投稿日:2015年6月22日|カテゴリ:コラム

今、国会では安保関連法案を巡って連日審議が行われている。しかし安倍をはじめ政府側の答弁はとても真摯とは言えない。数を頼りに、最後は多数決原理で押 し切ればよい、何を問われても暖簾に腕押しで時間を消化すればよいと言う思いが見え見え。実際に安倍は委員会開催前から「この委員会は消化試合みたいなも んだ」と嘯いていたそうだ。
先日の党首討論を見ても、安倍は相手の核心に触れる質問に対して質問内容とは無関係の事柄をグダグダと説明するばかりで肝心の点には一切答えない。回答がないことを指摘されると、相手も自分の質問に答えていないと非難する。まるで小学校の馬鹿なガキのへ理屈だ。
そもそも法案を提出したのは安倍であって、質問に答えなければならない。もし回答できない項目が一つでもあればその法案は取り下げなければならないはずだ。質問者に質問で返してその回答がないと誇らしげに言っていること自体法案提出者としての任を果たしていない。
頭の悪さはとうの昔から分かっていたから別にびっくりはしないが、留まるところを知らない面の皮の厚さには恐れ入る。質疑中、質問者を小馬鹿にしたような傲慢な薄ら笑い(実は弱さの裏返しなのだが)を見るだけで腸が煮えくり返ってくる。
ところで、与党が今回の法案が合憲であるとする根拠の一つに挙げているのが砂川事件に対する最高裁判決だ。弁護士資格を持つ高村自民党副総裁が「違憲か否 かは憲法学者が判断するのではない。司法の最高責任者である最高裁が砂川判決で集団的自衛権を認めている。」と自信たっぷりに述べている。さて、この砂川 判決とはどのようなものなのだろう。

砂川事件とは1957年7月8日、当時の東京都北多摩軍砂川町で基地拡張に対して反対するデモ隊の一部が立ち入り禁止の境界柵を破壊してアメリカ軍基地内 に侵入し、7名が「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」違反として起訴された事件。全学連も参加してい たので、その後の安保闘争、全共闘運動の先駆けとなった学生運動の出発点でもある。
1959年3月30日、東京地裁(伊達秋雄裁判長)はアメリカ軍の駐留自体を憲法第9条に違反するとした。その結果、刑事特別法による起訴そのものが憲法 第31条に違反するとして全員無罪の判決を下した。この判決はアメリカ軍の駐留自体を憲法違反とする画期的な判断で、その後の安保闘争の理論的礎となり、 伊達判決として名を残すことになる。
伊達判決に驚いたのがアメリカである。なぜならば、翌1960年に日米安保条約の改定を控えていたからだ。以下に述べる伊達判決以降の経緯はアメリカの公文書開示によって50年以上経った後に明らかになった事実である。
駐日大使ダグラス・マッカーサーⅡは1959年内に伊達判決を破棄させるために外務大臣の藤山愛一郎也最高裁長官、田中耕太郎と密談して圧力をかけた。これを受けて検察は異例の跳躍上告*1をした。
最高裁大法廷(田中耕太郎裁判長)はアメリカからの要請通り、同年12月16日伊達判決を破棄して地裁に差し戻した。この時田中耕太郎最高裁長官が下した判断の要旨は以下の3点だ。
①憲法9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定していない。
②憲法9条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから外国の軍隊は憲法9条が禁止する戦力には当たらない。
③日米安全保障条約のような高度な政治性をもつ条約に関しては違憲かどうかの司法判断はできない。
つまり、現憲法下においても個別的自衛権は持てる。アメリカ駐留軍は日本国憲法の支配を受けない。アメリカ軍の駐留を許す日米安保条約については司法判断 の適用外だから政治家たちで勝手にやってください。という司法の独立権を自ら放棄したと言える極めて無責任な判断なのだ。
この田中の差し戻し判決に基づいて再審理を行った東京地裁(岸盛一裁判長)は1961年3月27日に罰金2000円の有罪判決を言い渡した。この判決に対する上告を受けた最高裁判所は1963年12月7日に上告棄却を決定して、砂川事件は被告人の有罪が確定した。
この立川基地は1977年に日本に返還されてその一部は国営昭和記念公園になっている。
この田中判決は私のような素人がどこをどう読んでも集団的自衛権を認めた内容ではない。曲がりなりにも弁護士資格を持っている高村自民党副総裁がなぜこの田中判決を、一連の安全保障関連法案を合憲とする根拠とするのだろうか。
一説によると「憲法でも砂川判決でも集団的自衛権は許されないと明記されていない」からだという。盗みはいけないという大原則がありながらも、「規則に 『千円札を盗んではいけない』と書いていないから、1000円札は盗んでもいいのだ」という不良ガキのへ理屈と同じだ。牽強付会も極まれり。
そんな幼稚な理屈を国政の場面でいけしゃあしゃあと口にするのだから、国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。だが、こんなに馬鹿にされてもまだ現政権に対する支持率が50%近くあるのだから国民は本当に馬鹿なのだろう。
さて、跳躍上告は異例の司法手続きであり、上告審が行われる前から差し戻しの編血内容もその時期も決まっていたのだ。そのことはアメリカの機密文書開示によって、田中がマッカーサー大使との会談時にすでに「差し戻す」と明言していたことから明らかだ。
つまり、田中判決はアメリカからの外圧に屈した政治的判断であって、独立した法の番人であるべき最高裁判所本来の判断ではないのだ。
そんな恥辱的な判例を持ち出してまで、なぜ急いで外国に戦争に行こうとしているのか。今回もまた外国からの圧力にあることは間違いないだろう。

私は集団的自衛の必要性を頭から否定するものではない。キナ臭さが増している東日本情勢を考えた時に昔とは異なる体制を考えなければいけないのかもしれない。
しかし、そうであるならばなおさら、時の権力者が法治国家の根幹である憲法を我田引水に解釈するだけで安全保養という国の重要課題を遂行してはいけないと言っているのだ。
集団的自衛権が必要ならば正々堂々と憲法を改正して交戦権を認めるべきなのだ。
安倍も常々憲法改正の必要性を説くときに、「現憲法はアメリカによって押し付けられたもので我々国民が自主的に作った憲法ではない」と言ってきた。それなのに、またもアメリカの要求に尻尾を振って、アメリカにねじ伏せられた判例を根拠にへ理屈を通そうとするのだろう。
すでに参政権の年齢引き下げも国会承認されて、憲法改正のための準備は着々と進んでいる。正式に自主性をもって憲法を改正して、その存在根拠でさえあやふやな自衛隊をきちんと自衛のための軍として認め、その上で自衛の範囲を議論しようではないか。
政府が憲法をないがしろにできる先例を作ったならば、1933年の「全権委任法」*2によってナチスに独裁を許したように、専横政治への道を開くことになる。立憲・法治国家の根幹を否定する暴挙だけは絶対に許してはいけない。
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*1跳躍上告:3審制をとる我が国の司法だが、第1審判決に対して高等裁判所の 控訴審を経ずに最高裁判所に申し立てを行うことができる。それを跳躍上告という。刑事訴訟法第406条を根拠として刑事訴訟法第254条及び第255条に 定められている。かなり異例の訴訟手続きである。
*2全権委任法:1933年に制定された「民族および国家の危難を除去するため の法律」のことをさし、国会がアドルフヒットラー率いるナチス政府に立法権を移譲するというものであった。この法律によって、当時もっとも民主的な憲法と されていたヴァイマール憲法は事実上死文化され、ナチス政権は一気に強大化して第2次世界大戦へと突き進むことになった。

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