小院のこのコラムで、私がここ数ヶ月書いてきた主張のいくつかが、ようやくマスメディアでも取り上げられるようになってきました。私のコラムがマスメディアに影響を与えるはずはありませんから、私が日ごろ考えていることが決して独りよがりの戯言ではなく、実は同じような考えの方がたくさんいたことがはっきりしたと言えましょう。そして、そういう意見を取り上げなければごまかせないほどに、日本の医療が蝕まれてしまったからでしょう。
これまでは、私と同じような考えを持っていたとしても、その方々はあまり声高に主張することを避けてきました。また、主張したとしても、少数派の意見として大きく取り扱われることがありませんでした。取り上げるどころか、ちょっと口を開いたならば、徹底的に攻撃されて火だるまにされてきたのが現実です。
朝日新聞などは医師を叩きさえすれば発行部数が伸びると考えてか、実に偏向した報道で私たち医師いじめを繰り返してきたのです。医師や医療機関の1件の不祥事を医療界全体の腐った体質であるかのように大げさに報じたり、極端な統計データを操作して医師がいかにも計算高い生き物であるかのように報じてきたのです。
彼らが目指したことは、国民に「医師は医学の研鑽などしておらず、徳のカケラもなく、仁術などとはかけ離れた金儲けだけを考えている悪者」というイメージを抱かせることです。
つまり国民と医療者を敵対させることで、本来は誤った国策、無責任な行政によって崩壊の道を進んでいく医療制度の根深い問題点に対する責任を医師に押し付けようとする、政府の片棒を一生懸命担いできたのです。そしてこの目論見は見事に成功してきました。
この偏向した報道は、種々の思惑が絡んで我が国が1950年から行った、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還事業の際に同新聞社が担った役割と同じものです。同社がユートピアと賞賛した北朝鮮に、夢を膨らませて帰還した彼らの行く末はどうだったでしょう。
日本の医療に関しても彼らの浅薄な医師悪者論によって、肝心の諸悪から目を背かされてきた日本国民が今迎えようとしているのは、取り返しのつかない状態にまで疲弊しきった医療環境なのです。
テレビも同様です。テレビではこれまで、専門的な解説を任されたごく一部の医師を除けば、一般の医師や医療機関は医療事故などに関連して、視聴者に叩いてみせるかっこうの悪役でしかありませんでした。
ところがここ数年、無医村、医療過疎地の深刻な現状や産科や小児科の救急医療が破綻していることが問題視されるようになってきてから、少しずつメディアの論調に変化が見られるようになりました。もう医療者を悪者にするだけではごまかしきれない医療環境になってしまったからです。
「Dr.コトー診療所」などで代表される、医療現場を舞台にしたテレビドラマの功績も少なくないと思います。第一線の医療者たちがいかに身を削って臨床医療に従事しているかを知ってもらうためにとても役立ちました。これまでは医師の世界といえば、1960年代の名作、「白い巨塔」のイメージがあまりに強かったのですが、「Dr.コトー診療所」はこの固定化した偏見を変えるきっかけになったように思います。
五島健助も財前五郎もかなり両極端な人物ですが、どちらにもモデルとなる人物が実在するのも事実です。しかし、大多数の医師は五島健助ほどにはストイックに自己犠牲の精神に満ち溢れているわけではありませんが、財前五郎ほどに富と名声だけを追い求めているわけでもありません。
医師とて人間ですから、美味しいものを食べたり、うま酒を飲みたい。暖かいマイホームを持ちたいという、世俗的な欲望も持ってはいますが、根本的には、目の前にいる病気で苦しんでいる人をなんとかしてあげたいという素朴な気持ちで働いている人がほとんどだと思います。
1月7日の夕食時、何気なくテレビのチャンネルを12chにしました。そこには顔なじみの医療コメンテーターでもなく、「医者はこんな馬鹿なのにお金持ちです」という自虐的なキャラでお茶の間に苦笑いを誘う、私と同姓(大変迷惑)の女医とも違う、第一線で臨床に携わる医師達が並んでいました。
しかも、各政党から派遣されたテレビ政治家を前に、堂々と現在の医療制度の問題点と今現在政府が性懲りもなく画策している医療制度改悪に対してもの申しているではありませんか。
医師側に並んでいるのは、最近テレビで人気の高い「ゴッドハンド」と称される、各分野で名医といわれる医師たちでした。それぞれ現在の医療制度の問題点と近い将来に想定される危機について、実際に日常体験している医療現場の惨状を通して生々しく語っていました。
