投稿日:2016年6月13日|カテゴリ:コラム

いささか食傷気味だとは思うが、先週に引き続き、悪あがきを続ける舛添要一の話題から入らせてもらう。

人間離れした強心臓の持ち主の舛添は、都議会での追及に対して壊れたレコードのように「厳しいご指摘を心に銘じて、生まれ変わったつもりで都民のために一層まい進することによってご理解を得ていきたいと思っています」と言った主旨の言葉を読み上げる。

要するに、「うるせえなお前らごみが。俺さまがこれだけ下手でに出ているんだからもういいかげんにしろよ」という本音をぐっと押し殺して、「とにかく謝ります。そして、これからも頑張りま~す。」と繰り返しているだけだ。事実釈明を求められても一切答えない。まあ、嘘八百だから答えようがないのだろうが。

 

ところで、舛添に限らず政治家、会社責任者、芸能人の謝罪会見での耳障りな常套句に「皆様にご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありません。」がある。

広辞苑によると、「心配」とは「心を配って世話をすること。こころづかい。配慮。」、「心にかけて思いわずらうこと。不安に思うこと。気がかり。うれえ。」

つまり、当事者に共感して、我がことのように思い悩むことを言うのだろう。

したがって、病気や事故でコンサートに穴を開けてしまった芸能人の復帰報告や、何らかの手違いで欠陥商品を店頭に出してしまった会社の謝罪会見などで使われるのが適当だと思う。

ファンは楽しみにしていたコンサートが流れたことを残念に思うものの、それ以上に好きなミュージシャンの健康状態を心配していたに違いないからだ。また、消費者は信頼していたブランドに裏切られたという怒りと同時に、自分が購入した商品も欠陥だったのではないかと、自分の身を心配するからだ。

だが、舛添で代表されるように、不祥事が明るみに出た者の謝罪会見での「ご心配」の大半は的外れと言える。迷惑は被っているかもしれないが、誰も心配していないからだ。それどころか多くの人は迷惑を通り越して怒りの感情に包まれている。

それなのに、近ごろの謝罪会見では馬鹿の一つ覚えのように皆、「ご心配とご迷惑をおかけして・・・・」をまくら言葉にしている。どうやら企業向けの謝罪マニュアルにそう書いてあるらしい。

そんなマニュアルを作った奴も奴だが、状況に関らずにマニュアルを鵜のみにして、ただ読み上げる奴は度し難い馬鹿だ。

このマニュアルは、訴訟に負けないためにどんなに悪いことをしていても「ごめんなさい」とは謝らない、アメリカ型訴訟社会の悪しき風習を輸入したものだ。だから誤っているように見せかけて実は謝ってはいないのだ。

自分の行った行為について「悪うございました。ごめんなさい。」ではなく、騒ぎとなっていることについて「ご心配とご迷惑をかけた。」と言っているだけなのである。

訴訟の場では負けないかもしれないが、人間の感情に対しては良い反応は期待できるはずがない。顔を合わせたら1発ぶん殴ってやりたいくらいに怒っている相手から、「ご心配をおかけして申し訳ありません」と言われたら、怒りの火に油を注がれることになることが分からないのだろうか。

そもそも、こんなマニュアルに頼ったお詫びの言葉を発する段階で、誠意のある謝罪とは言えないのだ。

因みに、「説明責任」も大嫌いな表現だ。そもそも「説明責任」などと言う言葉は、以前は使われていなかった。とってつけたような語感で熟成された日本語とは思えない。おそらく英語のaccountabilityを訳したのだろうが適訳とは言い難い。

そして「説明」などと生ぬるい表現だから、相手に屁理屈をこねる余地を与えるのだ。堂々と「白状しろ」と言ったほうが良い。

 

今後、悪事がばれてしまった人は「ご心配とご迷惑をおかけして・・・」などといった不誠実極まりない言葉を吐かずに、洗いざらい白状して、素直に「ごめんなさい」と謝ろう。小さいころからそう教育されてきたはずではないか。

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