投稿日:2007年9月3日|カテゴリ:コラム

今年の夏は日本中で猛暑が続いています。8月16日には岐阜県の多治見市と埼玉県の熊谷市で、気象庁の発表する公式気温がついに40.9度に達して、74年ぶりに国内最高気温の記録を更新しました。
気象庁による公式気温は、全国各地に配置されている測候所で計測される気温のことです。このために用いられる温度計は舗装されていない土壌面の上1.5mの高さに設置されています。
日射の直接的な影響を防ぐために、ステンレス製の通風筒と呼ばれる円筒に入れられています。昔は白く塗られた百葉箱という容器に収納されていました。また、地表面で反射した日射が感部に直接あたるのを防ぐため、通風筒の下部には遮蔽板をつけています。さらに通風筒内部への水滴付着防止のため、通風ファンを使用して5m/s程度の風を常に送っています。
なぜこんなにしつこく、気温の測定の条件について書いているかというと、気象庁発表の気温は、私たちが日々を過ごす実際の生活環境に比べて、とても快適な状況の下で測定されていることを分かってもらいたいからです。
日本にもまだまだ、木陰の涼を楽しめるような、すばらしい里山がそこかしこに残ってはいます。しかし、多くの人が集中して居住する現在の都市の夏の環境は、とてもとても百葉箱の中のようにはいきません。
アスファルトとコンクリートで塗り固められた都市で生活している多くの人が実際に体感する気温は、気象庁発表の気温よりも確実に数度、高くなります。この暑さから逃れるために、すべての建物でエアコンがフル稼働します。
エアコンは建物の内部を冷やす代わりに、その熱をすべて外部に放出します。ですから、都会の戸外の温度はさらに上昇するわけです。
さらに鉄骨やガラスなど、太陽光を反射する資材がたくさんおいてある工事現場や換気の悪い空間などの悪条件が重なった場所では、公式発表気温より10度も高くなるそうです。ということは、8月16日は熊谷市の工事現場では50度を超えていたことになります。

さて、この日は木曜日だったので、私は往診の日でした。バイクにまたがって豊島区と文京区を走り回りました。東京もさすがに暑くなりました。後になって、夜のニュースで36度以上に達していたことを知りました。
朝、家を出発する頃からすでに汗がしたたり落ちる暑さでした。午後2時を過ぎると頭がくらくらとしながら、往診先のご家庭にたどり着く状態でした。しかし、バイクに乗っている間は暑くても、訪問先のおうちに入れば、冷房なり、扇風機なりで涼がとられているので、そこで人心地つけていました。
ところが、区営の高齢者住宅1*に一人暮らしをされているおばあちゃまのドアを開けた時のことです。どっと押し寄せるサウナのような熱気。名前を呼んでも返事がありません。勇気をふるって中に入ってみました。
窓は閉めっきり、備え付けられているエアコンの電源はオフ。正確に測定をしたわけではありませんが、私の体感では45度近くに達していたのではないかと思います。舗装道路の照り返しと車からの排気ガスを浴びて身体にたまっていた熱を発散するどころではありません。意識までもうろうとしてきました。
居間に足を踏み入れると、そこに、おばあちゃまがぐったりと横たわっているではありませんか。2度、3度と声をかけたら、やっと返事がありました。意識障害は起こしていないとわかって一安心。
しかし、身体に触れるとうつ熱していて、周囲のようすからは水を飲んだ形跡もありません。汗でびしょびしょになりながら家捜しを開始。冷蔵庫に入っていた冷たい水を飲ませて、エアコンのリモコンを探しだして部屋を冷房。診察して、救急車を呼ぶ必要がないことを確認して帰りました。
この一件があったせいでしょうか、往診から帰宅してシャワーを浴びた後も具合が悪くて、その後は何もできずにごろごろするだけでした。私も熱中症の一歩手前だったようです。
この84歳になるおばあちゃまとはもう3年以上のお付き合いになるのですが、残念ながら徐々に認知症(痴呆)が進行してきています。昔は自分で買い物にも出かけて、身の回りのことは自分でできていたのですが、最近はほとんどお出かけすることもなくなっていました。
認知症(痴呆)は物忘れを中心とした記憶力の低下が一番注目されていますが、実際には脳の機能全般が衰えていきます。当然、温度を感じる機能も鈍くなってしまいます。
40度以上の室温も本人には暑いと感じられないのです。しかし、本人が暑いと感じようが感じまいが、身体に熱がたまり、汗として水分と塩分が失われていきます。熱中症は確実に忍び寄ってくるのです。
ふつうならば、ここで喉が渇いたと感じて、水分を飲みたくなるのですが、ここでもまた、認知症(痴呆)が立ちはだかります。口渇感(喉の渇いた感じ)も鈍くなっているために水を飲もうとしないのです。脱水に陥ります。身体を冷却せずに水分も補給しなければ数時間で死にいたることがあります。
暑さは当分続きそうでしたから、翌日、そのおばあちゃまに関係するいくつもの機関に相談をしました。

