投稿日:2007年9月18日|カテゴリ:コラム

久しぶりに、映画館で映画を観てきました。マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー作品、「SiCKO(シッコ)」です。
「子狐ヘレン」以来、とんと映画館に足を運んだことのなかった私が、台風の影響で激しい風雨の中、何はさておきという気持ちになって映画館まで駆けつけた動機は2つあります。
第1はアメリカの現職大統領、ジョージ・W・ブッシュを徹底的に槍玉にあげて話題となった「華氏911」をしのぐ作品だという前評判。しかし、一番の動機は、この映画のテーマがアメリカの悲惨な医療の現状だからです。
現在も上演中の映画ですから、ネタをばらしてしまっては申しわけないので、詳細を書くことははばかりますが、この映画が訴えかけている骨子だけは説明しないわけには参りません。ムーア監督ごめんなさい。

アメリカではもともと、日本でやっとのことで、なんとか(?)行われている公的な国民皆保険制度がないのです。では、アメリカ国民は病気にかかったり、けがをした時にはどうするのでしょう。原則、全額自己負担です。歴代政府の主張によれば、医療に関しても自己責任であることが、自由主義、民主主義のあるべき姿だというのです。
当然ながら、裕福な人は高水準の医療を受けることができますが、お金のない人は医療を受けることができず、死んでいくのです。映画の冒頭にそういう人達の悲惨な姿が克明に描写されています。
何でもかんでも「マネー!」、「マネー!」のアメリカですから、医療行為の一つ一つのお値段は目の玉が飛び出るほどの額です。喘息治療の吸入薬1本がなんと10,000円以上するのですから。一握りの富裕層を除けば、一般の中流家庭でも、いったん家族の誰かが病気にかかってしまったら、それをきっかけに貧困家庭へと転落していかざるを得ません。
そういう事態を避けるために、中流階級の人々は民間の保険会社の医療保険と契約して、いざという時に備えるのです。民間の保険会社が保証してくれるんだから、それはそれでいいんじゃないかと思われる方が多いでしょう。そう考える方は、是非ともすぐに「シッコ」を観にいってください。
民間の医療保険が営利追及のために、政治家や医療界を取り込んでいかにあくどく、非人間的なやり方をしているかを知ることになるはずです。保険で儲ける大原則。それは掛け金だけいただいて、支払わない。この基本方針がぶれることなく、徹底的に貫かれているのです。
日本にも最近、続々とアメリカ資本の保険会社が参入してきて、テレビで頻繁に広告するようになっているでしょう。あれは医療費の補助をするといったもので、まだかわいらしさを装っていますが、今はまだ序の口です。もうすぐ、日本人から巨額の営利をむしりとるために、その牙をむき始めるのです。
彼らが、日本で本格的に商売を展開するためにはどうしても、ぼろぼろになりながらも、なんとか踏みとどまっている日本の国民皆保険制度を完全にぶち壊す必要があります。
そのためには、日本の政界、経済界、医療界の協力者がいなくてはなりません。そして、その目論見は徐々に成果を上げてきているようです。
「小さな政府でなければいけない」、「すべては自己責任だ」、「市場経済主義が世界のスタンダードだ」、「グローバリゼーションに乗り遅れるな」、「官僚は悪で民間は良し」、「競争社会こそサービスの質が向上する」といったレトリックを、なんの疑問も持たずに信じる国民が増えていることがその現れです。
アメリカの医療関連企業からの表彰状授与者を選考するとなれば、竹中平蔵、小泉純一郎あたりは当選確実です。また、一緒に手を組んで甘い汁のおこぼれにあずかる人と言えば、オリックスの宮内とセコムの飯田の名前がすぐに頭に浮かびます。まあ、彼らは医療界に限らず、アメリカの主だった企業すべてから賞賛を浴びると思いますが。
現在、政府もマスコミも声をそろえてグローバリゼーションと叫びます。そして、その際、グローバルのお手本となっているのはアメリカです。でも本当にそうなのでしょうか。
私はそうは思いません。確かにアメリカは、強大な軍事力をほこって、世界を舞台にして大立ち回りを演じ、実態のともなわないドルで金融市場を撹乱し、なにはともあれ一番目立つ存在ではあります。しかし、あらためて世界を虚心坦懐に見渡してみると、多くの国がもっとまっとうな社会を目指して努力しています。むしろアメリカ型社会は世界全体の中では異端といえます。
「シッコ」がとりあげた、医療制度だけにかぎって言っても、イギリスもフランスも皆保険制度を維持して、患者さんになった時、標準的な医療を受けるのであれば、自己負担金は0です。全額、保険と税金でまかなわれているのです。誰もが、安心して、平等に医療を受けることができるのです。

