紀元前3世紀からおよそ1800年間、宇宙の中心は地球であると信じられてきました。16世紀にコペルニクスが地動説を唱えてから、その説が多くの人の理解を得られるまでにはおよそ1世紀近くを必要としました。
アインシュタインの相対性理論だって、当初は問題にされませんでした。当たり前です。今だって、日常的な生活をしている私たちには、時間が早く進むとか、空間が曲がっている世界なんて、ちょっとやそっとでは想像できません。
コペルニクスの天動説もアインシュタインの相対性理論も発表当時は一般の人には「妄想」と考えられていました。
「妄想」とは精神障害の症状を示す医学用語で、一般的には「病的な状態から生じた誤った判断」と定義されていますが、正確に言いますと、次の3つの特徴が必要条件です。
1.内容があり得ないこと。2.根拠が薄弱なのに異常に強い確信をもっていること。3.経験、検証、説得によっても訂正が不可能であること。
しかし、一般の人には1つ目の「あり得ないこと」という点だけが理解されて、ほかの2つの必要条件が軽視されたままで使われているようです。このために、コペルニクスの地動説が妄想と言われたのです。もしも、地球が猛スピードで回転していたならば、私たちは何かにしがみついていなければ、地球から振り落とされてしまうはず。あり得ないことと考えらたからです。
それまで常識と考えられてきたことがらに疑問を投げかけて、その常識を打ち破るのが科学の進歩です。ひとが「あり得ないこと」と感じる発言をすべて妄想と言ってしまったら、科学者はみんな妄想癖の精神障害者ということになってしまいます。
私たち精神科医が妄想であるかどうか判断する有力な根拠は、あり得ない内容という点よりも、むしろ異常に強い確信と、訂正が不能だという、残りの2つの特徴なのです。
妄想を抱いている患者さんはどうやって説明しても、いろいろな手段で考え違いを指摘しても、まったく聞きいれません。この点で妄想は迷信に近い脳の状態です。
しかし、迷信が集団的思考の遺物であるのと違って、妄想は社会性や集団性をもっていません。まったく一個人にだけおこる信念で、しかも神とか超自然的なものについての信念ではなく、日常茶飯な問題についての訂正不能な信念なのです。
たとえば、「職場や隣近所の人たちが、みんなで自分の悪口を言っている」とか、「警察が自分を監視するために、盗聴器をしかけたり、覆面パトカーを巡回させている」といった思い込みの形で表現されます。
内容は絶対にありえないとは言えませんし、家族の心理としては、身内が精神病であるとは思いたくありません。ですから、家族は妄想という症状を、単なる強い思い込み。理をつくして説得すれば、きっと納得してくれるに違いないと考えることが少なくありません。
このために、患者さんと一緒になって職場や警察に出向いて、事実を探ろうとします。周囲の環境が変われば、本人も納得するだろうと考えて、大金をかけて引越しをしたり、盗聴器がないことを証明するために天井、壁、床をはがすこともあります。
しかし、妄想はたんなる思い違いとは次元のちがう脳の思考機能の障害です。何回、引越しをしたって、そのたびに新しいご近所さんが悪口を言い始めます。家中の天井、壁、床をはがしても盗聴器は消えません。妄想の確信の強さと訂正の困難さはまさに病的です。
ですから、内容が正しくないことを説得しようという努力は骨折り損のくたびれもうけになります。さらには、徒労に終るだけでなく、まちがいを指摘する者までもが、患者さんの妄想の対象になってしまうことも少なくありません。
つまり、それまで自分の味方だと思っていた家族や友人達も、「実は自分を陥れる陰謀の加担者だったのだ」という妄想に発展してしまうことがあるのです。
妄想に対してはなるべく早く薬物による治療を開始するべきです。最近は副作用の少ない優れた薬が開発されていますので、早期に治療をすれば妄想は治療可能です。
繰り返しになりますが、妄想の最大の特徴は内容が間違っていることではありません。健康な人たちだって、結果的にみれば間違っていたという主張をします。常に正しい判断をできる人なんてみたことがありません。
ただ、健康な精神の持ち主は、何かに対して強い信念をもったとしても、どこか、あいまいさが残っているのです。つまり、「自分は絶対にこう考える。しかし、もしかすると違っているかもしれないかな」というあいまいさです。
ですから、周囲からの説得や、新たな判断材料を与えられた時には、それまでの主張を訂正することが可能なのです。健康な状態とは常にファジーな部分が残っている状態です。
さて、選挙の大敗という結果を受けても、「大変きびしい結果とはなりましたが、私の推し進めている基本政策には国民のご理解を受けていると信じています」と主張し続けている総理大臣。
本音は、「国民の理解を得てはいないが、自分はこの方針を変える気はない」なんだけど、建前として言っているだけならば心配要りません。しかし、もし本心から国民が理解していると確信されていて、訂正不可能だとしたならば、この国の先行きは、相当不安なものとしか言いようがありません。
投稿日:2007年8月27日|カテゴリ:コラム
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