投稿日:2007年10月1日|カテゴリ:コラム

新宿、歌舞伎町にある心療内科・精神科・皮膚科「東京クリニック」に東京都と新宿区保健所が医療法違反の疑いで立ち入り検査をしたのは9月18日のことです。依存性の強い向精神薬「リタリン」を、必要がない患者に不適切に処方していた疑いがあって行われたとのことです。
これを受けて電光石火のごとく、2日後の20日に、「製造販売元のノバルティスファーマ社はうつ病についての効能効果を取り下げる方針。近々、薬事法に基づいて厚生労働省に取り下げ申請する。」との新聞報道があり、ワイドショーにまでとりあげられて大騒ぎとなりました。
報道では、ノバルティスファーマは精神科関連の学会などとも協議した結果、「現在うつ病治療薬としてはさまざまな新薬が登場しているので、リタリンが使用できなくなってもうつ病の患者の不利益はほとんどない」と言っているとなっています。しかし、事実はまったく違います。

リタリン(methylphenidate)は他の抗うつ薬と比べて作用点も作用機序もまったく異なります。抗うつ作用を示す薬の中では非常に特異的な薬です。薬理学の正式な分類では、現在うつ病の治療薬として出回っている多くの抗うつ薬のグループではなく、中枢神経刺激薬というカテゴリーの薬になります。ほかの抗うつ薬で代替することはできません。
日本では1958年からうつ病の治療薬として販売されました。現在は「難治性うつ病」、「遷延性うつ病」のほか、日中突然眠くなる睡眠障害「ナルコレプシー」への効能が承認されています。
また、小児の注意欠陥・多動性障害(ADHD《Attention Deficit/Hyperactivity Disorder》)に対するほとんど唯一の治療薬と考えられていますが、なぜか正式に効能が認められてはいません。

脳はたくさんの神経細胞(ヒトの大脳皮質には約140億個在るといわれている)の間で情報伝達をして、さまざまな機能を果たしていると考えられています。神経細胞と神経細胞とのつなぎ目をシナプスといいます。このシナプスの間で情報伝達の役目を担っている化学物質を神経伝達物質と呼びます。
うつ病になるとこの脳の中の情報伝達のバランスが悪くなります。特に感情や意欲に関係した系統の神経細胞間で、幾つかの神経伝達物質による情報伝達が減ってしまいます。
今流行のSSRI1*、SNRI2*をはじめ、その他多くの抗うつ薬は、モノアミン(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど)というグループの神経伝達物質のシナプスでの量を相対的に増やす作用を持っています。
つまり、シナプスという極微小な空間にこういった神経伝達物質を長時間とどまらせて、送り手側の神経細胞からの情報を受け手側の神経細胞に、より有効に伝えることによって、うつ状態を改善しようとしているのです。
一方、リタリンも結果としてシナプスの神経伝達物質が豊かになるという点は他の抗うつ薬とそんなに変わりません。しかし、作用するのは情報の送り手側の神経細胞です。送り手側の神経細胞の先端にはシナプス小胞という小さな袋があって、そこに神経伝達物質が詰まっています。リタリンはこのシナプス小胞に働きかけて、中の神経伝達物質をシナプスの空間に強制放出させるのです。
シナプス前細胞(A)からシナプス後細胞(B)への化学シナプスを経由した神経伝達の様子 (1)ミトコンドリア(2)神経伝達物質が詰まったシナプス小胞、(3)自己受容体、(4)シナプス間隙を拡散する神経伝達物質、(5)後シナプス細胞の受容体、(6)前シナプス細胞のカルシウムイオンチャンネル、(7)シナプス小胞の開口放出、(8)神経伝達物質の能動的再吸収
(ウィキペディアより引用)
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この他の違いとしては他の抗うつ薬は飲んでから効き始めるまでに時間がかかり(数週間)、効きだすと長い時間効いているのにたいして、リタリンは服用するとすぐに(数十分)効くけれど、効果が長持ちしません(数時間)。
うつ病の時のシナプスの状態を貧乏になったお財布にたとえてみましょう。SSRIやSNRIといった多くの抗うつ薬は、なけなしのお金をむだ使いせずに利殖しながら有効に使おうという方法です。これに対して、リタリンはとりあえず、銀行に残っていた預金を下ろして使おうというものです。
長期的、継続的に考えた場合、一般の抗うつ薬による治療のほうが堅実で安全なことは言うまでもありません。リタリンだけに頼っていたらやがて銀行預金はそこをついて、サラ金からの借金地獄になってしまいます。
さらに、一般的に即効で作用持続時間が短い薬物は依存性が高いので、リタリンは高い依存性(耐性)を持っています。はじめは1日2錠ですんでいた人が3錠でないと効果がもたなくなり、そのうち極量とされている6錠以上を要求するようになってしまうことがあります。
一般にリタリンを忌避する医師が多いのは主としてこの依存性の問題です。しかし、依存は起こしやすい人と起こしにくい人がいるので、誰もがリタリン中毒になってしまうと考えるのは間違いです。耐性を示さずに、必要最小限の量で円滑な社会生活を営めている患者さんもいるのです。
一般の抗うつ薬でほとんど元気な状態に回復した。しかし、どうしても朝の元気だけが戻らない。朝目覚めても、動き出す元気が出ない。動き出しさえすれば仕事もちゃんとできるのに、朝のエンジンがかからないために定時に出勤することができない。こういう理由で、社会復帰がままならない患者さんがいらっしゃいます。お金の例に戻って言えば、利殖して有効に使おうにも元手が一銭もなければどうにもならない場合もあるのです。
私の経験では、こういう患者さんに、朝だけあるいは朝とお昼だけ、少量のリタリンを「着火剤」として使用すると、とてもうまく社会復帰できます。会社に復帰してから徐々にリタリンを減らしていって、従来の抗うつ薬だけでようすをみる。やがてその抗うつ薬もいらなくなる患者さんだっているのです。
リタリンを用いなくても元気になるうつ病の患者さんが大半であることは間違いありませんが、リタリン=中毒=悪魔の薬という単純なプロパガンダによって、リタリンの適正な使用をも禁じられたら、困る患者さんもいるのです。

