2013年12月、ギニアに端を発したエボラ出血熱の流行は今年6月の時点でリベリア、シエラレオネに拡散した。国境なき医師団やWHOの懸命の努力にもかかわらず、その後も感染拡大の勢いは衰えず10月25日現在、上記西アフリカ3国に加えて、ナイジェリア、セネガル、マリ、アメリカ合衆国、スペイン、ドイツの計8ヶ国で感染者が確認されている。
総感染者数はついに10,000名となり、そのうちの5000名近くが死亡した。致死率はなんと50%。アフリカにおける過去の突発的な流行では50~90%の高い致死率を示したが、流行自体は地域も限定されて数百人規模の感染者で済んでいた。しかし今回の流行は感染者が万人に達し、地中海、大西洋を渡ってヨーロッパ大陸、北米大陸に広がったことから、世界中が危機感を持っている。
我が国ではまだ遠い異国の出来事という感があるが、病原性のそれほど高くないデング熱でさえ上へ下への大騒ぎをしたくらいだから、万が一国内で一人でも感染者が発生したならばパニックになること間違いなしだと思う。
エボラの大流行によって、あらためてウイルスが人類の宿敵であることを思い知らされた。そしてウイルスについては未だ謎だらけということが露呈した。そもそもウイルスとはいったい何ものなのか?
以前のコラムでも述べた通り、現在の生物学ではウイルスは生き物ではなく微粒子とされている。その根拠は細胞を持つということが生物の定義の一つとされているからだ。ウイルスは細胞という構造はなく、カプシドというたんぱく質の殻と核酸だけから構成されている。さらに、もう一つの定義、外界の物質を取り込んで自分のエネルギーに変換する能力も持たない。
一方、ウイルスは生物のもう一つの重要な定義である自己増殖能力を持っている。宿主の細胞の中に侵入すると、その細胞のたんぱく質を利用して自分の体を作り、子ウイルスを大量に生産する。子ウイルスは宿主の細胞を破壊して飛び出して、また別のウイルスの中に侵入してさらに次世代ウイルスを作り出す。
ところが最近、興味深いウイルスが発見された。ウイルスの中で2番目に巨大なウイルス、ミミウイルスの仲間にママウイルスというウイルスがいる。ママウイルスは水の中に生息するアカントアメーバに寄生している。直径630nmと細菌に匹敵する大きさの巨大なウイルスだ。このウイルスの中に50nmの正二十面体のウイルスが寄生していたのだ。
ママウイルスに侵入した小さなウイルスは宿主であるママウイルスが利用するアカントアメーバの代謝系をさらに横取りしてしまう。その結果ママウイルスに侵襲を与える。つまりウイルスに感染するウイルスなのだ。
これまで細菌に感染し侵襲を与えるウイルスをバクテリオファージと読んでいたところから、ヴィロファージと呼ばれる。ヴィロはウイルスのことであり、ファージは「食べる」という意味。したがってヴィロファージとはウイルスを「食いつくすもの」という意味だ。
これまでウイルスは一方的に侵略するものというイメージがあった。だから極悪な微粒子と言われるとそれなりに納得できた。しかし、ウイルス自体が他のウイルスに侵略され、しかも、ヴィロファージに冒されたウイルスから近くのママウイルスにヴィロファージが感染していくとなると、ウイルスもなんとなく弱さを持った生き物として見えてくる。
ウイルスを生物とみなすか否かについては未だに論争が絶えない。だが、ヴィロウイルスの発見によって、ウイルス生物説が勢いづいたと言える。そろそろ、生物の定義自体を変える時にきているのではないだろうか。
さて話題のエボラウイルスに関して、いくつかの重要な点で誤解されているのでそれを正しておきたい。
まず、空気感染はしない。だから体液に触れなければ感染はしないのだが、一部には同一空間にいただけでうつると思い込んでパニックになっているようだ。だが、感染性が極めて強く、インフルエンザウイルスが1,000個~3000個侵入しないと感染が成立しないのに対して、エボラウイルス3~4個で感染するので患者への直接的な接触は厳禁である。
次に、高温で焼却すれば消滅する。アメリカでは汚染の可能性のある物を、放射性汚染物質と同様に封印して、その所蔵場所に苦慮している州があると聞く。適切な焼却炉で速やかに焼却した方がよい。
幸いなことに、我が国には今のところエボラ感染者は入ってきていない。しかしもっとも懸念されるのは中国への拡散だ。西アフリカは鉱物資源の宝庫。資源を求める中国が積極的に経済援助を行っている地域である。したがって中国人の出入国が多い。
もしエボラ感染が中国本土にまで広がったならば、我が国は隣国の火事とは言っていられなくなる。中国の衛生管理の劣悪さと、日本と中国の現在の民間交流の実態を考えれば、あっという間に日本に入ってくると思われる。
昨今の中国の横暴さを考えると複雑な気持ちにはなるが、中国人民13億人のご健勝を祈るばかりである。