新宿、歌舞伎町にある一医療機関の医師による乱売に端を発したリタリン問題はその後も議論が絶えません。その理由のひとつは、ちょうどこの時期に、小児の発達障害である注意欠陥・多動性障害(ADHD)*1 の治療薬としてリタリンとまったく同じmethylphenidateを主成分とするコンサータという薬の製造・販売に関する承認が求められていたからです。
コンサータの主成分はmethylphenidateですが、徐放製剤です。徐放製剤というのは主成分以外に加える物質を工夫して、急に血中に溶け出さないで、ゆっくりと長時間安定した効果を発揮するようにした製剤です。
前回お話したように、同じ成分でもリタリンのように即効で作用持続時間が短い薬剤は依存性が高いのですが、ゆっくりとじわじわ作用すると依存しにくくなります。こういう点からコンサータはリタリンに比べて安全性が高く、すでにアメリカでは多くの治療実績を持つ薬です。
これまで、ADHDに対して有効な薬が保健医療で認められていなかったので、コンサータの承認は専門医の間で待ち望まれていました。しかし、今回のリタリン騒動のあおりをくらって、一時は承認が見送られてしまうのではないかとの懸念もでていました。
結局、幾つかの基準を設けて、処方できる医師を「ADHDを正確に診断できる専門医」に限定することによってコンサータの製造販売は承認される見通しになりました。朗報といえます。
さて問題のリタリンはどうなるのかというと、まだこれから紆余曲折を経ると思いますが、おそらくはこちらも処方できる医師を限定して、医療用の麻薬と同等のきびしい管理の下に使用が許可される方向にあると想像しています。
先週のコラムで、今回のリタリン禍の根源はリタリン(methylphenidate)という薬物そのものにあるのではなく、リタリンを処方する医師の資質と品格にあることを指摘しました。そういう意味で、処方できる医師を限定することは悪くない一つの対策でしょう。しかし、処方できる医師の資格をどういう基準で決定するのかということはそう簡単な課題ではありません。
病気の診断、薬の薬理学的特性に精通していなければならないことは言うまでもありませんが、専門知識が備わっているという基準をクリアした医師が処方すればそれだけで、第2、第3の東京クリニックを防止できるのでしょうか。
私はそうは思いません。頭のよい、小利口だけれど倫理観に乏しく、品格にかけ、利にさとい者ほど危険な者はないからです。前回、「東京クリニックは氷山の一角」と申しあげましたが、私の耳に入ってくる危ない医師のリストの中には優秀な経歴をお持ちの方が少なくありません。
さらに、このように使用できる医師を限定するという時間をかけた準備のいる対策を行う前に、一回の処方で投与できる日数を制限するという、すぐにでもできる対策を行うべきだと思います。
厚労省は医療費削減の目的のために薬剤の長期投与をどんどん推し進めています。診察料、処方料、調剤料の節約ができるからです。この政策によって、リタリンまでも30日処方を許可していることがリタリン乱売を後押ししているのではないでしょうか。国にも責任の一端があると思います。
仕事は生活の糧をうるための手段という側面をもっていますが、それだけではないはずです。業種のいかんにかかわらず、それぞれの分野で社会に寄与・貢献できてこそ初めて、生業(なりわい)と言えるのではないでしょうか。
このごく当たり前と思える、そして長らく我が国ではそれに従ってきたはずの、仕事に対する誇りや倫理観が急速に失われてきました。姉歯設計士に端を発した「耐震偽装問題」であれ、ミートホープ社で代表される「食品偽装問題」であれ、折口の「コムスン問題」であれ、すべて金のために誇りを捨てた瞬間に生まれるべくして生まれた問題だと考えます。
個々の事件は一部の不心得者の悪事として、過熱報道されては忘れ去られますが、その根底に横たわっている企業の社会理念の喪失は、多くの大企業も例外ではありません。大企業であるために表面化しないだけで、実際にはもっと根深いのかもしれません。仕事への誇りを失い、病んだ社会は底なし沼のように深く存在して、私たちの生活全般を脅かし続けていることを忘れてはいけません。
なぜ、こんな社会になってしまったのでしょうか。一開業医である私が論じるにはあまりにも大きすぎる問題ではありますが、ここ数年、国家・政府が率先してこの利益優先の社会作りを先導してきたことだけは確かだと思います。
「国際化」、「グローバリゼーション」、「市場主義経済」などのスローガンを使って、弱肉強食型のアメリカ型経済を最良モデルと位置づけてきた政策に少なからぬ責任があることは否定できないのではないでしょうか。
とは言うものの、人の生命をあずかる私たち医療界は他の業種がどんなに病んでも、社会貢献の最後の砦として「医道の誇り」を失わないで頑張らなければならないはずです。しかし、現実にはそうはいかないようです。
9月18日に「他人事ではないシッコ(SiCKO)」で書いたように、我が国の医療保険制度の崩壊は想像を絶するスピードで進んでいます。皆様患者さんたちの負担が増える速度に負けない速さで医療機関の経営が圧迫されているのです。
貧すれば鈍する。法すれすれ、脱法的な医療や保険が適用されない自由診療に活路を見出そうとする医師が後を絶たないのです。ちょっと目先がきく医師ほど時代の流れを敏感に察知してその流れに乗っていきます。
さらに、新たな利益獲得の場を狙っているさまざまな営利企業が、自分自身は表には立たないで、雇った院長を看板にして、都内の一等地などで医療機関経営に乗り出していることが、この傾向にさらなる拍車をかけています。
小泉政権の時に、経済特区でモデル事業として試みると称した、医療の株式会社化は水面下ですでに見切り発車しているのです。
いつの時代にも不心得な慮外者は出現してきましたが、国が国民の最低限の権利である社会保障の枠をなし崩し的に取り壊してしまった現在、それまでならば真面目な医療に携わっていたであろうと思われる医師までもが、誇りをかなぐり捨てた行動に走らざるを得ない状況にまで追い込まれているのです。まさに医療界の小泉チルドレン登場ともいうべき現象です。
このままでは、愚直に医道をつらぬこうとする医師は、時代の流れに乗りきれなかった愚か者と笑われながら自滅します。その結果、時代の流れに乗った医師、すなわち医師免許をかざして医療ビジネスに踊る医師たちだけが跳梁跋扈する社会になってしまいます。そんな社会は国民にとって本当によい社会なのでしょうか。
すでに、私の住む地域にも保健医療を見限って、自由診療に比重をかける医療機関が急速に増えました。中には完全に自由診療しか行わない者もいます。「レーザーによるしみ取り」、「にんにく注射(ただのビタミン剤注射)」、「アンッチエイジングと称するサプリメント売り」等々です。中には色紙を身体のあちこちに貼って、病気を治すとうたっている医師もいます。当然自費です。
とどめは自費で合成麻薬を注射するサービスまでやっているクリニックの存在まで耳にするようになったことです。これも、アメリカ社会を模範としたグローバリゼーションの皮肉な成果と言えるかもしれません。
皆様も「改革はすべてよし」という催眠術からは、そろそろ目覚める時ではないでしょうか。私は、時代がどのように変わろうとも、変質しないでいることを求められているもの、そういうものもあるのではないかと思います。いかがでしょうか。
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*1 注意欠陥・多動性障害(ADHD):アメリカ精神医学会策定の診断基準DSM-IV-TRの行動障害に分類される疾患Attention Deficit/Hyperactivity Disorder。多動性、不注意、衝動性などの症状を特徴として先天的な要因でおこる脳の発達障害と考えられている。