投稿日:2016年3月14日|カテゴリ:コラム

 

以前のコラムで「個体発生は系統発生を繰り返す」というヘッケルの「反復説」を基にして、現在の日本が抱える少子化という問題を考え直してみた。この少子化と密接に関連した、日本の抱えるもう一つの社会問題が高齢化だ。

大正時代まで男女とも45歳前後であった我が日本国民の平均寿命は、今や男性が80.50歳、女性が86.83歳にまで延びた。平均寿命とは0歳時での平均余命のこと。したがって新生児死亡数の多寡がその値に大きな影響を与える。我が国の平均寿命の急激な延長の大きな理由は、環境衛生の向上と周産期・小児医療の進歩による乳幼児死亡の激減にある。しかし、新生児や乳児の死亡数の減少分を割り引いて考えても、日本国民は本当に長寿になった。

昔は喜寿のお祝いを受けるということはかなり難しいことだった。それが今や喜寿はおろか米寿でさえ珍しくなくなった。90歳を過ぎて初めて「相当に長生きだね」と認められるほどだ。誰からも長寿と言われるには100歳越えをしなければならない時代となった。

さらに高齢者の質も向上した。ただ心臓と呼吸が止まらないだけの長生きではなく、元気に長生きする方も多くなったのだ。子供の頃の私が出遭った60歳の方と言えば相当な年寄りだった。総入れ歯で腰が曲がってヨボヨボ歩く方が少なくなく、還暦祝いの赤いちゃんちゃんこが似合っていた。

ところが今の還暦はどうだろう。もちろん例外はあるが、ちゃんちゃんこなんか似合う人がかなり減った。赤いベストを着てキャバクラに行くのがお似合いの方も少なくない。

外見だけではない。精神的な老化も遅くなっているように思える。悪く言えば、最近の高齢者は昔の高齢者の円熟味を身に付けることができずにいつまでも青臭さ、生臭さを捨てきれないとも言える。

つまり日本人と言う種が成熟するに反比例して、各個体はなかなか老化しなくなったのではないだろうか。生物としての年齢は戦前の日本人と比べて、少なくとも10歳以上差し引いて考えなければならないと考える。

こういう現実があるにも関わらず、社会的な年齢区分は昔のままだ。どんなに若々しい心身を備えた方も65歳になると自動的に高齢者とされる。そうする一方で、「少ない就労人口で膨大な人数の高齢者を支えなければならない。」「大変だ。大変だ。」と騒いでいる。

この際、生物学的な発達、老化の実態に合わせて、社会制度上の年齢区分を見直してみてはいかがだろうか。それよりも、いっそ年齢による区分という現行制度を考え直してみるのもいいかもしれない。

 

動物の、生まれてから死ぬまでの過程を見ると、誕生してから成熟するまでの発達過程にはそれほど個体差はない。人の場合、生後3~4ヶ月で首が座り、1年ほどで一人立ちができるようになる。2歳半までには20本の乳歯が生え揃い、3歳くらいで脳の基本構造が完成し生意気になる。言葉を巧みに操るようになり親に口答えするようになる。11歳~15歳で声変わりや第二次性徴が現れて色気づき、18歳のころまでには一丁前の男と女の出来上がりだ。

一方、成体が老いて死んでいくまでの過程は驚くほどの個体差がある。30の声を聞く前に髪の毛とおさらばする人もいれば、70歳だと言うのにふさふさの髪が自慢の人もいる。

また、すべての機能が等しく衰えていくわけでもない。私は男性ホルモンの分泌が少ないのか、66歳の今でも髪の毛には不自由していないが、30代の後半から老眼に悩まされるようになり今や細かい作業はかなり不自由だ。

精神的にも70歳になっても好奇心旺盛で柔軟な頭脳を持っている人もいれば、まだ40歳そこそこと言うのに「昔はこうだった」とか「今の若い奴は」と言い始めて、自ら新しいことを学ぶ姿勢をなくす人もいる。

つまり、6歳で小学校、20歳までは酒を飲んではいけないといった風に、成長過程にある個体は年齢によって社会区分することが妥当だが、成長を終えた個体を年齢と言う尺度だけで区分すること自体無理があるのだ。

そこで私は以下の提案をする。すなわち成長発達過程を除いて、年齢だけを社会保障の基準としている今のやり方を改めるのだ。老化による能力低下も他の身体障害や精神障害と同様に年齢にとらわれず、その実態に合わせて判断してはどうだろうか。そして老化による能力低下がある一定基準以上に進行した時点で社会保障による救済をするのが良いと考える。

年齢が若くても老化が著しい人は早くから救済の手を差し伸べ、70歳過ぎても意気軒昂な人にはどんどん働いて社会貢献していただく。こうすれば単に年をとったという理由だけで社会のお荷物になることはない。それどころか日本全体の生産能力はずっと向上するように思う。

だが、いくら若々しいとは言っても年を重ねれば若い時のような体力はない。しかし、幸いなことに労働の質が昔とは大きく変わって、純粋に筋力、体力を必要としない労働が増えた。団塊の世代が大量参入した65歳以上の人たちのマンパワーを我が国の活性化のために活用しない手はないと思うのだが、いかがなものだろうか。

 

22歳年下の美人プロゴルファーと再婚して子供まで設けた石田純一さんは現在62歳だ。サラリーマンならばとっくに定年になっていて、後3年で前期高齢者の仲間入りをする。もし彼が厚生年金に1年以上加入した経験があれば年金も受け取れるのだ。

「不倫は文化だ」、「二兎を追う者には三兎めが出てくる」と主張する石田さんのことだからこの後も浮名を流す可能性もある。彼に年金を使ったナンパを許してよいのだろうか。そんなことは東尾パパでなくとも許せないだろう。彼には女に見放されるまでせっせと働いてもらわなければ納得がいかない。

 

名実ともに長寿となった日本社会を、高齢化と嘆かずに「壮老化」と捉えて、生物学的実態に即した社会を再構築する時期にきているのではなかろうか。我が国は「1億総活躍社会」などという、口先のきれいごとではすまされない状況に差し掛かっていると思う。

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