投稿日:2008年1月7日|カテゴリ:コラム

2008年、東京は天候に恵まれて爽やかな正月日和でした。皆様もそれぞれ穏やかな松の内を過ごされたことと思います。
私も元旦は初詣、お墓参りと、例年通りの門出となりましたが、2日目からは友人の引越しの手伝いをしました。
正月早々の引越しはあまり聞いたことがないでしょう。私も初めての体験でした。しかし、やってみて分かったこと。都内の引越しは正月に限るということです。
主要な道路は閑散として、初売りで賑わう百貨店の近くさえ避ければ、渋滞はゼロ。緑のおじさんも自宅でくつろいでいるので、駐車違反の心配もいらない。一方、必要な品物を調達しようと思えば、量販店やスーパーマーケットは営業をしている。引越しにこれ以上の好条件はありません。
さてここで改めて気付いたことは、いかに東京が故郷である人が少ないかということです。東京在住4代目の江戸っ子で家内も東京生まれの私は、正月だろうがお盆だろうが、帰る故郷は都内にしかありません。旅行をしないかぎり、東京の地べたにへばりついて生きていくだけです。

私の故郷、この東京の変貌の凄まじいこと。私は最近漫画やそれを原作にした映画で人気の高い「Always−三丁目の夕日」に登場する淳之介とほぼ同世代と思われます。
私の生まれ育った実家は、映画で舞台設定していると考えられる「鈴木オート」のある三田通り界隈よりももう少し南へ下った白金台町でした。
当時は高層ビルがありませんでしたから、我が家からも誇らしげに聳え立つ東京タワーを眺めることができました。冬晴れの日には2階から雪を頂く富士山も眺められました。品川駅の外側はまだ埋め立てられておらず、すぐ近くが東京湾。深夜になると船の霧笛の音が聞こえました。
実家の近くにはもう当時の面影はまったく残っていません。都電だけが頼りの山の手のひなびた住宅街だった白金台町は町名変更で二本榎辺りも加わって白金台になり、さらに三光町、今里町、猿町と呼ばれていた地域が白金に変名してややこしいことになりました。
私の通った小学校の同級生で今もその地に住む者はほとんどいません。大半は都下か他府県への移住を余儀なくされてしまいました。なぜならば、いつの間にか地価が高騰してしまい、親が亡くなった時に遺産相続税を払うことができなくなってしまったからです。
商売をしている人にとっては、その地が有名になって人が集まるということには利点があるかもしれません。また、地方から上京して一旗あげようという人から見れば、「そんないいとこに土地を持っていていいな」と羨むかもしれませんが、ただそこに住んでいるだけの者にとっては迷惑千万な話です。ただ、雨露しのいでそこに住んでいたいというだけの、ささやかな望みも叶えられなくなってしまいました。
既に他界した私の父の誕生日は1月3日です。12月31日に決定される土地の路線価格を見た直後に誕生日を迎えます。バブル経済の当時は毎年、「ああ、今年もまた生きてしまった。これじゃこの土地を子供達に相続させることができない」と嘆きの誕生日でした。
日本人全員が発狂したとしか思えないバブル経済は崩壊したものの、すでに仕舞屋は高層マンションに様変わり。大半の先住民は追い出されて、ブランド品に身を固めた「シロガネーゼ」が闊歩する町に変身してしまっていました。

町は生き物。その時代その時代に応じて様相を変えて、住む者も入れ代わることは致し方ないことなのでしょう。また、そうでなければ、社会全体の活性化がなされないのだと思います。
しかも東京は日本中の人々を惹き付けるだけの魅力を備えた町なのでしょう。確かに、社会的なインフラが整っていて学問をするのにも、経済活動をするのにも好都合な町です。知恵と金があれば東京で手に入れられないものはないかもしれません。町全体がコンビニみたいなものと言えるかもしれません。
国民全員が寄ってたかって便利なコンビニ都市、東京を作り上げてくれたのです。先住民は感謝しなければいけないのかもしれません。しかし、そこに産まれた時から住み、そこを故郷としている者の思いが反映されずに、一攫千金を夢見る人々の思惑だけで、たんなる草刈場としてデザインされてしまったようにも思います。正月の閑散として人気を感じないオフィス街やマンション群を見て、思わず「兵どもの夢の跡」を連想してしまったからです。

普段の東京は24時間休むことなく機能して、そこに生活する者達を昼夜の区別のない活動に駆り立てます。最近、健康度の指標として就寝時刻を尋ねると、平然と「そうっすね。大体2時くらいには寝ますね。」と答える若者が多いのにびっくりします。
私たち人類、ホモサピエンスが誕生しておよそ20万年と言われていますが、電気をふんだんに消費して深夜遅くまで動き回る都市型の生活をできるようになったのは、たかだかこの数十年です。それまでの20万年は昼行性の動物として地球の自転にあわせた生活をしてきました。
すなわち、つい最近までは、日の出とともに狩猟、農耕、漁労などを営んで、日没とともに危険から身を守り、休息をとるために身を寄せ合って、安全な場所で睡眠をとって生きてきたのです。
このために、私たちの身体のシステムは昼間動き回って、夜睡眠をとるライフパターンに適応して創られています。それなのに、東京に代表される都市型生活はその生理的なシステムを無視した活動を強いているのです。
脳はかなりいい加減な臓器ですから、この異常な活動パターンを当たりまえと錯覚してしまいます。実際には生物は数十年で進化できるものではありません。ホルモン系は頑固に昼間筋肉を使って動き回り、夜は眠る分泌パターンを崩しません。この結果、夜遅くまで活動する、しかもその活動の大半は筋肉を使用せずに脳、舌、指先だけを活動させている都市型の生活は私たちの心身を不健康にしているのです。
ところが、周囲の人が皆同じような生活をしているので、自分がいかに不健康な生活をしているかということに気付きません。こうして非生理的な生活を続けていることが、急増するメンタル系の不調やいわゆるメタボリックシンドロームの根底に横たわっていることは間違いありません。

さて私は友人の引越しのお陰で久しぶりに肉体労働をしました。このために普段使わない筋肉を活性化して、少し若返った気がします。毎日飲んだくれていた昨年の正月に比べてはるかに健康で有意義な正月でした。
これからまた当分の間東京は人の溢れかえる、引越しには不向きな、いつもの忙しい町に戻ります。私も頭、舌、指先だけを酷使する、きわめて不健康な生活に戻らなければなりません。しかし、せっかく自分が「洋服を着た猿」であることを再認識したので、これを機会に私の生活を身体本来の機能にあった生活に、少しでも近づけたいものです。
そうそう引越しはありそうもないので、生活の中に自分なりに楽しめる運動を組み込み、今日中、つまり遅くとも12時前に就床することを心がけようと思います。

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