投稿日:2008年1月28日|カテゴリ:コラム

昨年9月18日、東京都と新宿区保健所が医療法違反の疑いで新宿、歌舞伎町にあった「東京クリニック」に行った立ち入り検査をきっかけに全国レベルの大騒動となった薬物、リタリン(methylphenidate)。
問題はこの薬物の高い依存性を利用して、一部の不心得な医師や医療機関が、金儲けの目的で、本来この薬物を必要としていない人達に大量に売りさばいていたことだと思っていました。そしてその根底には我が国の医療崩壊にともなう裏の資金による医療経営や医師のモラルの低下があると考えていました。
この薬物は適切に使用すれば、とても有用で他の薬物に代えがたいユニークな薬理作用を持つ医薬品です。この点については10月のコラムでご説明しました。しかし、毎日新聞が発火点となった世論は、薬理学的な評価やリタリン乱売を許した医療崩壊の側面には焦点を当てず、「リタリン=悪い薬(毒)」という安直な図式にのって一気に走りだしたのです。
医療行政の不備を指摘されることを嫌がる政府と、1錠11円70銭という安いリタリンよりも、もっと薬価の高い新薬を売りたい製薬会社との利害が一致して、きちんとした検証もしないままに安直な流れに乗ってリタリン排除に乗りだしました。
その後の経過は皆様もご存知の通り、10月末に厚労省は製造・販売元であるノバルティスファーマ?からの申し出という形式をとって、リタリンの効能から「うつ病、うつ状態」を削除しました。リタリンは「ナルコレプシー*」という、かなり特殊な病気にしか適応できなくなってしまったのです。
さらに、厚労省はノバルティスファーマに対して「第三者機関を作り、慎重な協議をはかった上で2008年1月1日までにナルコレプシーの診断・治療に精通してリタリンを適切に処方できる医師、医療機関、薬局を限定し登録するように」との決定をしました。
製薬会社は急遽、会社内に「リタリン流通管理委員会」なるものを設置し、「1月1日以降もリタリンを使用したい者は手を上げなさい」と言ってきました。私のところにその通達が来たのは早12月中旬になった頃だったと思います。
しかし、政府がしばしばショックアブソーバーとして頻用する有識者会議なるものと同じく、第三者機関とやらも責任の所在を曖昧模糊とするための形式的な装置です。このリタリン流通管理委員会はノバルティスファーマの社内に設置されて、委員の名前はまったく明らかにされません。ましてやどういう基準で「ナルコレプシーの診断・治療に精通してリタリンを適切に処方できる医師、医療機関、薬局」を選別するのかも詳細は不明なままでした。
私のようにインターネットを通じてリタリン有用論を展開する医師などまっ先に除外されるかなとも思いましたが、自分の学識経験に対する信念と、この薬物を本当に必要としている患者さんたちのために申し込みをしました。
この申込書にはナルコレプシーの診療実績のほかに、学会の認定医あるいは専門医の記入欄がありました。その学会とは日本精神神経学会、日本臨床精神神経薬理学会、日本睡眠学会、日本神経学会です。
また、登録申請に対する拒絶および登録取り消し基準という箇所には「その他、リタリンの適正使用の観点から登録を認めることが相当でない自由がある場合」という玉虫色の条項があり、確たる証拠はなくとも怪しげな振る舞いが噂される者を排除できる仕組みになっていました。
こういう条項は法の目をかいくぐろうとする不心得者を駆除するには都合のよい規約です。しかし、資格審査、管理という絶大な権限を振うことのできる第三者委員会の顔が見えないのはいかがなものでしょうか。委員の構成などの実態は明らかにすべきでしょう。そうでないと、第三者委員会という隠れ蓑を使って、一製薬会社であるノバルティスファーマ社が、独断で医師の品定めを行っているようにとられます。
実際、今回の登録医選定のありかたに腹を立てた一部の医師は、ノバルティスファーマの不買運動を呼びかけています。「医師の選別をしていただくような偉い会社の製品は畏れ多くて使えない。この際ノバルティスファーマの製品はなるべくジェネリックに切り替えれば、会社にお手間をかけないし、医療費の削減にもなる。一石二鳥です。」という慇懃な言い回しのふれ状が出ています。
私はこういう陰険な意趣返しは好きではありません。これはこれ、良い薬は良い薬としてこれからも使い続けるべきだと思います。しかし、ノバルティスファーマ社も第三者委員会の委員構成などを明らかにして、透明性のある維持管理をしていただきたいものです。