ノバルティスファーマに直接問いただしたところ、報道は歪曲されたものであることが分かりました。新聞記者に対して、「学会など専門家の意見をうけて、今後の対策を検討したい。一つの選択肢として、うつ病に対しての効能効果を取り下げることもありうる」と回答したところ、前述の報道がなされてしまったのだそうです。これを聞いてまずは一安心しました。
しかし、こういった事件がおきると一般の人の間には「リタリンは悪い薬」という先入観ができあがってしまいます。困ったものです。一般の人はしょうがないとしても、精神科医の中にも薬のことをよく理解しない医師がいます。
ある研究会でリタリンが話題になった時、「リタリンを処方するようなやつは医師免許を取り上げるべきだ」と、えらく勇ましい発言をした若手の精神科医がいました。私が、「私は処方していますが、医師免許剥奪されるんでしょうか?」と発言したためにその場はどっとしらけてしまいました。
薬というものはもともと諸刃の剣です。作用と副作用は裏表です。はっきりとした効果を持っている薬物は使い方しだいでは毒になるものなのです。逆を言えば、とっても安全な薬はたいして効きもしない薬だとも言えます。いわゆる「毒にも薬にもならない」ってやつです。
ジギタリスという心不全に対する特効薬があります。トリカブトという植物の主成分と言えば、皆さんお分かりになるでしょう。そうです。時々殺人事件の凶器として使用される薬物です。治療量と致死量との差が小さいので、ある意味とても怖い薬です。しかし重大な心臓疾患ではこの薬でないと命を救うことができません。
一般の人が薬局で簡単に手に入れてポイポイ飲むことができないような、取り扱いの難しい薬を、危険性を踏まえ、その危険への対策をこうじた上で、有効に使用することができて初めて、プロの医師と言えるのではないでしょうか。

今回の騒動、リタリンという薬が悪いのではありません。医師免許を盾にリタリンを商品として利益を追求した一人の男の品格に問題があったのだと思います。
この医者は来院する患者さんに対して病態に関係なく、このリタリンと、もう一つ、やはり依存性の強い、俗に「赤玉」(芸能人や業界人が本来の用途とは別の目的でご愛用)と称する睡眠導入薬をセットで処方するという風聞が以前から流れていました。
どちらも依存性が強い薬なので、普通の神経の医師からは無軌道に入手することが困難なために、患者さんや中毒者が自分のところに釘付けになります。金を儲けるための道具として使っていたのでしょう。
しかし、市場経済優先の原則にのっとって、医療や健康を舞台に利潤を追求する者は彼だけではありません。東京クリニックは氷山の一角に過ぎないと言えるくらい急速に、こういう傾向が進んでいます。
私を含めて、医療に携わる者は改めて襟を正さなければなりません。いや今日、医療界に限らずあらゆる業種で、それぞれの仕事に携わる者の品格が問われているのです。

ちなみに、東京クリニックの院長はこういった薬物がらみの事件とは別に昨年、患者さんに対する暴行傷害罪で懲役2年執行猶予3年の判決を受けています。これを受けて、9月27日の厚生労働省の定例処分で医業停止2年の行政処分を受けました。
残念なことに、これで解決ではありません。今まで東京クリニックで薬漬けになっていた依存症の人達がリタリンと赤玉を求めて、明日から私たち都内の医療機関をさまよい歩くことになるのです。大変迷惑な話です。
将来再び、同じような事件をおこす者が現れれば、リタリンは完全に治療の場から締め出されてしまい、本当にリタリンを必要とする患者さんたちが救われないことになります。そして、中毒者たちを相手の商品がまた一つ増えて、犯罪組織がもっと儲かる事態になりはしないかと危惧しています。
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1*SSRI:Selective Serotonin Reuptake Inhibitorsの略。抗うつ薬の一つのグループでシナプス間隙に放出されたセロトニンがシナプス前細胞に再取り込みされるのを阻害する作用を持つ薬群。結果としシナプス間隙におけるセロトニンの濃度をあげる。特にセロトニンに特異的に働くためにselectiveと呼ぶ。

2*SNRI:Selective Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitorsの略。SSRIと同じように、神経伝達物質のシナプス前細胞への再取り込みを阻害することによって作用する抗うつ薬だが、セロトニンだけではなくノルエピネフリンに対しても作用する。

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