投稿日:2007年7月17日|カテゴリ:コラム

この1世紀あまりの医学はめざましい進歩をとげました。昔は治らないとされてきた数多くの病気が、医学の進歩で予防や治療が可能になりました。現在はまだ制圧できていない癌やAIDSも、近い将来には征服できると予想されています。
しかしながら、人類誕生以来、まったく歯がたたず、将来的にも治療のめどさえたっていない病気もあります。その代表格が「恋の病」です。
「恋の山には孔子の倒れ」ということわざがあります。どんな人でも色恋のこととなると分別を失ってまちがいを犯してしまうということです。
恋愛、好きな異性を求めるという本能。その欲動につき動かされた「恋の病」は知性の代表選手、広く礼節を説いた孔子でさえもどうにもコントロールできないという意味です。20世紀を代表する天才物理学者アインシュタイン博士もホーキング博士もばついちです。
孔子と物理学者に限ったことではありません。歴史上、さまざまな分野ですばらしい業績を残してきた偉人たちにも、こと色恋沙汰では世間を騒がせたり、評判よろしからぬ方は少なくありません。「下半身に人格なし」とも言います。
つまり、太古の時代の諸先輩の動物から脈々と受け継がれてきた本能を病因とする「恋の病」は、他の動物にくらべて飛躍的に発達した人類自慢の大脳新皮質による論理的な思考では発症をくいとめることができません。
ところが、知力を過信しきっている人類は、自分が大変な病気にかかってしまったことを素直には認めたがりません。
自分が病気であることを自覚しない症状を精神医学では「病識の欠如」と言いますが、多くの恋愛病患者はまさに病識が欠如しています。
つまり、この病気を自分の健康な知的思考力の産物だと解釈したがり、「彼の優しいところが好きなの」、「荒っぽいところが男らしい」というふうに、なんとか自分の病的な感情に理屈をつけないと気がすまないようです。
しかし、現実には、いったん感情的に嫌いになってしまったとたんに、相手の人格は全然変わっていないのに、その論理的な評価はいとも簡単に一変してしまいます。「優しさ」は「優柔不断」に、「荒っぽい」は「粗野で下品」。
さらに、恋愛感情を表現する際にも、新皮質は嘘をついたり、計算づくの思わせぶりの演技をしたりといった、余計なちょっかいをだすので、本来純粋なはずの恋愛感情がややこしい人間関係にこじれてしまうことも少なくありません。発達しすぎた大脳新皮質は恋の病をかえって複雑化させるようです。
また困ったことに、「恋は麻疹みたいなもの」と言われるように、この病は珍しい奇病ではなく、罹患率が限りなく100%にちかいのです。さらに有効なワクチンがない。しかも、1回かかったら2度とかからないような終生免疫も獲得できません。
治療法はあるのでしょうか。これもまた、昔から言われているように「恋の病はお医者様でも草津の湯でも治すことはできゃしない」。西洋医学も東洋医学もお手上げです。時間を頼りに自然回復を待つしかないのです。
症状は相手の反応によって大きく変わります。相手も自分の求愛を快く受け入れてくれる場合、つまり相思相愛のケースでは躁病に似た症状を示します。今まで何気なく見ていた周囲のどうってことのない風景までもが光り輝いて見え、自信が湧き、将来が楽観的に思えてきます。少々ハードな仕事や睡眠不足なんて、苦痛に感じません。
一方、相手がはっきりと自分のことを拒絶した場合には、重症のうつ状態に陥ります。何もする気力が湧かなくなり、口から出るのはため息ばかり、周囲がすべてモノトーンの暗い風景に変わってしまいます。食事も喉を通らず、将来は闇と化します。相手のことを頭から振りはらおう、振りはらおうとしても、常にその人のことを考えてしまう強迫観念も見られます。
しかし、はっきりと拒絶された場合のうつ状態は、たいてい一定の時間がたてば自然と回復してきます。中には症状変化してストーカーとなり、留置場に入らないと治らない人もいますが。
一番困るのが、相手が自分のことを好きか、嫌いかはっきりと意思表示せずに、思わせぶりな態度を長引かせる場合です。こういう状態が長く続きますと、抑うつや強迫症状のほかにより病的な妄想にちかい症状も出現します。
すなわち、確たる根拠もないのに、相手の何気ない行動を自分中心に勝手に解釈し始めるのです。「僕の好きな青い色の服を着てきたということは、僕に気がある証拠だ」とか「電話しても出ないのはきっと男が家に来ているからだ」とかです。
ちなみに、イタリアとアメリカの精神科学者たちが共同研究で発表した「生化学的にみた時、重症の恋愛状態と強迫性障害とは区別がつかない」という論文に対して2000年イグ・ノーベル賞が授与されました。
まことにやっかいで避けては通れない難病です。科学者としては「今後、研究が進んで予防・治療法が確立されることを期待します」と結ばなければならないのでしょうが、不謹慎な私は、この病気だけは未来永劫、不治の病であってほしいとひそかに思っています。

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