投稿日:2015年3月9日|カテゴリ:コラム

2ヶ月ほど前、区から介護保険証が送付されてきた。ついに私も前期高齢者の仲間入りだ。分かっていたことなのだが、やはり萌黄色の保険証を目の前にすると少なからず動揺してしまう。
意識してやっているわけではないのだが、私はここ十数年短髪にしている。どうやら短髪は加齢をごまかすようだ。また、普段のいでたちはジーンズだし、大型スクーターで往診をしているからだろうか周囲から実年齢より若く見られる。だから介護保険証の送付のことを話すと皆一様にびっくりする。
たしかに、私が子供の頃の65歳といえば、それはもう相当に年寄りだった。くの字に曲がった背骨の上半身を引きずるような足取りで歩いている人が多かったように思う。さもありなん。昭和33年の時点での平均余命は女:69.61歳、男:64.98歳だったので、多くの男性が現在の私の歳には鬼籍に入っていたのだから。
私に限らず、今の老人は若々しい人が多い。特に昭和22,23年生まれの団塊の世代真っ只中の連中は私なんかより遥かに元気溌剌な人が多い。言い換えれば、いい歳をして未だに助平で物欲旺盛。精神的にも加齢せず若いのだ。

川崎の中学生虐殺事件の報道は聴くたびに虫唾が走る。殺害方法の残虐さ、動機の身勝手さもさることながら、登場人物の人間関係に薄気味悪さを感じる。
被害者、被疑者がたむろしていたグループは被害者である13歳の中学校1年生から20歳までの幅広い年齢層だったという。さらにこのグループは年齢による縦の社会ではなく対等に呼びあう横の社会であったともいう。
13歳といえばまだあどけなさを残す児童だし、一方20歳といえば立派な大人のはずだ。成人式を終えた大の大人が、小学生に毛の生えたような児童とどのように付き合うのだろうか。子供なんか相手にしていないで異性のお尻を追いかけている年頃のはずではないのだろうか。子供相手に何を語らい、何をして盛り上がるのだろう。まったく想像できない。
私が子供の頃も年齢を跨いだグループは存在していた。隣近所の子供たちの群れがそれである。だが、この集団の構成メンバーは大きくても中学生低学年くらいまでで、多くは小学校6年生くらいを頭に4,5歳までの集団だった。しかも、一番年長で力の強いものがガキ大将としてそれ以下の年齢の者を統率する縦割りの社会であった。
ガキ大将には腕力が強いだけではなく、幼い子供たちの安全を確保し、グループ内のもめ事を上手に治める能力が求められたのだ。年下の子供たちから尊敬され慕われなければガキ大将を勤められなかった。とはいっても、中には理不尽に暴力をふるい、恐怖で君臨するガキ大将も現れたが、信望を失えば子供たちは自然に離れて行って、早晩ガキ大将の地位は早晩失われた。
つまり年上の者が親や兄、姉に代わって下の者の面倒を見る機能を持ったグループであった。そして、第二次性徴を迎えて色気づくと,子供の相手から離れて同世代の者同士で徒党を組むようになったものだ。
核家族化と地域の崩壊によって、いつしかこの子供たちの縦割りの集団は町から消えていった。ところがなんと、今回の事件でこの集団は消えたのではなく、集団が高齢化していたのだと分かった。しかも、昔の集団のようにきちんとした縦割りの役割分担ができていないらしい。
上村君を被疑者に紹介したという20歳の男はこのグループ内でいったいどのような役割をしていたのだろうか。なぜ18歳の後輩の暴走を止められなかったのだろうか。
漏れ伝えられえる情報によると被疑者とされている3人の少年の供述からはとても17,18.歳とは思えない幼児性が覗える。「ぼくはやっていないもん  見ていただけだもん」、「あいつがやれと言ったからやっただけだもん」。小学校低学年生の発言だ。
相手を17,18歳の男としてみると理解できない事ばかりだが、幼稚なままで大人になれない連中が増えたと考えると分かりやすい。こんな連中を見ると選挙権を18歳に引き下げるなんて不安になる。
そう言えば彼らだけが特殊なのではなく、巷には実年齢は立派な大人なのだが、頭の中身は幼稚園児みたいなのが少なくない。診療場面でも自分の行動を自省するということは皆無で、やたら他罰的、他者依存的で、自分は努力しなくても周りが何とかしてくれるはずという、臍の緒をつけたままみたいな人をよく見かけるようになって辟易としている。
実年齢は大人なのに外見的にも精神的にも子供っぽさが抜けない人を「とっちゃん坊や」というが、最近はこの「とっちゃん坊や」が猛烈に増えたように思える。そもそも顔つきは精神内面をよく反映する。成熟した人はそれなりの成熟した顔つきになるし、未熟な心を持った人は無責任なガキ面をしている。良くいえば歳よりも若々しく見えると言える。
この「とっちゃん坊や」の増加は社会の高齢化に伴う必然の結果なのかもしれない。2011年のコラム「大人の未熟化」でも書いたとおり、超高齢化社会を迎えた我が国は一億総幼児化社会になったと言ってよいのかもしれない。
国の舵取りをするはずの連中にも「とっちゃん坊や」が猛烈に増えて、無責任に言い訳ばかりのディベートを繰り返している。

一定以上の年齢になったら、「若く見える」ということは褒め言葉ではないのかもしれない。「あなたは人格の発達が遅れている『とっちゃん坊や』ですよ」と言われていると反省してみる必要があろう。
私も、介護保険証にふさわしく見られるよう自分の行動に気を付けよう。くれぐれも「じっちゃん坊や」にだけはならないように肝に命じなければ。

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