投稿日:2015年3月2日|カテゴリ:コラム

以前にもこのコラムにも書いたが、戸締り恐怖症の人は出かける時にちゃんと戸締りができたか気になって何度も戻って確認し、挙句の果てに肝心の用事を果たせなくなる。確かに最近は物騒な世の中だからきちんと戸締りに念を入れる必要がある。しかし、本来の目的は出かけて用事を果たすことにある。戸締りはその外出の際に必要な手続きに過ぎない。だから、本当は鍵をかけた後、1回確認すれば目的は果たせるはずだ。ところがそれでおさまらないのが強迫性障害なのだ。強迫の対象だけに捉われて徹底的になってしまう。

「塩梅」という言葉がある。もともとは「えんばい」と読み、塩と梅酢を混ぜた調味料を指した。塩と酢の上手な混ぜ具合で味加減が良いものを「塩梅が良い」というようになり、転じて広く味加減を調えることを言うようになった。
そして現在では別の意味でつかわれていた「按排」と混同されて「あんばい」と呼び、①ほどよい料理の味加減のほか、②ほどよい物事の具合、調子、加減や③ほどよい体の具合、健康状態などを意味する言葉として使われている。
強迫性障害はこの「塩梅」が崩れてしまった状態の典型例だ。だが、塩梅がうまくいかない例は強迫性障害だけではない。私たちの日常生活の至る所で起こり得るのだ。

今年のカレンダーを見ると8月15日が土曜日なので今年のお盆休みはそう長く取れそうにもないが、年によっては9日間の長期休暇になることもある。我が国ではこのほか年末年始休暇、5月のゴールデンウィークといった連休がある。
多くの人にとって、日頃の激務から解放されて心身ともに充電する貴重な休みなのだが、必ずしも良い効果を得られない人もいる。
連休明けの職場、たっぷりと充電できたのでさぞかし元気溌剌で現れるであろうと予想していたのに、豈図らんや、むしろ疲労の色を浮かべている人が少なくない。どうやら、長すぎる休みは日常の生活ペースを乱して、休暇明けに元の生活パターンに戻るのが難しくなるようだ。
それでは一日も休まず働き続ければよいかと言うと、そんなことはない。過労で健康を害してしまう。労働と休息はほどほどの「よい塩梅」が肝要と言える。

「うつ病の人に対して叱咤激励は厳禁」という言葉は一般の人にも普及した。うつ病の人は思ったような行動をすることができない自分の状態をほかの誰よりも不甲斐なく思っている。だから、そんな状態の人に対する「がんばれ」は傷口に塩を塗り込むような行為であって絶対にしてはいけない。
だが、この言葉はうつ病そのものの正しい理解がされないまま、いつの間にか独り歩きしてしまった。「憂うつだ、やる気がでない」と聞くと誰にでも彼にでも「そうか、そうか、無理はしないほうがいいよ」と言うべきだと誤解されてしまった。
「憂うつでやる気がない」のは何もうつ病に限ったことではない。いやな出来事に遭遇したり、ものごとが思い通りにいかないと、誰しもやる気をなくして気がふさぐものだ。そんな時にはむしろ叱咤激励が必要な場合もある。
つまり、相手の状態を見極めてTPOに応じた「よい塩梅」の叱咤激励が必要なのだ。

健康の問題だけではない。例えばお金。貧すれば鈍すると言うように、最低限のお金がないと人間らしい生き方ができず、豊かな人間性の発達をも阻害する。それでは多々益々弁ずかといえばそうではない。必要以上の金は、人間の欲望を肥大させて金のための金儲けに陥らせやすい。ユダヤの諺に「金は使っても使われるな」とあるが、必要以上の金は多くの人をこき使うようになるものだ。お金にも「よい塩梅」がありそうだ。

このようにこの世の中のあらゆる場面で「塩梅」が重要な鍵になってくる。ではどの程度が「よい塩梅」なのかと問われると答えに窮する。その人によって、またその時の状態によって異なってくるダイナミックな指標であり、マニュアルやガイドラインに数字で示せる代物ではないからだ。
塩と酢の絶妙の配合を会得するには並々ならぬ修行と経験が必要だろう。同じように、私たちが生きていくうえで必要な様々な「塩梅」を見極める能力は一朝一夕で身に着くとは思えない。痛い失敗を繰り返しながら研鑽に励まなければならないだろう。「塩梅」を見極める能力こそ、その人の真価と言えるのだから。

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