投稿日:2007年12月17日|カテゴリ:コラム

来年から厚労省が導入しようと企てている医療保険改訂の一つに「時間売りの精神科カウンセリング」があります。
精神科の診療はまず患者さんからお話を聴く。そしてお話を聴いている間や、医師との会話のやりとり。そしてその間の、その方の表情や声音、しぐさや態度を観察して診断。診断に沿ったお薬を処方して、カウンセリング(主として会話による)を行うことが基本です。大掛かりな検査をしたり、手術を施すわけではありません。
したがって、私たち精神科医がその診療の対価としていただける報酬(診療報酬)は診察料とカウンセリング料とお薬の処方料だけです。私のクリニックは院内でお薬をお渡ししていますので、薬代と調剤料が加わります。その分、その処方料は院外の薬屋さんに渡す処方箋を発行するよりも安い価格に決められています。
薬代はそれぞれの薬について厚生労働省が製薬会社との協議で決めた価格(薬価)でお渡しします。この値段はどのような基準で決めるのか実に不明瞭なのですが、1錠5円70銭(どういうわけか実際には流通されていない銭の単位で決められている)のものから1錠1000円を超えるものまで、その値段は千差万別です。この価格は私のクリニックのような医療機関で買っても、調剤薬局で買っても全国一律に同一価格です。
薬を処方通りに計量して薬袋に詰める。粉薬の場合などには1回の服用分ごとに計量して袋に詰める分包という作業をする(粉薬でなくても薬の種類の多い方や服用方法を十分に理解できない可能性のある方にも行う)。さらに服用方法をきちんと指示してお渡しする。こういった一連の作業とそれにかかる経費に対して請求する調剤料は薬局より医療機関のほうが安く設定されています。医療機関では90円しかいただけません。院外薬局での調剤料は、これもまた複雑怪奇な計算方法で薬局ごとに値段が違ってくるのですが、概ね300円くらいから800円くらいかかります。
結局、患者さんが支払う総額は医療機関で処方箋を発行してもらって、調剤薬局で薬を受けとるよりも、病院の中で直接薬を受けとるほうが安くなります。病院で待たされて、診察が終ったと思ったら、また薬局で待たされる。そのあげくに支払う総額は高いものになってしまうのです。
それでは患者さんにとってあまり得にならない院外処方箋方式が我が国の医療の主流になっているのはどうしてでしょうか。
昔はほとんどの医療機関が自分のところで薬を渡していました。つまり院内処方が当たり前でした。その当時は患者さんに売る薬代、すなわち薬価と医療機関が卸問屋から購入する価格(実勢価格)との間の差益(薬価差)が恐ろしいほど大きかったのです。購入価格は薬価の30〜40%くらいであったと聞いています。つまり、薬価の60〜70%が医療機関の儲けになっていたのです。
このことが、いわゆる「薬漬け医療」を産む温床となりました。心ない医師や医療機関が、あまり必要とは思われない薬をどんどん処方して患者さんに飲ませ、利益を上げていったのです。
当然、薬漬け医療は製薬会社と医療をビジネスとしか考えない医療機関を利するだけで、患者さんのためになるわけはなく、また国の総医療費をも蝕むものでした。この薬漬け医療を阻止するために、国は前年度の薬の実勢価格を基に翌年の薬価を下げるという政策をとるようにしました。またそれとともに、院外処方箋料を上げて、医療機関が院内処方から院外処方へと切り替えるように誘導したのです。
その結果、私がクリニックを開業した平成3年の頃にはすでに病院内で薬を渡す院内処方方式よりも処方箋だけを発行する院外処方箋方式のほうが医療機関にとって経済的には有利な状態になっていました。
開業するに当たって、周囲の人は皆私に、院外処方箋方式を奨めました。しかし、「病気の人に病院で待たせ、また薬局に行って待たせる。あげくの果てに患者さんに高い医療費を払わせるわけにはいかない」という思いから、院内処方を選択して今も続けています。
しかし、院内で薬をお渡しするためには、薬を調剤する人件費、高い分包機の購入、薬を備蓄するためのスペースの確保(土地代の高い東京ではかなり負担)、使用頻度の少ない薬が期限切れになるリスク代、分包紙代、薬袋代、ビニール袋代などの経費がかかります。90円の調剤料ではとても見合いません。
また現在、薬の実勢価格は薬価のほぼ90%以上になっています。しかも、医療費は特例として本当の最終消費者である患者さんからは消費税を徴収しないことになっています。最終的に徴収しない品目ならば大元から消費税を課すべきでないと思うのですが、どういうわけか医薬品に限らず、すべての医療関連品目にはきちんと5%の消費税が課されています。その結果、5%の消費税は最終消費者ではない医療機関が支払っているのです。
つまり私は薬価の90%以上の購入代金を支払った上に5%の消費税も支払いますから、いくらお薬を渡しても儲かりません。儲かるどころか、薬によっては売れば売るほど損をする逆ザヤの薬さえあるのです。薬代に関してだけ言えば、私はただ窓口で患者さんからお金を徴収して、卸問屋を通じて製薬会社に引き渡すだけの役目なのです。
ところが、患者さんはそういう現状を知りませんから、たまたま高い薬を使ったために窓口での支払いが高いと、私が儲けていると思われるようです。なんだか製薬会社のために悪代官役をやらされている気分です。そういう時には院外処方箋方式に切り替えて、紙切れ一枚発行するだけで今より高い処方箋料をいただきたいという誘惑に駆られるのですが、患者さんのことや職員をリストラしなければならないことなどを考えれば、やはりこれからもできるかぎり院内処方で頑張りたいと思っています。