さてその後の経過ですが、しばらくしてリタリン委員会からインターネットを通じてリタリンの薬理学的な知見と依存性への注意、ナルコレプシーの診断と治療に関する講習と試験がありました。しかしその後いくら待っても合否通知が届かない。私のところでリタリンの処方を受けている患者さんたちも、年明けから新しい医療機関を探さなければならないか否かの瀬戸際であるために、度々電話の問い合わせがありましたが、合格通知が郵送されてきたのは私のクリニックが御用納めした後、12月29日の午後でした。
その前日の新聞において、全国で3,600名の医師が申し込みをして、委員会が不適切と判断した400名を除いた3,200名の医師が「リタリンを適切に処方できる医師」として登録されたとの報道がありました。その後はリタリンに関する公式の報道はなくなりました。
処方箋を捏造してリタリンを入手しようとした者が逮捕されるという犯罪が、個別の事件として1,2件報道されただけです。世間の関心も他のテーマに移って、この問題はほぼ一件落着したかのように見えます。
しかし、実態はそうではありません。リタリン流通管理委員会ならびに厚労省は3,200名の「リタリンを処方できる医師」のリストを公表しません。取り扱える薬局のリストも公表しないために、一部の患者さんたちはどこへ行けばよいのか分からずに途方にくれているのです。
取り扱う医師や医療機関、薬局を公表した場合には、本来リタリンを必要としない中毒者たちまでもがその医療機関に殺到して大混乱になる恐れがあります。そういう混乱を避けるために必要な処置と言えます。
従来から正しい診断の基にリタリンを処方されていた患者さんたちは、理論的には、それまでかかっていた医療機関で今まで通りに診療を受ければよいわけで、新しい主治医を探して放浪するはずはないのです。
ところが現実にはナルコレプシーという確定診断を受けている患者さんたちまでもが主治医探しでさまよっているのです。もともと適応疾患とはされていなかったけれど、おそらく自費診療でリタリンを処方されていたと思われる、ADHD(注意欠陥多動性障害)の患者さんたちはもっと悲劇です。
なぜこのような事態になったのでしょうか。リタリン流通委員会がリストを公表しないことだけが原因ではありません。今後ともリタリンを処方したいと手を上げた医師が3,600名と少なすぎるのです。
流通委員会の基準に上がった4つの学会の認定医あるいは専門医を合わせると少なくともこの倍以上の医師が有資格者であると思われます。それなのに半数以上の医師が「もうリタリンとはかかわりたくない」と撤収したと考えられます。
事実、最近私のクリニックにたどり着いた患者さんは、これまで近隣の区にあるメンタルクリニックでリタリンを処方されていました。年明けに受診したところ、「もうリタリンは出せないから」の一言で追い返されたとのことでした。こういう患者さん予想以上にいるようです。
その方は臨床症状を聴いただけでは、とてもナルコレプシーあるいはADHDとは診断できない方でした。よく説明をしてこれまでとはまったく異なる治療薬を処方しました。また、念のために脳波検査や血液検査を受けるように大学病院への紹介状を渡しました。
その方がこれまでかかっていたクリニックはこの地域では結構名の通ったメンタルクリニックです。そのクリニックが本当にリタリン登録を希望しなかったのか、本当はリタリンの処方はできるけれど患者さんを厳選して処方を断ったのかは分かりません。しかしどちらにしても医師として無責任な話です。
もし前者であるとすればその医師は卑怯者です。当局ににらまれる恐れのあるやっかいな薬は扱いたくないという保身のために、病気に苦しんでいる人を救うという、医師本来の役目を放棄したからです。
後者であるとすれば、厚労省をはじめ世間が危惧していた通りに、これまではいい加減な診断で無軌道にリタリンを処方していたということになります。これも医師としてあるまじき行為です。
もし、それぞれの医師が正しい見識に基いて、信念をもって診療をしているのならば、何らかの規制がかかったとしてもその後の行動がぶれるはずはないのです。それまで通りの診療を淡々と継続していくはずです。していかなければおかしいのです。
当初私はこのリタリン問題をごく一部の医師の個人的な悪行と考えていました。しかし、実際には私の予想以上にリタリンの不適切な投薬が横行していたようです。
私はこれまでのコラムを通じて、医療を腐敗させていく元凶として国策の誤りや福祉を食い物にする悪徳資本を目の敵にして糾弾してきました。しかし、自分の専門領域で起きたリタリン騒動を通して、私たち医師も常に自戒していないと、いつの間にか魂を失ってしまう危険性が高いことを思い知らされました。

規制が増えて医師の裁量権が損なわれていくことは大変不本意なことです。そうならないためには、私たち医師が厳しく自らを律し、医師としての誇りを失わず、凛とした姿勢で日々の診療に当たらなければならないでしょう。
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*ナルコレプシー(Narcolepsy):日中において場所や状況を選ばず起きる強い眠気の発作を主な症状とする特殊な睡眠障害。特徴的な症状として1.睡眠発作;日中突然耐え難い眠気に襲われる、2.情動脱力発作(カタプレキシー);笑い、喜び、あるいは自尊心がくすぐられるなど感情が昂ぶった際、突然に抗重力筋が脱力するという発作、3.入眠時幻覚;日中の睡眠発作や夜間の睡眠の寝入りばなに非常に強い現実感のある幻覚を体験する、4.睡眠麻痺;いわゆる金縛りで、開眼して意識はあるのに随意筋を動かすことができない状態、5.自動症;眠った感覚がないにもかかわらず、直前に行った行為の記憶がない状態。逆に言えば無意識に寝てしまい、寝ながら行為を続けている状態。
病因としては視床下部から分泌される神経伝達物質オレキシンの欠乏と言われている。検査としては日中や夜間の睡眠ポリグラフ検査、血液検査、睡眠潜時反復検査(MSLT)など。日本人では600名に一人の有病率と言われているので全国で12万名くらいの患者さんがいると思われる。

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