投稿日:2007年8月13日|カテゴリ:コラム

かつて日本人の魂のよりどころであった「武士道」の精神では、傷ついて、弱っている者を追いかけて討ち取ることは、恥ずかしいこととされてきました。
あだ討ちの場合にも、相手が病気にかかっている場合には、回復を待って、正々堂々と立ち向かうことが美しいと考えられてきました。
こういう精神的な風土があるためでしょうか、政治家をはじめ有名人が何らかの不正を糾弾されても、病気だという診断書が提出されると、疑惑の追及も一時休止して、回復を待つことになります。この時、医師の診断書は水戸黄門様の御印籠のような力を発揮するのです。
たしかに、病気で苦しんでいる状態の人を追い回したら、どんな病気だって悪くなるにきまってます。病人を追い回したあげくに、その人を生命の危険にさらすようなことがあれば、重大な人権侵害です。診断書は厳重に尊重されなければなりません。
ただ忘れていけないのは、武士道にのっとった行動が必要とされるには、自分だけではなく、相手方も武士道をわきまえた者同士であるということが大前提だということです。
また、診断書が尊重される前提条件は、医師は医学的に正確な内容の診断書を記しているはずだということです。言いかえれば、医師は医道にのっとった行動をしているはずだということです。この前提が崩れてしまえば、診断書にはもはや、なんの権威もなくなってしまいます。
横綱、朝青龍が「腰の疲労骨折と左肘の靭帯損傷で全治6週間」という診断書を提出して夏の巡業を休場。その直後に、祖国モンゴルでサッカーに参加して、グラウンドを走り回り、見事なヘッディングシュートをしている映像が報道されました。診断書の真偽が取り沙汰されることになりました。
この報道がきっかけになって、相撲界のみならず日本国中、大騒ぎ。事態は横綱本人の思惑通りにはすまないで、相撲史上初めてといえる、横綱に対する謹慎処分にまで発展してしまいました。
ここで、さらにこの問題をややこしくさせるために登場したのが恥ずかしいことに、またもや私たちの仲間である医師です。
主治医としてたびたびテレビに顔をみせるHi医師は「芸能人御用達医師」として、ある意味で、とても評判の高い有名医師ですから、彼がなにを言っても、それほどびっくりしません。
私が驚いたのは、その後登場した精神科医と称するHo医師の発言です。記者からの質問に「神経衰弱状態
とうつ状態です」、「あと2,3日でうつ病になるってことです」と、なんともまあ軽やかに答えているではありませんか。
神経衰弱状態という、古風であいまいな状態診断(病名ではなく、状態を表している診断名)とうつ状態という、これもまたあいまいな状態診断のダブルトッピングです。しかし、たった1回会っただけで、正確な診断をくだすことができないことはなんら不思議ではありません。
事の重大さを考えて、慎重な発言をせざるを得ないのだろうと思っていたら、引きつづいて、「あと2,3日でうつ病になる」という明確な予見。精神科医歴32年の私にはとても下せない診断を宣告したではありませんか。これにはびっくり。
なぜならば、「うつ病」と診断するためには、ふつう少なくとも2週間は症状が持続するということが条件になっているからです。あわてて、古い新聞を引っ張りだして読んでみました。
問題が発覚して、口をへの字にして日本に戻ってきたのが、7月30日。相撲協会で謹慎処分が決定したのが8月1日です。いつから、うつ状態になったかは定かではありませんが、少なくとも「うつ病」と診断するためには少なくともあと1週間は必要なように思いました。
精神科の学会や研究会ではあまり、見たことも聞いたこともない医師だったので、早速Ho医師のプロフィールを調べてみました。
彼は確かに精神科医でもあるのですが、ここ数年は美容外科(彼はなんとも不思議な精神外科という言葉を使っている)に進出し、日本各地のほか中国でも美容外科のクリニックを経営している実業家だということがわかって、私自身は納得。
しかし、診断書の社会的な重さを考えれば、私だけが納得していてもしょうがありません。ことに、今回の診断は、国技である相撲の将来にかかわるだけにとどまらず、日本とモンゴルとの外交問題にもなりかねない重要事項です。 業界のノリで、いい加減な診断書を提出されては困るのです。
幸なことに、間髪を入れずに、相撲協会の指定した精神科医によって、「急性ストレス性障害」という、妥当な診断が下されたので、精神科医としては一安心です。後は、この診断をふまえて、本人と関係者が今後の方針を決めればよいと思います。
相撲は現在の日本で武士道を形として残している数少ない世界です。立行司が短剣を挿しているのは、昔は行司が差し違えた(判定を誤った)時には、切腹したからです。さすがに現在は本当に切腹はしませんが、そのような心構えで土俵に上がっているのです。
その相撲界の頂点に位置するのが横綱です。本来、番付の最上位は大関です。大関の中で特に「心・技・体」すべてに優れたものに綱を張る免許を与えて、横綱と呼び、褒め称えられ模範とされたのです。
ですから、本来はいくら成績がよくても、横綱と呼ぶにふさわしい心をあわせもっていない力士には綱を与える必要はなく、普通の大関にとどめておくべきものなのです。
朝青龍のこれまでのいくつものエピソードや、土俵上での立ち居振る舞いを見ていると、「最強の大関」のままにしておくべきだったと思います。長い相撲の歴史を振り返れば、大関が最高位で横綱不在の時代は珍しくはありませんでした。そうしていれば、朝青龍も心を病むほどのプレッシャーは味あわなくてすんだのではないでしょうか。横綱不在だと集客できない。なにがなんでも横綱がいてほしいという、相撲協会の営業優先の姿勢が今の事態を生んだとも言えます。
20歳代の若者にそこまで要求するのは酷だという人もいます。しかし、相撲は国技とされています。普通のスポーツとは違うのです。相撲協会や日本政府は「横綱」の持つ意味をモンゴルの人達によく説明して、今の騒ぎが外国人差別とは違う次元の問題であることを理解してもらう必要があると思います。
「双葉の前に双葉無し、双葉の後に双葉無し」と言われ、現在でも史上最高の横綱と称されている双葉山は、70戦目にして敗れて、連勝記録が69でストップした時にも、「われいまだ木鶏(もっけい)
たりえず」と述べただけで、表情も変えずにふだんどおりに東の花道を下がっていったそうです。
横綱とはそのように、泰然自若とした強い精神を要求される存在なのです。診断名はともかく、自分の招いた不祥事をきっかけに下された処分によって、精神不安定になるということが、すでに横綱である資格がない証拠を示しているように思われます。
今回の騒動が相撲道、武士道、医道というものを、また即物的な豊かさだけを追求して、魂が軽んじられている現在の日本の社会のあり方を、もう一度考え直すよい機会になることを望んでやみません。
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1神経衰弱状態とは疲労感やさまざまな不定愁訴を呈する状態で、ほかのはっきりとした診断がどうしてもつかない時に使われる状態診断で、現在はほとんど用いられていない。しばしば、重症の精神障害をごまかすために偽の病名として使われることがある。
2中国の荘子に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。荘子は、道に則した人物のたとえとして木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。

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