これまでの長々とした説明で私達精神科医の診療に対する報酬の多くがこれからお話しする専門医としての精神科カウンセリングに頼っていることがお分かりになったと思います。
さて、総医療費削減に躍起な厚労省は、ついにこの精神科カウンセリングという技術料に目をつけました。この技術料をなんとか安くしようと考えているのです。
近年、町のいたるところに私のようなメンタルクリニックを見かけるようになりました。この理由には現在のゆとりのない生活環境が精神的な悩みをもつ人を増やしている、メンタルクリニックに対する需要の増加があります。
しかしそれだけではありません。前回のコラムで書いたように加速度的なスピードで進む医療崩壊の結果、病院から逃げ出さざるを得なくなった医師の中に精神科や心療内科を標榜して開業する医師が雨後の筍のように現れてきたということも挙げられます。
ここ数年、私のクリニックの周辺だけでも相当数のメンタル系のクリニックがオープンしました。そしてその中には精神科医や心療内科医ではない医師が数多くいます。このところ目につくのは脳外科の医師が精神科を標榜して開業することです。
問題をややこしくしているもう一つの理由があります。本来、他の科に比べてかなり高い専門性が要求されるはずの精神科医ですが、日本の精神科のメインの学会である日本精神神経科学会はいろいろな理由からつい最近まで専門医制度が制定されていなかったのです。2年ほど前からやっと専門医の認定を行うようになりましたが、これまでわが国には精神科の専門医というもの自体存在しなかったのです。
さらに、隠れ精神科医もいます。我が国では看板に精神科と標榜しなくても、保健所と社会保険事務所などに精神科を届け出ておけば、精神科カウンセリング料を請求できるのです。
つまり、精神医学をまったく修得していなくても、医師免許さえもっていれば、ある日突然「私は精神科だ」と名のれるのが現状だったのです。そこで、精神的な悩みを持つ患者さんが増えてきた現象に対応して全国的に精神科を届け出る医療機関が急増して、精神科カウンセリング料が医療費の中で目立つようになってしまったのです。
この現象を国が見逃すはずがありません。精神科カウンセリング料の価格を下げようと考えるのはもっともな側面もあるのです。しかし、現在厚労省が考えている値下げ案はどうも納得がいきません。カウンセリングの料金を時間で計り売りしようというものだからです。
つまり、厚労省が企てているプランでは15分以上のカウンセリングならば今まで通りの価格。15分以下ならばそれより安い価格。5分以内ならばカウンセリングと認めないというのです。
一見もっとも思われるかもしれませんが、カウンセリングというものは単に時間をかければよいというものではありません。充分に信頼関係のできた間柄だと、顔を合わせて「やあ元気かい」と目線を合わして、要領よく話をまとめれば数分で相当のカウンセリング効果が上がることもあるのです。一方、ただだらだらと時間ばかりかけていたってまったくカウンセリングになっていない場合もあります。
外科だって腕のよい医師が執刀すれば難しい手術だって短時間で見事な手術を終えます。経験の浅い未熟な外科医が執刀すれば、簡単なはずの手術でも何時間もかかって、大量の輸血を必要とします。この場合、長時間の手術をしたからと言って高い手術料を請求できるでしょうか。
私は大学時代、一人の患者さんに時間をかけ過ぎた時に恩師から次のような注意を受けました。「西川君。君は今目の前にいる患者さんだけを患者さんだと思っているようだが、待合室でいらいらしながら待っている患者さんも、すでに君の患者さんなんだよ。」
多くのメンタルクリニックは完全予約制で診療しているようですが、私はいつでも来たい時に来れる診療を目指して基本的に予約制はとっていません。ですから、先ほどの恩師の言葉を忘れずに、カルテの貯まり具合を見計らいながら診療を進めています。混んでいなければゆっくりと、混んでいればコンパクトな診療を。
幸いなことに私のところに来てくれる患者さんの多くはその辺の事情をよくご理解いただけているようで、「今日は混んでいるみたいだから、これとこれだけ教えてください」なんて待合室で待っている他の患者さんに気を使ってくれます。
先日行われた精神科医の勉強会で、ある有名な精神科医が「上質な霜降りの松阪牛もミートホープの偽装肉も十把一絡げ、グラム当たり同じ単価か」と嘆いていました。私は自分のことを霜降りの松阪牛と言えるほどに高い自尊心は持ちあわせていません。しかし、それなりの経験とノウハウをもってカウンセリングを行っていると自負しております。
しかし、厚労省の試案が現実のものとなった場合、クリニックの経営を考えればこれまでのように患者さんの目を見ながらお話しすることはできなくなるかもしれません。そもそも、いつカウンセリング開始のゴングを鳴らすのかも不明ですが、ともかくストップウォッチとにらめっこ。元来早口な私です。とりたててそれ以上のお話は必要なくなってしまうかもしれませんが、とりあえず15分はいていただかなければなりません。そして、15分を超えたら即刻退場していただくことになろうかと存じますが、何卒ご容赦を。

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