投稿日:2007年11月5日|カテゴリ:コラム

精神科医をやっていると時々「カウンセラーになるにはどうしたらいいんですか」という問い合わせを受けます。非常に答えに困ります。困る理由は二つあります。
一つは精神医学と心理学とを混同して理解している方が少なくないことです。精神医学は医学の中の一分野です。脳という臓器の高次機能である精神神経現象の病的な状態を医学的に研究、治療する学問です。英語ではPsychiatryです。
一方、心理学(Psychology)は一般に「こころ」と呼ばれているさまざまな働きである心的な過程と、それに基く行動を研究する幅の広い学問です。当然ながら、精神医学が扱う対象は心理学の領域と大幅に重なりあっていますし、精神障害の診断や治療にとって心理学は大変重要な役割を果たしていますが、同じものではありません。
以前、ある大手化粧品会社から依頼を受けて会議にでたことがあります。私はてっきり社員のメンタルヘルスに関する相談だとばかり思って参上しました。ところが私が参加した会議のテーマは、他社に奪われているマーケティングシェアを回復するための宣伝戦略だったのです。この分野は完全に心理学のテリトリーで、精神科医ごときが云々できる課題ではありません。一般の人が精神医学と心理学とを混同している典型的な一例です。
心理学は精神医学だけではなく、哲学、理学、工学、経済学、美学、数学等々多岐にわたる分野と関連した学問で精神医学とは比べ物にならないくらい裾野の広い学問です。
一方、心理学者は人体の解剖をしたことがありません。医師と違って生身の人体に実際に触れる研修を受けていないので、人体の構造や生理学的な部分には通じていません。したがって、血圧低下とか麻痺とか、痙攣とかいった生命に直結するような事態に対処したり、薬物治療をすることができません。

私が答えに窮する二つ目の理由は、日本ではカウンセラーは公的な資格として存在しないからです。ところが、実際には世の中に「カウンセラー」と名のっている人がたくさんいるのです。一時はやった「セラピスト」ほどいい加減な呼称ではありませんが、「カウンセラー」の場合もやはり呼称だけが一人歩きしているように思います。ちなみに、患者さんに真顔で「先生はセラピストの資格をお持ちですか」と尋ねられて唖然としたことがあります。
「カウンセラー」を名のる方の多くは、一定期間以上臨床心理学を学んで、臨床の場で修練を積んだ方です。しかし、中には、趣味と実益を兼ねて「カウンセラー」を自称して商売しているたんなる世話好きの人もいるのです。今の我が国では、誰でも「私はカウンセラーです」と宣言すれば、その日から「カウンセラー」になれるというのが現状です。
カウンセラーの需要が増加しているのに、その資格が明確になっていない現状が、怪しげな人物に口先一つで金儲けする機会を作っていますし、金儲けの手段として勝手に「カウンセラー」という資格を与える士商法(サムライ商法)の手助けをもしています。
新聞広告を見ると、相変わらず低迷している雇用状況から、何か資格を欲しいという人の心理に付け込んで「カウンセラー養成」と「カウンセラー資格認定」をうたった怪しげな学校や通信講座の募集をたくさん目にします。電話による通信教育とそれに関する教材販売の分野でも「カウンセラー」が商品の一つになっています。

就職先がなくフリーター生活をしている若者にとって「資格」は喉から手が出るほど魅力的なことばだと思います。確かに資格を持っていれば、生活に困らない仕事を見つけやすいのですが、それはその資格が厳密な基準を満たす教育を受けて、一定の試験を合格して、広く社会から認知された実績をともなっている場合に、初めて意味のある資格だと言えるのです。
資格はそれを与える権限者によって、国家資格、公的資格、民間資格の3つに大きく分けられます。国家資格とは、法律に基いて国が実施する試験などによってその人の専門的な知識や技能が一定の基準以上に達していることを行政が確認して、その結果行政の権限によって一定の行為を行うことを許可する資格です。つまり、一般の人には禁止している行為をその有資格者にだけ特別に行うことを許可するものです。したがって「業務独占資格」とも呼ばれています。
代表的な国家資格は私のもっている資格の医師のほか、歯科医師、看護師などの医療系の資格や弁護士、公認会計士、税理士、建築士がよく知られています。このほかにもたくさんの国家資格があります。医療に関係するものとしては理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、薬剤師、臨床検査技師、臨床工学技師、歯科衛生士、歯科技工士、救急救命士、栄養士など。福祉に関係する資格では社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士などです。
公的資格とは、主に省庁が認定した審査基準を基に、民間団体や公益法人の実施する試験で与えられるも資格です。一応「資格」とは言われますが、実際には国家資格のように、ある物事を行うことができる権限が与えられるものではなく、受験者の実力を認定する正確のものがあります。
例としては簿記検定、秘書技能検定、救命技能認定、診療報酬請求事務能力認定試験、販売士検定、CGエンジニア検定などが挙げられます。私のプロフィールに記載してある「認定産業医」という肩書きもこの類で、日本医師会が認定した公的資格です。この資格がないと企業の産業医ができないわけではありません。
民間資格は民間団体や企業が、独自の審査基準で任意に与える資格です。法的な規制がありませんから、社会的に信用度が高く、誰が聞いても一定の能力があると認知されている資格から、先ほど述べた「資格商法」としか言いようがないような、社会的信用度がまったくない資格まで玉石混合の状態です。民間資格の代表例はTOEIC、P検、MCPなどです。

