投稿日:2007年10月15日|カテゴリ:コラム

今回は、教科書的な病気の解説が中心のコラムになってしまいましたので、関心のあるお方だけお読みください。
最近、徐々に注目を浴びるようになってきた病気に「高次脳機能障害」があります。この病名は学術用語として用いられる場合と、行政用語として用いられる時とで、その意味するところに若干の違いがあります。
医学的に高次脳機能障害は「大脳の器質的病因*によって、失語・失行・失認といった局在した大脳の巣症状、注意障害や記憶障害などの欠落症状、判断・問題解決能力の障害、情動の障害、行動障害などを示す状態像」と定義されています。広い範囲にわたる認知行動障害を含んだ病気の概念です。
脳の機能のうちどこまでが低次機能でどこからが高次機能かというと厳密に線引きできるものではありません。しかし一般には、人類が他の動物と比較して飛躍的に発達して、他の動物と異なった機能を持つことができるようになったと考えられる、大脳皮質の担う機能を高次脳機能と呼んでいます。
したがって、大脳皮質が病気や事故などによって器質的に障害されたときにおきるさまざまな病態を高次脳機能障害と呼びます。当然ながら、大脳の広範囲にわたる萎縮が見られる、現在認知症と呼ばれるようになった痴呆(Dementia)も高次脳機能障害に含まれます。
ところが行政用語として用いられる「いわゆる高次脳機能障害」には認知症(痴呆)は含まれていません。厚生労働省が平成13年から積極的に研究に取り組んでいる「いわゆる高次脳機能障害」は認知症や明確な失語症といっためだった障害が認められないけれど、実際の日常生活や社会生活をおくっていく上で徐々に問題が明らかになるケース。「隠れた障害」を限定して使用しています。
つまり、交通事故や脳血管障害(脳梗塞や脳出血)などで脳が受けた損傷が軽度で限定されていて、本人も自覚せず、一般的な診察だけでは障害が見逃されてしまう人の中にも隠された障害を後遺症として持ち、それが原因でその後の生活を送ることが困難なケースがあることを重要視しているのです。
簡単にいってしまえば、行政用語としての高次脳機能障害は学術的な高次脳機能障害から、認知症と発達障害を除いたものと言えます。以下に行政で用いる「いわゆる高次脳機能障害」の診断基準を記します。

l.主要症状等 1. 脳の器質的病変の原因となる事故による受傷や疾病の発症の事実が確認されている。
2. 現在、日常生活または社会生活に制約があり、その主たる原因が記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などの認知障害である。
ll.検査所見 MRI、CT、脳波などにより認知障害の原因と考えられる脳の器質的病変の存在が確認されているか、あるいは診断書により脳の器質的病変が存在したと確認できる。
lll.除外項目 1. 脳の器質的病変に基づく認知障害のうち、身体障害として認定可能である症状を有するが上記主要症状(l-2)を欠く者は除外する。
2. 診断にあたり、受傷または発症以前から有する症状と検査所見は除外する。
3. 先天性疾患、周産期における脳損傷、発達障害、進行性疾患を原因とする物は除外する。
lV.診断 1. l~lllをすべて満たした場合に高次脳機能障害と診断する。
2. 高次脳機能障害の診断は脳の器質的病変の原因となった外傷や疾病の急性期症状を脱した後において行う。
3. 神経心理学的検査の所見を参考にすることができる。

高次脳機能障害に特徴的な症状は次の10個です。(1)失語症、(2)注意障害、(3)記憶障害、(4)行動と感情の障害、(5)半側空間無視、(6)遂行機能障害、(7)失行症、(8)半側身体失認、(9)地誌的障害、(10)失認症。

(1) 失語症:話したり、聴いたり、読んだり、書くことが困難になる症状です。このために、自分の意思を他の人に伝えたり、逆に他の人の発したことばの意味を理解することが難しくなります。

(2)注意障害:一つのことに注意を集中したり、多くの情報の中から必要な情報を注意して選択することが難しくなります。このために気が散って、疲れやすく、根気がなくなります。

(3)記憶障害:記憶機能の中でも、新しいことを覚える機能(記銘力)が特に障害されます。日時を間違えたり、場所が分からなくなって迷子になったり、約束を平気で忘れてしまうので、新しいことを学んだり、習得することが困難になり、人間関係のトラブルも多発します。

