病が最大の関心課題であることには変わりがない。残念だ。君達の手に任せるよ。」と言われました。
おだてられて、その気になったものの新福教授とは比べ物にならない浅学菲才の私がかなう相手ではありませんでした。私だけでなく、多くの優秀な精神科医や脳科学者がこの病気に対して全力で立ち向かってきました。しかし、今のところ全面解決に結びつく画期的な進捗は見られていません。
しかし悲観することはありません。科学の発展とはたくさんの研究者の地道な努力の積み重ねによって築かれた舞台に、突如として現れる天才によって花開くものです。近い将来、飛躍的な発見がなされて、この病気に苦しんでいる人々が救われる日が間もなく来ると固く信じています。
——————————————–
*1生涯発病率:一生のうちにその病気にかかる確率を人口比で表わした指標。これに対して罹患率はある一定期間中(たいていは1年が多い)にどれだけの人がその病気にかかるかという指標。有病率はある一時点でどれだけの人がその病気にかかっているかという指標。