投稿日:2007年5月28日|カテゴリ:コラム

私の知っているかぎり、地球上の有性生殖をする生物の性はオスとメスの2種類しかありません。なぜ2種類しかないのでしょう。私の素朴な疑問です。

種の多様性を追い求めた結果、有性生殖という方法に行きついたのですから、さらに多様性を求めるならば、もっと多くの性があったほうがよいのじゃないかと思ってしまうのです。

例えばA、B、Cという3種類の性があれば、AとB、BとC,AとCという生殖の組み合わせができて、よりバリエーションが豊かになると思います。しかし、現実にはオスとメス以外は見当たらないのですから、3種類以上の性があると、きっと何らかの不都合があるに違いありません。

たった2種類しかないのに、とかく男女の中は横恋慕やら、三角関係やら、不倫やらとややこしいのですから、これ以上に性が複雑になってしまったら、収拾がつかなくなってしまうからかもしれません。2種類だけでよかったのでしょう。

「人間の男にとっては人間の女よりも、チンパンジーのオスとのほうが分かりあえる」といった学者がいましたが、このことばは私の頭の中にずっと残っていて、人生の折々に「なるほど」と一人合点することがあります。

見かけは同じ種に属している異性とのほうが似ています。いくら私だって、チンパンジーに間違えられたことはありません。しかし、行動面を見ると種を超えて、たしかに性による共通性のほうがあるように思います。

私はたまたまオスなのでオスの行動が心理学的によく了解できます。メスの行動心理は人間の女性に関してでさえ、私には未だに了解不能の部分が数多くあります。ですから、共感できるオスの行動を中心に話を進めていきます。

種を問わず、若いオスの行動原理をつきつめていくと、要は自分を受け入れてくれるメスを見つけ出して、ナンパして、ふらちな行為におよびたいという動機に基いているように思われます。

私自身の人生をふり返っても、青年期にやってきた行動の大半は異性に認められたいという不純(純粋?)な動機に基いているように思います。

中学校に入学して始めた柔道は、病弱で身体の小さかった私にとって、他のオスに物理的な闘争で負けたくないという動機だったと思います。

やはり中学生時代に始めたギターや歌だって、やっているうちには音楽そのものへの興味が増していきましたが、当初は目立ちたい、もてたいの一心だったのだと思います。あの当時はギターでフォークを弾き語るのがめちゃくちゃかっこよい時代でしたから。

くそ面白くもない受験勉強に一生懸命取り組んだのだって、結局は知的に優秀なところを証明して、ヒトという特殊な社会的生物界において異性獲得の武器に使おうという野心があったことは否めません。

ヒト以外の繁殖適齢期のオスの行動も似たりよったりです。ほとんどの行為は自分が強く、賢く、美しく、美声であり、餌を獲得する能力に長けていることをメスにアピールための行為です。

オットセイのように1個のオスが多数のメスを独占する形の社会を営む動物のオスは激しいオス同士の競争をしなければなりません。厳しいトーナメント戦を勝ち抜いたチャンピオンのみがメスを獲得できるのです。

鳥などで代表される1個のオスと1個のメスでつがいを作る動物はなんとかそれなりにパートナーとなるメスを獲得できるチャンスがあります。一部イスラム世界を除けば、人間もなるべく闘争を避けるこのタイプの社会を選んでいるようです。

しかも、多くの個体がそれなりのパートナーを見つけられる方式のほうがオス同士の過剰な争いがないだけではなく、次世代の遺伝子の多様性という点からも優れています。

私の知人で、教養のある女性が、「男なんて一握りの感性のある優秀な人だけがいればいいのよ。社会に害悪を撒き散らすだけのどうしようもない男なんていないほうがいい。」とおっしゃいました。

つまり、オットセイ型の社会をよしといってらっしゃるのですが、私は違うと思います。オットセイ型の社会では、その時の環境に対して最強のオスの遺伝子が広く伝わっていきますが、環境が突然変化した時には対応できなくなり、いっせいに崩壊してしまいます。多様な個体がいた場合には、大多数の個体が適応できないような大激変がおきたとしても、ひとにぎりの変わり者が生きのびられる可能性があるのです。

その時代、ダメと思われている遺伝子が、異なった環境になったとたんに優秀な働きをする可能性があります。そういう可能性を残しておくためにも、たくさんの組み合わせのカップルがあるほうがよいのです。

人間の歴史をふり返っても、昔は体格に優れて、狩猟で獲物をたくさん獲得する能力に長けているオスがもてたと思います。やがて農耕が発達してくると、栽培の技術と日々の勤勉さが尊ばれることになります。工業が発達して、物作りが盛んになると手先の器用さが要求されました。

さて、現代はどうでしょう。口先だけが発達して、人の金を右から左に移すだけで、金と言う化け物を獲得する、詐欺師みたいな能力に長けているやからがもてはやされているようです。人間性が欠落していなければ起こりえないと思えるような残酷な事件も日常茶飯事です。異常な時代です。

しかし、こんな時代は長く続くはずがありません。いや、こんな時代は長く続かせてはいけないと思います。なぜならば、このままでいけば、生物学的に考えても、ヒトという種が自滅に向かって突き進んでいるように見えるからです。

ではどうすればよいか。根本的には教育をはじめ、社会・文化のあり方を正しい方向へ修正していかなければならないでしょう。しかし、現在政府がやっている改革と称するものは私にはその場しのぎのごまかしにしか過ぎず、豊かで美しい本来の人間性の復活につながるとは思えません。時の政策の是非はともかく、そういう大プロジェクトは町の精神科医の力のおよぶところではありません。

私にできることは、私に直接関わる人や、このささやかなコラムを読んでいる人に主張し続けることだけです。それしかありません。

今の狂った価値観の横行している社会で、女性にもてないでくさっている男性よ。自分らしさ、つまりこの世に自分は二人といないということ、そのことに誇りをもって、自分の個性(長所)に磨きをかける努力を怠らないでください。

「産む装置」であれ、「産ませる装置」であれ、自分を愛し、自分に対する尊厳をもてるようになると、不思議なことに自分と異なる人を尊重することができるようになります。他人に対する感謝の気持ちがうまれてきます。そしていつの日か、自分のことをこの世にただ一つの光り輝く存在であると、自他ともに感じられるようになれます。私はそう信じたい。

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