投稿日:2016年3月21日|カテゴリ:コラム

以前、とあるファミレスで嫌な場面に遭遇した。一組のカップルが店員を呼びつけて大声でクレームをつけている。どうやら注文した品が自分たちのイメージと異なっていたらしい。馬鹿だちょんだ罵倒した挙句、店長を呼べと大騒ぎ。店長が現れるとまたひとしきり罵倒した挙句、代金を支払わずに出ていった。

昔、娘が宅配ピザでアルバイトをしていた頃聞いた話でも、ちょっと配達が遅れただけで、猛烈な勢いで怒鳴られることも少なくないという。

私は外食をした時、帰り際には必ず「ごちそうさまでした」とあいさつすることにしている。美味しいものを食べさせてもらったことに感謝して、他の形でお返しをできないからそれに見合ったお金を支払うのだから、お礼を言うのが当たり前と考えるからだ。

大昔、人は衣食住、自分たちの生活に必要な物はすべて自分で狩り、栽培し、工作して調達していた。やがて効率化して、より質の高い物を手に入れるために分業化していった。

この分業化は、誰それの作った器はとても使いやすくてきれいだという噂を聞くと、その器を分けてもらいに行き、そのお礼として自分が狩ってきた獲物を差し出すというような形で始まったのではないだろうか。

それが職業という名前になった今でも、その基本的構図は変わっていないはずだ。自分ではとても作れない優れた品物を分けてもらう。そのお礼として差し出すものがお金として統一されているだけだ。

だから本来、食べ物であろうが品物であろうが医療であろうが、それを受け取った者は、与えてくれたものに対してお金と一緒に「ありがとう」という感謝の言葉が必要なはずなのだ。

ところが、今はこの感謝の念が無くなってしまった。金を払ったんだから当たり前と考えるようになった。そしてすべての業種がサービス業と考えられるようになった。医療機関でも患者さんを「様」と呼び、お金を頂くお客様として扱わなければいけないとされてきた。

金を払ったんだから治してもらって当たり前。ちょっと不備があれば訴える。いやな世の中になった。

 

この横暴なお客様意識の誕生にはある有名人の口から出た「お客様は神様です」という言葉が大きく関係している。そして「お客様は神様です」という言葉を真に受けて、本当に自分を神様だと思う馬鹿が出てきてしまったのだ。

今や独り歩きをした感があるこの言葉を最初に言いだした有名人が誰なのか、今や知らない人も多いのではないだろうか。

「お客様は神様です」と宣言したのは、満面の笑みで「こんにちわ、こんにちわ、世界の国から・・・・・・・・」と大阪万博のテーマソングを歌った「三波春夫でごじゃります」。

紅白歌合戦のトリ常連だった国民的大歌手の口から出たこの言葉は、アメリカ型消費社会の到来とあいまって、あっという間に誤った形で日本中に広まった

三波がここでいうお客様とは自分の歌を聞く聴衆のことで、商店や飲食店の客のことではない。後年三波はこの言葉の意味するところを「歌う時にはあたかも神前で祈るかのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な芸をお見せすることはできない。だから、お客様を神様と見て歌を唄う。」と説明している。

その後この言葉が、「金を払った客はどんな無理でも聞いてもらって当たり前」という下品な意味に曲解されていった事に三波自身かなり戸惑ったようだ。

だが本意ではなかったとしても、「お客様は神様です」を日本中に広めてしまった三波の罪は重い。この言葉が、今の世の中を覆っている「金を払えば何をしてもよい」、「金があるものが偉い」、「金が絶対唯一の価値基準」という醜い拝金主義を強力に後押ししているからだ。

 

三波先生、生存中にこの言葉の素晴らしい真意をもっと明確に伝えてほしかった。

【当クリニック運営サイト内の掲載記事に関する著作権等、あらゆる法的権利を有効に保有しております。】