なかでも旭川赤十字病院の脳外科医師、上山博康医師の発言には「よくぞ言ってくれた」という思いで、一言一言にテレビの前でうなずいてしまいました。きちんとした客観的データをあげて論理的に分かりやすく説明をし、こうしたらどうだろうという建設的なビジョンも提示しており、相対して並んでいた現役政治家よりもよほど説得力がありました。
脳血管外科の腕はピカイチ。さらに絵画の才能にも長けている異能の士とは聞いていましたが、職人的な才能のほかにも大局的な判断にも優れていることが分かりました。近い将来是非とも政治家として活躍していただきたいものです。
さて、毎年のように行われる医療制度改訂、介護保険制度の制定、自立支援法の制定、後期高齢者医療制度の制定とそれにともなう特定健康診断、特定保健指導など、これまで政府がやってきたり、実施予定の悪法や法律の改悪は2つの大きな思想の流れに乗っています。
1.社会福祉にかかわる国の支出の削減
2.従来医師が独占してきた権限の異業種への分配
この二つです。1に関してはすでに小泉が「聖域なき歳出削減」と言ったことで、国が公然と国民に宣告済みです。しかし、この言い回しには重大な嘘があるのです。
「国家財政が緊迫している。このままでは将来の若者に甚大なるつけを残すことになる。だから、あらゆる分野で平等に我慢をしてこの危機を乗り越えよう。」というのが建前です。しかし実際には、一部の者に対してだけ過酷な犠牲を強いる不平等な施策を連発しています。「もはや役に立たなくなった老人や、足手まといになる障害者などの弱者は早く死んでいってくれ。そして残った強いものだけでこの国を立て直したい」というのが本音としか思えません。
こういった法律の設立趣旨や改訂趣旨の、綺麗ごととは裏腹のどす黒い企みは、情報統制に長けた小泉が退陣したことによって、先ほどのテレビ番組をはじめ、各種メディアでも少しずつ取り上げるようになってきています。遅きに失した感はありますが。ところが2についてはまだあまり大きな声で口にされていないので、ここでお話したいと思います。
医師という国家資格が業務独占資格であるということは11月のコラム「カウンセラーとは」で説明しました。医師法によって医療行為は医師資格を有する者だけしか携われないことになっています。社会福祉の一翼を担う医療機関もまた、医療法によって営利を目的とする他の組織とは区別されています。
生老病死は命ある物の定めです。この避けては通れない生物の営みに深く関係する医療活動は食糧やエネルギーと同様に、人間社会にとって必要不可欠な分野です。経済的な観点から考えれば、医療活動は安定した需要を保つ商売と言えます。
医療に関連した事業が美味しい商売になることに目をつけた異業種の人間達は、この医師法や医療法などの医事法の壁の向こう側にある美味しそうな果実をなんとか手に入れられないものかと長年挑戦してきました。そして、ついにこの高い壁に穴を開けて、医療に営利活動の参入を果たしたのです。それが2000年から施行された介護保険制度です。
高齢化社会を迎えて膨らむ医療費を削減るとともに新たな税収を求めていた政府と、バブル経済破綻後の低迷する経済状況の中で新たな営利事業を模索していた経済界とがタッグを組んでこの制度を生み出しました。
それまでは高齢者や障害者の介護は医療と公的または非営利社会福祉法人が担ってきました。ここに社会的入院を無くして、地域による介護という大義名分の下に、サービスの整備がきちんとされないままに、新たな社会福祉制度を導入しました。しかも本来非営利的な活動である弱者の介護を、営利事業に売りとばしてしまったのです。
新たな税源を渇望してはいるものの、「増税」とか「新税」とは口が裂けてもいえない政府は、「保険」という言葉を持ち出しました。しかし、実態は年金からも天引きするという、従来からある、どの税よりも過酷な取り立てをする「新しい税金」です。
一方では、この分野における医師の権限をできるかぎり排除し、長期に高齢者をあずかっていた病院を次々と取り潰して、医療費という名目での支出を減らしました。しかし、老人への福祉サービスにおいて医療は欠かすことはできません。医療抜きの介護はありえませんから、一人の老人にかかる医療と介護を合わせたトータルの支出は以前よりも大きくなってしまいました。