ところで最近私の所属する地区医師会は隣接するI医師会と共同で「認知症かかりつけ医」なる資格を創りました。医師会主催で認知症に関する研修会を開催して会員の医師に認知症に対する理解を深めようという狙いです。
たしかに、地域の高齢者の方と付き合いが深い開業医の先生が認知症に関する造詣を深めることは大変喜ばしいことです。しかし、この活動を推し進めるために勝手にしかも安易に「資格」を創ることは大問題です。
この資格創りに躍起となった内科医は日ごろから思い込みが激しく、独断でものごとを決めるので有名です。この人がどういう根拠からか、年に4回研修会に出席した者を「認知症を診断できる医師」として認定して、区民に公表すると言い出したのです。
認知症は私の専門分野だと思っていたので、はじめは参加するつもりもありませんでした。しかし、日ごろ私が診療している多数の認知症の患者さんやその御家族にとっては、主治医である私がそのリストに載っていないと「自分の主治医は認知症を診断できない医師だったんだ」と思われて、混乱を招いてもいけないので研修を受けました。
ありがたく、なんだか訳の分からない3年間の認定期間が書いてある修了症なる賞状をいただきました。さすがに「認知症を診断できる医師」という資格にはなっておらず、単に研修会を受講したことを証明する内容になっていましたが、この先どういう基準で更新していくのかも不明確な資格です。
こういうあいまいな資格を乱発することは、「資格」というものの権威を落とすだけでなく、一般の人を混乱させるだけではないでしょうか。民間資格の悪い一例と言えます。

さて、カウンセラーの話に戻ります。実際、私たち精神科医が臨床で患者さんの診断や治療に当たる際、熟練した真のカウンセラーによる心理テストや心理学的な治療アプローチ(カウンセリング)は必要不可欠です。
現在のところ民間資格ながら高度の専門的な能力が担保されていると思われる臨床心理学の資格は「臨床心理士」だと考えます。この資格は財団法人日本臨床心理士資格認定協会が認定する資格です。協会が指定した大学の臨床心理学の大学院修士課程を修了して一定の期間実習もしくは実務経験を有するものだけが受験できる資格です。
各学校に配置が進められているスクールカウンセラーも一応、臨床心理士の資格を有する者という建前になっている(実際にはそうなっていない)ので、臨床心理士の資格はそれなりに社会的な評価を得てきています。少なくとも我が区の「認知症・・・・・」なんていう資格よりははるかに実績のある敷居の高い資格です。
2005年にはいったん国家資格として立法化されかけましたが、具体的な資格基準、権限(業務範囲)*1、罰則などをめぐって、関係者内部の意見調整ができず、また医療関係諸団体の反対にもあって頓挫したままです。作業療法士などが国家資格となっている現在、臨床心理の分野に公的に定められた資格が制定されていないのは困った状態です。
無責任な詐欺師まがいの自称カウンセラーを撲滅し、士商法をはびこらせないためにも、早急に上記の具体的な諸課題を整備して、「カウンセラー」を誰もが納得し、責任ある資格にするべきだと思います。
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*1資格は国家資格、公的資格、民間資格という権限者による分類のほかに、権限(業務範囲)によっても幾つかに分けられる。医師や弁護士のような業務独占資格はその資格がなければその業務を行うことができないし、名称も使用できない。名称独占資格は業務そのものは資格がなくても行うことができるが資格取得者以外にその名称の利用が禁止されている資格。調理師や社会福祉士、介護福祉士などがこれに当たる。必置資格はある事業を行う際に、その企業や事業所に資格保持者を必ずおかなければならない資格。宅地建物取引業者における宅地建物取引主任者や警備会社における警備員指導教育責任者などがこれに当たる。

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