投稿日:2015年5月25日|カテゴリ:コラム

5月21日、裁判員裁判導入後6年を経過した。平成26年2月末日までに6,392人の被告人が裁判員裁判で裁かれ、裁判員及び補充裁判員は4万8千345人に達した。司法を身近なものとし、一方で司法に市民感覚を取り入れるとした本制度も我が国に定着した感がある。
2008年にこのコラムに「裁判員制度スタート間近」を書いて、裁判員制度に関する問題点を指摘したが、裁判員裁判が実施されてから6年が経った今、今のところ制度自体は滞ることなく運営されているが、懸念した問題が現実のものとなってきた。
その中で私が最も重要視するのが裁判員裁判によって出された判決の上級審における破棄が相次いでいることだ。その1例が松戸市女子大生殺害放火事件。

2009年10月22日千葉県松戸市のマンション2階から火災が発生し、焼け跡からこの部屋に住む千葉大学園芸学部4年の女子大生(21歳)の全裸の遺体が発見された。
検死の結果、刃物による外傷が認められたために殺人事件と判明した。その後の捜査でATMの防犯カメラに映っていた、女子大生のカードで現金を引き出す男 の姿から、すでに別の強盗・強姦事件で逮捕されていた無職、堅山辰美(当時48歳)を強盗殺人ならびに現住建造物放火などの容疑で逮捕、起訴した。
被告人は1984年と2002年に強盗や強姦事件によりそれぞれ懲役7年の判決を受けて受刑していた。松戸市での犯行は2009年9月に刑務所を出所してからわずか1か月半後のことであった。
2011年6月の千葉県地方裁判所における裁判員裁判で検察側の求刑通り死刑判決が下された。裁判員裁判で殺人の前科のない被告人に死刑判決が下された最初の事件であった。
この時裁判長は判決理由について「犯行様態は執拗で冷酷非情、結果も重大である。出所後も数多くの犯罪を重ねており、被告の更生の可能性は著しく低い。また、死亡被害者が1人であっても、極刑を回避する決定的な理由にはならない」とした。
私から見ると市民感覚がよく反映された判断だと思うのだが、2013年10月8日の東京高等裁判所の控訴審では一審が破棄されて無期懲役の判決をなった。判決理由は「計画性がなく、1人殺害の強盗殺人事件で死刑をなった例がない」というもの。
さらに検察、弁護側双方が上告した2015年2月3日の最高裁判決では「一審判決は死刑がやむを得ないと認めた具体的、説得的根拠を示していない」として上告を棄却して無期懲役が確定した。
ところで、堅山はその犯行の手口から1996年に起きた未解決事件、柴又女子大生放火殺人事件の有力な容疑者として警察は今でも捜査を続けている。

因みに、日本の無期懲役刑はアメリカの終身刑とは違って、実質的には25年から30年くらいで仮釈放されて娑婆に出てくる。この間の食事代、冷暖房費は私 たち被害者遺族を含む国民が担うことになる。また、仮釈放されても当然ながら仕事に就けるとは思えないので生活保護下の生活となり、死ぬまで私たちの税金 で衣食住を満たすことになる。
最高裁による裁判員による死刑判決の破棄はこれで2件だ。最高裁は松戸市女子大生殺人放火事件のほかにも2009年の東京で起きた強盗殺人事件の被告人、伊能和夫に対する死刑の裁判員裁判判決も破棄した。
裁判員裁判によって出された死刑判決破棄に関して最高裁判所は「判決は過去の裁判例を検討して得られた共通認識を議論の出発点としなければならない」。さ らに死刑判決に対しては「動機や計画性、殺害方法、被害者数や前科等を慎重に検討して、死刑が真にやむを得ないと認められるかどうかについて議論を深める 必要がある」と強調した。「裁判員は勉強不足だ。もっと法律を勉強しろ」と言っているのと同じだ。
私はこの最高裁の見解には納得がいかない。そもそも裁判員がど素人であることは本制度導入に際して織り込み済みであったのではないか。いやむしろ、ど素人の一般人の常識的感覚を裁判に取り入れることが本制度導入の大きな目的の一つであったのではないだろうか。
過去の判例にならって粛々と量刑を下すのであれば、何も裁判員など必要なく、これまで通りプロの裁判官だけで判断すればよいのではないだろうか。今さら、永山基準*など過去の判例に捉われた判決を要求されたのでは、貴重な仕事や家庭を犠牲にして精神的にも負担のかかる裁判員を勤めた人たちはいい面の皮である。
今後も裁判員裁判での判決が上級審で破棄されていくならば、本制度は根本から設計変更すべきだと思う。高等裁判所でも裁判員裁判で行うか、あるいはアメリ カの陪審員裁判のように有罪・無罪の判定は裁判員が行うが量刑についてはプロの裁判官の判断に委ねるかだ。また、本制度を大きく変更しないならば、死刑に 次ぐ量刑として終身刑の採用を考えなければいけないのではないだろうか。
いずれにせよ、導入から6年たった今、裁判員裁判制度は大きく見直さなければならないと思う。
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*永山基準:1968年東京、京都、函館、名古屋で発生した、当時19歳の永山 則夫が引き起こした拳銃による連続殺人事件の最高裁判決から出された死刑適応基準。死刑の適応は、1.犯罪の性質、2.犯行の動機、3.犯行態様、特に殺 害方法の執拗性、残虐性、4.結果の重大性、特に殺害された被害者の数、5.遺族の被害感情、6.社会的影響、7.犯人の年齢、8.前科、9.犯行後の情 状、以上9項目を慎重に検討して極刑がやむを得ないとされる場合にのみ適用するべきだとした。この中で特に4番の被害者の数が問題視されている。永山裁判 以降長らく、どれほど残虐な殺人でも被害者が1人ならば死刑にならないとされてきたからだ。

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