なぜならば、一人の老人に対してかかわる人手(実際に現場で高齢者にかかわる実務者以外の無駄な事務職を含めて)が倍増してしまい、しかも介護の分野では実働費にプラスして事業収入を捻出しようというわけですから。この介護保険制度が見かけ上は医療費は削減したかのように見せて、実は国民にそれまで以上の負担を強いる結果になることは施行前から予想されていたことです。
数年もたたないうちにこの制度の破綻が明らかになりました。いや、国からすれば計画通りだったのかもしれませんが、刻々と値上げされる保険料。これとは反対に提供されるサービスは低下。そしてこの貴重な血税の中から利益をかすめ盗ろうと血眼の、コムスンで代表されるハイエナ介護事業者による日常的な不正請求。
しかし、いったん走り出した列車はそう簡単には止められません。介護保険制度はこれから先長く、日本国民を苦しめ続けるでしょう。
ここで得をしたのは誰でしょうか。新たな働き口に希望を抱いて介護の現場で働く多くの介護職員は想像を絶するような過酷な労働条件で働かされています。真面目に福祉を実践しようと思う事業者では経営が成り立ちません。得をしたのは見せ掛けの医療費削減を果たした、政府、官僚と、新たな儲け口を確保した外食産業、自分では汗をかかず人を働かせて上前をピンはねする人材派遣業者(人身売買とも言える)に携わる一部の経営者です。
さて医療の本丸にも営利を追求する者たちの手は緩みません。また、アメリカからも「Sicko」の悲惨な医療環境を作り出した張本人の医療関連資本(病院経営や医慮保険)から日本の医療への参入の要求が年々強さを増しています。
無責任な小泉は内外からの圧力に応えて、医療保険には正式に門戸を開き、病院の株式会社化までも謀り、経済特区ですでに実践されています。幸いなことに、試運転を開始した株式会社の医療の評判が良くないようなので、本格的な株式会社化は少しだけ先送りになりそうです。
しかし、我が国の医療がアメリカ型の市場経済優先の経済活動の一環として株式会社化される日もそう遠くないかもしれません。もしそうなったならば、誰が得をして誰が損をするのでしょう。
金儲けをするために参入してくるのですから、巨大な禿げ鷹資本が得をすることは目に見えています。国民は高額な費用と引き換えに高度で手厚い医療を受けるか、医療を受けられずに死んでいくかどちらかのレールに分かれるのです。どちらの道を選んでも、今まで我が国が死守してきた国民皆保険制度よりも得をすることはなさそうです。なんとしてでも阻止しなければなりません。
巨大資本の正面攻撃はこれからの話ですが、裏ではいろいろな営利事業者が、金儲けの手段として医療の世界を蝕んでいるのです。現在もうすでに、表向きは医師が管理経営者として表面に立っているが、実際の経営は医療とはまったく無縁の資本という「隠れ株式会社病院」は相当あるのです。
昨年「医師派遣元の日本大学からの医師の確保ができなくなったから」という表向きの理由で閉院して、地域住民に多大な迷惑をかけた北区の東十条病院。この病院の実質的な経営者は都内で量販店を展開する?Olympicでした。病院経営が思ったほど儲からないので新臨床研修制度導入をいい口実に放りだしたというのが実情です。
この他、検診事業者を中心にさまざまな資本が表には出ないで経営している病院やクリニックが多数あります。あくまで影に隠れていますから、その実態は掴みきれませんが、○○○ヒルズなんてテナント料の高い場所ですばらしい設備を備えて開業しているクリニックの大半は、保健所に届け出た管理経営者の裏に実質的な経営者がいるのではないでしょうか。個人の医師の資本力ではとても開業できませんから。
そういうクリニックは高いテナント代を払ってもなおかつ利益を産み出さなければなりませんから、美容外科のような完全保険外自由診療や薬理学的には訳の分からない「元気の出る注射」やアンチエイジング商品を併売したりする混合診療をしています。
当然、医療を金儲けの舞台と考えるのは表の実業家だけではありません。暴力団の裏の資本もかなり医療に進出してきているようです。完全自由診療の美容外科への進出はかなり早い時期からですが、最近は私たちメンタルクリニックを含めてさまざまな診療科においても、実際には裏の世界が実質経営する医療機関の名前が医師達の間で公然とささやかれるようになってきました。
壊滅寸前の医療に群がる禿げ鷹、ハイエナを招いたのは、私たち医師の不徳、力不足も問われなければなりませんが、経済発展だけを至上目的として、国民の社会福祉を軽視してきた国の責任は重大だと思います。本来国民の僕である国家・政府は、これ以上主権者である国民を苦しめることのないように、おもいきって政策転換の舵を切っていただきたいものです。