現在日本で運営されている医療保険制度とはどのようなものなのでしょうか。日本で最初の健康保険制度は第一次世界大戦後の1922年(大正11年)に初めて制定されて、1927年(昭和2年)に施行されました。鉱山労働などの危険な事業に就く労働者の組合から始まった制度です。この制度は徐々にその対象を広げ、企業に属さない個人をも対象とした、市町村などが運営する国民健康保険制度が整備されて、国民皆保険が達成されたのは1961年(昭和36年)のことです。
しかし、年々増加する総医療費抑制策として1983年(昭和58年)、ついにそれまでは0%であった健康保険本人の自己負担が10%となりました。当時は我が国の経済もバブル前夜とあって、国民所得に関してもバラ色の幻想がありました。また、10%ということもあって、国民はそれほど大騒ぎせずに、すんなりと受け入れたようです。
その後、一番お金のかかる老人健康保険の部分をあれやこれや取り繕っていましたが、ついにそんなことでは間に合わなくなって、2003年(平成15年)に本人の自己負担は30%になりました。毎月、高い保険料を支払っているのに、病院へ行く度に、さらに30%もの自己負担を強いられるようになったのです。
さすがに30%が限度。これ以上の自己負担を求める事態となったら、もはや保険とは呼べないでしょう。いまや、日本の医療保険制度は崩壊の道をまっしぐらにひた走っているのです。
確かに、日本の健康保険制度破綻の要因には過去、自己負担が0%だった時に多くの国民がただという理由で、病気にもなっていないのに検診の目的で病院を訪れて、たくさんの検査を受けていたこと。また、医療機関も自己負担がないことをいいことに、必要もない検査をしたり、むだな薬を出していたことがあげられます。いわゆる、検査漬け、薬漬け医療です。
そういう意味では、医療を受けた方に、それ相応の負担をしていただくことは、不必要な医療をなくすという意味で、効果があったように思います。しかし、現在は検査による利益による収益幅はきわめて小さくなり、検査会社も軒並み潰れてしまいました。
薬価差(薬の仕入れ値と診療報酬で定められている販売価の差のこと、つまり薬を提供した時に発生する利益)もほとんどの薬が10%未満。これから消費税5%分を支払う1*と、ほとんど利益はありません。それどころか、薬を出すと、その分医療機関が損をする「逆ザヤ」の薬もあるのです。薬漬け、検査漬けの悪しき保健医療はとっくに終っているのです。
先日、ある患者さんから「先生のところは高い」と言われてしまいました。しかし、その方の場合はお渡しした薬が高い薬物だったので、窓口での支払いも高くなってしまったのです。しかし、薬代としていただいたお金のほとんどは薬屋さんへ支払うだけで私の手元に残るわけではありません。私はたんに徴収係をさせられているだけです。このあたりの仕組みを理解していただくのは難しいようです。
ところが未だに国はマスメディアを使って、国民に、「保険が破綻しているのは医者が儲けすぎているからだ」と思わせるような情報を発信し、患者対医師の敵対的な図式を作ることによって、国民の目を別の根本的な問題からそらせてきました。
ここ数年、診療報酬はどんどん減らされ続けていますがその結果は、病院が潰れ、入院患者さんが3ヶ月で放り出され、医療従事者が過労死するだけで何の解決にもなっていません。
私は、みなさんが毎月支払っている健康保険料がきちんと医療行為に対する支払いだけに使われるならば、国民皆保険制度は今でもこんな状態ではなく、これからもまだまだ十分にやっていけると思います。ただし、同じ所轄官庁の担当する、労働保険や国民年金とおなじように、とんでもない使われ方をしていたならば話は別です。
実際、厚労省、社会保険庁傘下には医療保険に関連した特殊法人がたくさんあります。そういう機関は上級省庁の天下り先であるだけでなく、若いお役人の出世コースの一つにもなっています。また、各業界の健康保険組合の理事も厚労省や社保庁出身者の天下りの指定席になっています。そして、短期間に交替しては退職金を受け取っていきます。
国民の医療のためのお金が、そういう人達の給与や退職金として消えていったとしたならば、ざるに水を注いでいるようなものです。しかし、この問題についてマスコミは、なぜかまだアンタッチャブルのようです。このパンドラの箱をどうやったらこじ開けられるのか。私にはまだこれといった方策は考えつきません。