まずは、高齢者住宅を管理運営する区の住宅課に報告。住宅課は高齢者の方に住宅を提供することが役目だから、そこで居住する方の健康管理まではできないとのこと。それでもさすがに、高齢者住宅と名のっているだけあって、各戸の水場やトイレなどにセンサーを装備して、12時間以上人の動きがない時には、協力員と称する人が見回りに行くのだそうです。しかし、今回のようなケースの場合、12時間後では遅いのです。
次に考えたのは、食事を届ける配食サービスです。この担当者ならば、少なくとも1日に2回は届け先の高齢者の状態を把握できるのではないかと、考えました。このおばあちゃまも以前は配食サービスを受けていました。しかし、調べみると金額が高いので今は断っているとのことでした。
さらに調べると、現在は配食サービス自体が週に3回までが限度となっていることを知って、びっくりしました。配食サービスを再開したとしたって、週3回では何の役にも立ちません。しかし、以前は毎日昼食と夕食の配食を行っていたはずです。財政不足から、こんなところにも小泉政権以来ちゃくちゃくと進められてきた、弱者切り捨て政策の実績が実を結んでいたのです。
こうなれば、民間の介護事業者から派遣されているヘルパーの力に頼るしかありません。さいわい、このおばあちゃまを担当していた介護事業者は採算を度外視して融通をはかってくれる会社だったので、猛暑の間は決められた時以外にも、できるかぎり訪問して、状態を確認して、熱中症に気を付けてくれるということになりました。
一件落着。このおばあちゃまは、これでなんとかこの夏をのりきれそうです。しかし、高齢者の生活を支える福祉制度の問題点を改めて考えさせられるできことでした。

平成12年からスタートした介護保険制度は発足時から問題山積のごまかしの制度です。まず、「保険」という名前自体が大嘘です。実態はもっとも取り立てのきびしい税金です。高齢者は年金から有無を言わせずに天引きされています。無収入の生活保護者からも天引きしているのです。
「税」と呼んで、国民の反感を買うことを恐れた政府・与党が、まことしやかに「保険」という名前でごまかしたのです。しかもこの保険料、発足するやいなや、あっという間に値上げ。最初の6ヶ月は免除でしたが、10月には50%。翌年、平成13年10月には100%になりました。
しかも、地方分権という、これもまたきれいごとのごまかしで、各地方自治体にまる投げしたために、保険料は豊かな自治体と貧しい自治体とでは2.7倍もの差があります。そして、これからも毎年のように値上げが予想されます。
お金を払った一方、受けられるサービスはどうかといえば、これまた小泉の郵政民営化で象徴される、「民営にすればすべてがうまくいく」という幻想を利用して、民間にまる投げ。
国民の健康な生活を保障した憲法の根幹にかかわる福祉というものを、営利を追求することを至上目的とする株式会社に担当させたのです。結果は、まもなく、コムスン問題で明らかになりました。
コムスンの不正はグッドウィルを率いる拝金亡者の折口という男の個人的な人格の問題に帰されようとしていますが、元をただせば、現行の介護保険制度の仕組みそのものにあるのではないでしょうか。
介護保険発足当時はバブル崩壊後の低迷した経済状況が続いていました。新たな利潤獲得の分野を模索していた人々の前に、「この指とーまれ」と、いかにも美味しそうな「介護保険」という果実を見せられたら、折口でなくとも飛びついてしまうのはしかたなかったでしょう。
その後は、保険料は値上げするにもかかわらず、介護認定の基準をきびしくして、さらにはサービスに対する報酬も減らしていきました。つまり、金はどんどんふんだくっておいて、サービスはなるべく受けられないようにしているのです。
真面目に介護サービスをやっている業者の運営はどこも火の車です。今回、便宜をはかってくれる業者だって、おばあちゃまのために何度足を運んだって、規定の時間の報酬しか得られません。赤字を覚悟の奉仕でやるしかないのです。
高齢者住宅に入居した時には身の回りのことが自立していたとしても、時とともに老化が進み、認知症(痴呆)となる方は今後も確実に増加します。本来ならば、認知症(痴呆)で一人暮らしが困難になった時には、速やかに特別養護老人ホームで手厚い介護をするべきなのですが、受け皿となる施設あまりにも少ないために、入居を望しても何年待ちというのが現実です。

日本政府が現在の福祉に対する基本方針を変える気がないのならば、団塊の世代を中心とした、私たち高齢者予備軍は、認知症(痴呆)になる前に、子供達の世代や、「お国に」迷惑をかけないで、なおかつ自分も苦しまずに死んでいく方法を真剣に考えなければならないでしょう。
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1*1980年代後半になってはじめて登場した高齢者専用の住まい。住宅は高齢者が安全に快適に生活できるようバリアフリー設計になっていて、日常的な生活支援のための各種のサービスが付帯しているものをいいます。多くの場合、集合住宅で、単身や夫婦の高齢者のみの世帯が集まって生活する住宅です。

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