投稿日:2007年12月25日|カテゴリ:コラム

師走が陰暦で12月を表わす呼称であることは広く知られています。語源については諸説ありますが、一般には私たち医師など、普段はゆったりと構えていると考えられている、「師」と名の付く職業の人々も忙しさのために走り回る月だからと言われています。
日本の医師は現在、12月だけではなく、一年中走り回るどころか不眠、不休で過労死すらする者まで現れる状況ですが、師走という言葉は今でもなんとなく気ぜわしい12月をうまく言い表わしている言葉ではないでしょうか。

さて、2007年師走最後のこのコラムも、今年3月に書き始めて、45編目になりました。初めのうちは私の扱う病気の解説をしていましたが、他の医療機関のホームページを覗いてみると、そういうコラムはすでに溢れていました。また、インターネットを検索すれば、医療機関のホームページ以外にも病気や治療に関する情報に困ることはありません。私が知らないような最先端の医学的な専門知識でさえ誰でもが入手できます。
さてどうしたものかと考えた結果、組織に属さないで町医者をやっている初老の私が、個人的に日ごろ感じたり、過去に経験したこと、長年考えてきたことをそのまま伝えることに方針を転換しました。というわけで独断と偏見に満ちた散文で皆様のお目を汚すことになっているわけです。
いったいどれくらいの方に読んでいただけているのか分かりませんが、数人の友人には半強制的に読んでもらって、感想をこれまた強制しています。
その中の一人から西川の文章は「感情が先走りすぎて、論点がぼやけている」、「怒って、批判しているばかりで、どうしたら救済されるかを述べていない」、「読んでいる人達を悲観的にするだけで希望を与えていない」と指摘されました。
もとより私はプロの文筆家ではありませんので、文章力についての批判はいたしかたがないと思います。しかし、日常の診療で患者さんたちに「他人を恨んでいるばかりでなく、感謝の気持ちを忘れてはいけない」とか、「悲観して立ち止まっていてはだめ、ともかく歩いてみよう」などと偉そうに講釈をたれている自分自身が、怒りと不満をぶつけて、恨み、つらみ、悲観の世界にとどまっている文章を書いていることを気付かされて愕然としました。
そういうわけで、2007年を締めくくる本編はこの1年、自分の身の回りにあった、私に幸せを与えてくれたできごとをふりかえってみたいと思います。

まず第一は、近親者に不幸がなかったことです。高齢の母が秋に入って体調を崩しましたが、日ごろからお世話になっている病院に入院させていいただいて、回復の兆しが見えてきました。
子供達が自分自身でそれぞれの進む道を見つけて、歩き出したように思えること。私は子供達にとって経済的にはまだまだ頼られる存在ですが、精神的には日に日に頼る存在になってきていることを実感しています。
私がかかわっている患者さんたちにご逝去された方が少なかったこと。命あるものは必ず死ぬものです。しかし、やはりそういう場面には遭遇したくないものです。特に精神科の場合には自分の患者さんに自殺されることが一番こたえます。今年はそんな辛い目に1例もあわずにすみそうです。
逆に患者さんの中に元気をとりもどした方が少なからずいらっしゃったこと。私の科では長期の治療を余儀なくされる方が少なくありません。長く来院されていた患者さんがパタッと姿を現さなくなると、「亡くなってしまったんじゃないだろうか」、「悪くなって入院しちゃったのだろうか」、「私の治療がいたらないので他の病院にうつったのだろうか」などと心配します。そんな方が、数ヶ月ぶりに「今はすっかり元気にやっています。今日は風邪ひいたんで診てもらいに来ました」なんて言って来院されると、幸せな気持ちになります。
コラムが45編を迎えたこと。休日の大半を費やして毎週書いてきました。別に本業ではないのだから、今週はお休みしてしまおうかという誘惑に負けず、なんとか書き続けることができました。忙しい時間を割いて校閲してくれる、友人と息子に感謝。
友人が増えたこと。友が友を呼ぶので、毎年友人が増えますが、今年は数十年ぶりの再会もありました。励まし、叱咤し、慰めてくれる友は私にとってかけがえのない財産です。
この他にもささやかな幸せは結構ありました。いちいち挙げていったらきりがないし、読者にとってはどうでもよいことばかりでしょうから、この辺で打ち止めにします。それなりに辛いこともありましたが、私個人にとっては幸せな1年だったと言えそうです。

さて、視野を広げて社会一般にとっての幸せなできごと、朗報は何があったでしょうか。一生懸命に記憶をたぐるのですが、容易には思いつきません。せいぜい、万能細胞の開発が実現化したことや月周回衛星「かぐや」の打ち上げが成功したことくらいでしょうか。
それでも、強いて挙げろと言われれば、北朝鮮が破れかぶれの暴挙にでず、一応核開発中止の姿勢を示したこと。いやいやながらもアメリカが京都議定書の枠組みに参加する姿勢を示したこと。サブプライムローンの破綻に端を発した世界大恐慌を一応まぬがれていること。今のところ鳥インフルエンザが大流行していないこと。安倍さんが現職の首相として死亡しなかったこと。等々、「大きな不幸をまぬがれた」とか「とりあえず大丈夫」とかいった、その場しのぎ、消極的な朗報しか思いつきません。
なんとか皆さんを安心させて、幸せな将来像をイメージさせたいと思っても、嫌なニュースしか思いだせません。本当に、暗い1年であったのではないでしょうか。
ただ一般的には悪い出来事の代表のように扱われている社会保険庁によるずさんな年金管理の問題ですが、私は考え方を変えれば、我が国の将来にとってとても有益なこやしになるかもしれないと考えています。

日本人はこれまで世界の中ではかなり特異な歴史背景を持っていたため、「国家」=「お上」。そして、「お上には逆らえない」、「お上に任せておいたほうが良い」、「社会のことはお上に、自分達は自分たちのことだけ考えていれば良い」という政治に対する思想的な風土が作られてきたのではないでしょうか。
敗戦後、占領軍から突然与えられた民主主義など到底消化することができないままに、物質的な充足感にごまかされて、社会とか国家といった大事な問題に真剣に向き合うことをせず、安穏と生活してきたように思います。
これまでも日本の社会構造上の問題点を浮き彫りにするような事件はありましたが、五月雨的なもので、いつのまにか私たちの頭の中で風化していってしまいました。
しかし、今年は年金問題、防衛省現職次官の汚職問題、特殊法人解体の棚上げなど、国家と国民との関係を根本から、改めて考えさせる重要で根深い問題が次々と発覚しました。
国家のために国民があるのではなく、国家は国民のためにあるのです。しかし、そのあるべき姿を維持していくためには、国民自身が相当のエネルギーを注ぎ続けていなければなりません。なぜならば、国家という権力は国民が少しでも目を放したり、手を抜くと国民を国家の下へ置こうとするものなのです。
民主主義とは国民一人一人が常に高い政治意識を持ち、個人的な目先の利益追求だけでなく、社会全体の将来を考えた行動をとることができるようになって、初めて機能するシステムです。個人の利益だけを追求する者だけの集団では健全な社会は築けません。そして健全で安定した社会でなければ、一時は手に入れたかに見える個人の幸福も長くは続きません。
今年の多くの嫌なできごとを風化させることなく、私たち自身が成熟した民主主義を身につける努力をして、明るい未来像を思い描くことができるような日本にしたいものです。
それでは皆様、2008年が今年よりも良い年になりますようにお祈り申しあげます。

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