奉公と言うと「丁稚奉公」が連想される方も少なくないと思う。丁稚奉公とは昔、職人や商人の家に住み込みで、主として雑役に従事する就労形態のこと。
ほとんどが1年を1季として契約して、衣食住はあてがわれるが給料はごく僅かで、小遣い程度。年中無休で働いて休みは藪入り(正月とお盆の16日前後の数日)だけ。封建的徒弟制度の象徴的存在で、今や時代劇や落語の世界でしかお目にかからない。過酷な使役の代表として扱われる。
だが本来、「奉公」とは朝廷や国家社会のために全身全霊を捧げて力を尽くすことを言う。しばしば「滅私」と組み合わされて「滅私奉公」として用いられる。封建制、徒弟制が無くなった現在、本来的な滅私奉公も消失したが、公務員や議員にはやはり、「国家国民のために私を奉げる」という「滅私奉公」の気概が要求される。
未公開株の国会議員枠という怪しげな餌で金集めをしたことが明るみに出て自民党を離党した武藤貴也代議士。安倍の若手取り巻き議員で、ちょっと前までは安保関連法案に反対する若者たちを「利己的」と非難していた国士気取りの男。
ひ弱なとっちゃん坊や丸出しの風貌でやたら威勢のいい発言を繰り返していたこの男。まさに平和ボケしたお馬鹿さんとだとばかり思っていたが、それだけではなかった。私腹を肥やすために代議士になったとんでもない輩でもあった。
同じく安倍の側近、参議院議員で内閣総理大臣補佐官を務める磯崎陽輔は、「国防に関しては法的安定性など関係ない」と言ってのけた。法的安定性とは憲法を頂点とする法の内容や適用が安定していること。つまり、法は憲法を順守してその内容や適用はむやみに変更してはいけないと言うのが法治国家の基盤となる大原則である。
磯崎はその時、その状況に応じて権力者は憲法に捉われず好き勝手に法を作ったり、解釈を変えてよいと言っているのだ。これは法治主義を否定しているに等しい。そして憲法とは主権者たる国民が為政者に対して課した必要最小限の契約だ。
この二人に共通するのは「奉公」の意識が全くないことだ。国会議員は一般国民よりも優れている権力者であって、自分たちが愚かな国民を啓蒙指導していかなければならない。かように選ばれし者は下々のものから貢物を得て当然。こう考えているに違いない。
たしかに国民は愚かだ。愚かだから、こんな連中を永田町のさばらせてしまっているのだ。だが、いくら愚かでも、それが主権者たる国民なのだ。この愚か者たちのために滅私奉公すると約束して議員になったはずなのだ。そして国民のために奉公する大前提はその国民との契約である憲法を順守するということだ。
詐欺や政治資金規正法違反の疑いのある武藤議員は自民党を離党したものの、議員は続行。磯崎に至っては総理補佐官の地位に留まったままである。磯崎は武藤のように犯罪の疑いがあるわけではないのだから、ごめんなさいと謝ればそれでよしと思われるかもしれない。
だが、公僕の要である総理府の要職にあるものが、憲法をないがしろにする言動は、ある意味、武藤のげすな詐欺罪よりもはるかに罪深いと言えるかもしれない。憲法無視は国民に対する反逆罪だからである。
ところで、安倍の周辺に武藤や磯崎のような不埒な輩を数多く見かけるのは偶然だろうか。いやそうではない。
安倍や菅官房長官は、一連の不祥事はそれぞれ個人的な問題で、政治家個人として出処進退を決めるべきだとして、彼らに対して冷たく距離をとろうとしている。
しかし、選挙で選ばれた者は雲上人であり、自分たちに与えられた仕事は国家、国民への奉仕ではなく、愚かな羊たちを導くことにあると考えているのは他ならぬ安倍自身に違いない。
なぜならば、安倍の周りには日頃から彼が唱えていることに賛同する者が集まっている。もしくは安倍が自分の考えに賛同する者を登用しているのだから。NHKの籾井勝人会長然り、内閣法制局長官、横畠裕介然りだ。また、安倍自身がしばしば大臣席から野次を飛ばす態度が彼の本質をよく表わしている。
つまり、武藤や磯崎は安倍の忠実な代弁者なのである。
「国民の理解が足りていない」などと偉そうに人様のおつむの程度を批評する前に、一度どこかで丁稚奉公をして、人に仕える基本姿勢を学んだ方が良いのではないだろうか。丁稚奉公はあなた方が目指す戦前の社会の象徴でもあるのだから。