投稿日:2015年2月16日|カテゴリ:コラム

私のホームページの探索キーワードの中に気になる組み合わせを見つけた。それは「統合失調症・観念奔逸」だ。
「観念奔逸(flight of ideas)」とは思考内容の流入量が増加して、思考目的から外れた観念が次々に出現するために、本来あるべき思路(観念と観念を統一性を保ってつなげていく思考の流れ)から脱線しやすく、観念内容の論理的秩序や方向性が失われた状態を指す。
たとえば、配偶者についての話題をしているはずが、配偶者との出会いの場面から初デートのレストランの話に移ったと思いきや、イタリヤ料理の話から、海外旅行の話にテーマが目まぐるしく転換し、世界情勢の話からイスラム国、イスラム教について語り、当初の目的である配偶者の人となりについてはお預けになってしまう。
話がどんどん横道にそれて纏まりが無くなる状態ではあるが、一つ一つテーマについてはそれなりに論理的であって辻褄が合わないことはない。次から次へ喋りたいことがあふれ出てくる状態なのだ。
「観念奔逸」は躁状態の時に見られる思考過程の障害であって、統合失調症で見られる思考過程の障害、「支離滅裂」とは似て非なるものである。
「支離滅裂(incoherence)」は観念と観念を結ぶ道筋が狂ってしまうので、一つのテーマ自体の論理性が失われてしまう。
たとえば、「うちの家内は・・・・・・イタリアレストランで美味しいし、・・・・・・・家内はイスラム国の奴と浮気しているから嫌になっちゃうし、・・・・・・新潟ではちょっとした家系の生まれなんで、・・・・・・・殺すぞーー!」というような調子。
実際には観念奔逸と支離滅裂とはベテランの精神科医でも鑑別の難しい例もあるが、思考過程の障害の質が根本的に異なっている。にもかかわらず、私のコラムのキーワード検索から分かるように、一般の人はこの二つの症状をあまり頓着しないで使っているようだ。
「支離滅裂」は以前からかなり普及していて、自分が納得できないことを主張する人を捕まえて「あいつは支離滅裂だ」といった具合に軽蔑のニュアンスをもって誤って濫用されている。

同じく、しばしば誤用されているのが「躁うつ」という言葉。本来は躁状態の時期とうつ状態の時期を繰り返す病気を指す「躁うつ病」として使われるべき言葉だが、このうち「病」を勝手に外してしまって、「躁うつ」単体で一人歩きしている場面が少なくない。
「私この頃躁うつがひどくて」とか「あいつ、今日は躁うつだったよね」といった具合にだ。
どうやら、喜怒哀楽が激しい状態を指して使っているようだが、そういう状態は本来、「情動不安」と呼ぶべきであって「躁うつ」とは言わない。
躁状態とかうつ状態という言葉は、気分の状態を言う言葉だ。そして気分とは一日の中でコロコロと変化するようなものではない。気分とは感情の基盤であり、数週間単位、少なくとも1週間くらいのゆっくりとした時間経過でしか変化しないのだ。
喜怒哀楽といった瞬間に変化する激しい感情は情動と呼び、気分の上にのって短期間で変化する。したがってちょっとしたことで腹を立てたり、泣き出したりするような状態は情動不安と呼ぶべきなのだが、「躁うつ病」が広く認知されたおかげでその「躁うつ」だけが独り歩きして誤用されている。

「二重人格」も実に安易に使われている言葉だ。「二重人格(double personality)」とは一人の人格が完全に変貌して、全く異なる人格の状態が一定期間続き、元の人格に戻った時に、第2の人格の時の言動を一切記憶していない病態を指し、「人格交代症」とも呼ぶ。
ところが、一般的に使われている二重人格は、「あの人は上司の前では馬鹿丁寧にしているけれど、私たちの前ではふんぞり返って威張るばっかりの二重人格者よ」といった風に、裏表の激しい人を指している場合が多い。

精神医学は難解だと口にするが、実際には精神医学用語ほど自分勝手な解釈でお気軽に日常的に使われている専門用語はほかにないのではないだろうか。
苦手なものがあると、「○○恐怖症」。凝っているものがあると「○○依存症」。上司に叱られると「今日も一日うつだな」といった具合。

こういう困った風潮が出来上がった過程には、なんでも精神障害に仕立て上げる一部の弁護士、精神科医や心理学者も一役かっているように思う。
最近、司法の場ではどんな犯罪者もとりあえず精神障害と主張する風潮がある。弁護士の法廷弁護の定番になってきた。さらにその精神医学の濫用に一部の精神科医や心理学者が悪乗りしている。
万引きなら窃盗依存症、性犯罪なら性依存症、見境なく買い物をして払えなくなったら買い物依存症、ギャンブルにうつつをぬかして破産したらギャンブル依存症。そのうちに殺人を犯した者は殺人依存症とでも言いだしかねない状況だ。
罪を少しでも免れようとする犯罪者、真実を曲げても被告人の利益を追求する弁護士、世間に名前を売り出したい精神科医や心理屋さんの利害が一致しているので、この悪風潮は今後も続くと思われる。

先日精神科医の集まる会合に出た際、れっきとした精神科医が「幻臭」、「幻臭」と声高らかにしゃべっていたのを聴いて唖然とした。
2012年の当コラムでも書いた通り、「幻臭」などという言葉自体存在しない。幻覚とは実際には存在しない幻の感覚のことを言う。だから幻の聴覚を「幻聴」、幻の視覚は「幻視」と呼ぶ。したがって幻の嗅覚は「幻嗅」と言わなければならない。こんなことは精神医学の初歩中の初歩。算数に当てはめれば九九のような知識だ。
精神科医を名乗る者の中に「幻臭」を口にする者がいるのだから、一般の方々が支離滅裂や躁うつを誤用したとしても責められないのかもしれない。

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