(4)行動と感情の障害:ちょっとした出来事にパニックを起こしやすくなります。反対に自発性が低下して自分から自発的に行動を起こさなくなることもあります。正反対の状態が混在して現れることもあります。
いろいろな状況に対処できなくなった際に感情的になって、攻撃的な態度を示すことがあります。また、自分ができないことに対してつじつまを合わせるために作り話をすることもあります。

(5)半側空間無視:自分が意識している空間の半側(多くの場合は左側)を見落とす症状です。具体的な例としては、食事の際に左側においてある食べ物を食べ残したり、ドアなどを通過する際に左側にぶつかる。歩行しているとだんだんと右側に寄っていってしまいます。

(6)遂行機能障害(前頭葉障害):私たちはなにか行動する時には必要な情報を整理して、目標を決め、計画し、手順を考え、実施し、結果を確認するという一連の作業を行っています。この一連の作業を円滑に遂行することが困難になります。症状としては動作を始めるのが難しくなったり、中断することが難しくなります。

(7)失行症(動作と行為の障害):手足の運動機能は障害されていないのに、意図した動作や指示された動作を行うことができない症状です。具体例としては歯磨きの際に歯ブラシや歯磨きのチューブをどうやって取り扱ってよいかが分からなくなって、歯磨きのチューブを口に持っていったりします。食事の際にも箸やスプーン、フォークをどう扱ってよいか分からなくなって、箸でスープをすくおうとしたりします。

(8)半側身体失認(身体の認識の障害):自分自身の身体像(ボディイメージ)の半側の認識ができなくなる症状です。麻痺があることが認識できなかったり、麻痺側の身体がないかのように振舞ったりします。また、麻痺は軽いのに使おうとしない状態も見られます。自分の身体半分の存在を認識しないで行動するので、そちら側ばかり怪我をするといったことで発見されることもあります。

(9)地誌的障害(場所の認識の障害):地理や場所についての障害です。よく知っているはずの場所で道が分からなくなって迷ったり、自宅の見取り図や近所の地図が描けなくなったりします。

(10)失認証:さまざまな知覚の認識が難しくなります。それぞれの知覚は障害されていないのに、頭の中でそれをきちんと認識できなくなります。視覚を例にとってみると、目は見えているのに、色、物の形、物の用途や名称が分からなくなります。絵を見ても全体のまとまりが分からない、よく知っている人の顔を見ても誰だか分からないという場合もあります。視覚の失認だけに限定されている時には、手に触れてみたり、音を聴いたりすれば分かります。ただし、聴覚や触角についても失認がおこることがあります。 こういった症例を的確に診断できるのは精神症状や神経心理学的症状に精通した専門医でなければなりませんし、PET**という特殊で大がかりな検査が必要な場合もでてきます。また、治療は補助的には対症的な薬物療法も考えられますが、主体は専門的なリハビリテーションです。したがって、どこの医療機関でも対応ができるわけではありません。
高次脳機能障害が疑われた場合には、専門医がいて、リハビリテーションの体制が整っている病院へ受診しなければなりません。対応可能な医療機関を知るためには各都道府県の医療福祉関係部所にお問い合わせください。
高次脳機能障害者は、一見では分かりにくく、障害を知らない人から誤解を受けやすいために、人間関係のトラブルを繰り返すことが多く、社会復帰が困難な状況におかれています。また、身体の障害は完治または軽症であって、精神障害とも認められない場合が多いので、医療・福祉のサービスを受けられずに、社会の中で孤立してしまってきた例が多かったのです。
厚生労働省はこういった障害に対してスポットライトを当てておきながら、平成18年4月の医療費改訂において、あからさまな総医療費削減政策の一端としてリハビリテーションの日数制限を設けて、リハビリテーションの必要な患者さんも一定の期限が過ぎると、保険医療でリハビリテーションを受けられなくなるようにしました。リハビリテーションの打ち切りです。
高次脳機能障害の方々は継続的なリハビリテーションが欠かせません。国のこのちぐはぐな医療政策の迷走のために「隠された障害」の高次脳機能障害に悩む人々はまたもや置き去りにされようとしています。
思いつきで、行き当たりばったりの施策ではなく、長期的に国民が安心できる社会保障の提供を望むところです。

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*:器質的という言葉は組織や細胞が、もとの形態に戻ることができないような変化が起こることをいい、このようになった病気を器質的な疾患と言います。これに対して、もとの形態に回復可能な状態は機能的と言います。

**:Positron Emission Tomoraphyの略。陽電子検出をを利用したコンピューター断層撮影技術です。代謝レベルの変化をとらえて画像化することができます。しかし、サイク ロトロンを設置しないとできないために、大きな施設でなければ実施できません。

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