投稿日:2016年5月16日|カテゴリ:コラム

「他人に厳しく自分に甘い」

私も含めてこういう人間が増えている。逆に、自分に厳しく他人に甘い人はとんと見かけなくなった。だが、自分のことは棚に上げて他人を厳しく糾弾することにかけて、舛添要一の右に出るものはいないのではないだろうか。

 

公用車での別荘通い、会議と称した正月の家族旅行、頻繁な海外視察、しかも飛行機はファーストクラス、宿泊はスィートルーム。他の知事たちと比較して突出した公費の支出だ。

これまで鬼のような形相で他人の不正を糾弾してきた現東京都知事、舛添要一。こういった疑惑を指摘されたのちの対応はというと、まずは「精査してからお答えする」。

つい最近の正月に家族と行った旅行のことを精査しなければ分からないはずがない。単に言い訳を思いつくまでの時間稼ぎであることは誰の目にも明らかだ。しかし、もし本当に分からないとすれば相当に進行した記憶障害だ。都知事を任せる訳にはいかない。

時間稼ぎをした挙句の釈明は予想通り、経理担当者が一部不適切な会計処理をしていた。しかし自分はあずかり知らないことだし、まして悪意の犯罪ではない。だから知事をやめるつもりはない。

あれだけ正義の人を演じてきた男が、どの面さげてそんな台詞を吐けるのだろう。

 

しかし、年収220万円のワーキングプアならば致し方ないかもしれないが、私たちの税金から推定2、200万円以上の高給を頂戴しているのに、なぜホテル三日月の宿泊代や回転寿司の代金にまで公金を流用しなければならないのだろう。

なぜ、これほどみみっちく金に執着するのだろうか。その点が不思議でならなかったが、彼のこれまでの女性遍歴を知った時、納得しかけた。

 

舛添は実は永田町では下半身のほうで有名。「永田町一の艶福家」と言われているらしい。

結婚3回、子供は5人。

最初の結婚は1978年、ヨーロッパ留学中フランス人女性と結婚。1979年帰国して東大教養学部の助教授に就任するが、帰国後2年目の1981年に離婚している。

その後1986年に現参議院議員片山さつきと再婚。ところがこの結婚もすぐに破局。気に入らないとナイフをちらつかせて暴力を振るう舛添に嫌気をさした片山は結婚3ヵ月で弁護士に離婚を相談。

その時の弁護士の調査で、複数の愛人がいてしかもその一人は妊娠中であることが分かった。

愛人は少なくとも4人はいたようであるが、このうち1988年に出産したAさんの子供を舛添が認知したのが1990年。この2年間の間に別の愛人、Bさんが女児を出産。さらに1995年にBさんは次女を出産した。ところが愛人二人に子供を産ませていた間にもさらに別の愛人女性2名と同時並行して付き合っていたらしい。

Bさんの次女出産の1年後の1996年、15歳年下の現在の妻、雅美さんと再再婚した。

そして妻との間に2000年に長女、2003年に長男を設けている。つまり、彼は正妻との間に2名、愛人たちとの間に3名、計5名の子の父親ということになる。養育費など、さぞかし物入りなことだろう。

我々の税金で家族旅行したり回転寿司に行ったりしても目をつぶってあげなければならないのかと思いかけた。

ところがそれは大きな誤解だった。

舛添は競走馬のオーナーになったり別荘を所有したりしていながら、3人の婚外子のうちの一人の養育費を一方的に減額しようとしてその母(つまり元愛人)との間で家裁の審判になったことがある。

また、彼の実姉の一人が長らく北九州市で生活保護を受けていたが、北九州市からその一部を負担するよう舛添に求めたのが、彼はきっぱりと拒絶した。

ただ単に強欲で、どこまでも金に汚い男なのだ。

 

残念ながら彼を政治資金規制法で有罪にできる可能性は極めて低いだろう。だが、舛添という男がさもしい厚顔無恥であることだけは間違いない。

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