なぜか日本医師会が国民に十分にアピールしていない(おそらく政権与党や官僚ににらまれるのが怖いんでしょう)日本の医療費に関する幾つかの数字をお示しします。この数字を見れば、患者さんと医師が手を組んで医療保険の問題に立ち向かっていかなければならないことが分かるのではないでしょうか。
日本の総医療費の対GDP(国民総生産)比は7.9%で、これは先進国の中では最も低いのです。(対GDP比が最も高いのは、米国の15%)。
一方、患者さんの支払う医療費ですが、これは各国医療制度がまちまちなので一概に比較はできませんが、EUの平均でみると、患者さん個人の支払額は日本の1/3くらいだそうです。以前は、世界最高の保険制度と言われていた日本の健康保険制度は徐々に自己負担分を上げていって、今では患者さんにとって、とても高額な医療になっているのです。
その分医療機関が儲けているのでしょうか。ところが医療機関の収入は逆です。世界の先進諸国平均と比べて1/10ほどだそうです。日本の医療機関は儲けすぎているどころか、むしろ他の国に比べれば収入は少ないのです。
来年の4月からは、一番重たいお荷物であるご老人を後期高齢者医療制度と称して、別の船に乗せることが決まりました。ゆくゆくは皆保険制度の解体。「健康も自己責任」というレトリックを使って、アメリカのように、国民の健康を国内外の営利事業者の手に売りとばす策を講じていると考えられます。
私は、むだな医療やむだな人件費を徹底的に排除した上で、標準的な医療・福祉にかかる費用は国民の権利として、税金で補填するのが当然だと考えます。そのためには、消費税のアップもやむをえないのではないでしょうか。
医療・福祉は憲法25条「生存権、国の社会的使命」で国民が国に課した根幹的な契約事項です。国がこの約束を破ることは許されないからです。

「シッコ」の中で私がもっとも衝撃を受けたシーン。病院に入院していた老人が、医療費を払えなくなったという理由で、点滴用のチューブをつけたまま、車で運ばれて、路上に捨てられる場面です。
私たち国民は、常に国の社会保障制度に関する動向に、細心の注意を払って監視を続けましょう。国会に上程される議案、政党のマニフェストは言うまでもありませんが、新聞の片隅にさりげなく載っている政府高官の発言やテレビのCMなどからも、国の意図する方向が読みとれます。その際、甘い、美しいあるいは威勢のいい言葉には決して惑わされないようにしましょう。そうしないと、いつのまにか大半の国民は社会福祉という船から投げ捨てられることになりますよ。
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1*1989年(平成元年)に導入された直接税。製造業者、小売業者と資産等が移転するにつれて、負担が次々に転嫁され、最終的には消費者が負担することになる。導入当時は3%であったが、1997年(平成9年)に5%に引き揚げられた。消費税法成立の過程で政策的に医療や介護サービスは特例とされた。このために、医療費には消費税は発生しないが、医療に必要とされる物品には消費税が課せられているために、この5%の消費税は最終消費者である患者が負担するのではなく、医療機関が支払うことになる。どういうわけか、この矛盾点はあまり問われることがない。

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