韓国の大型旅客船セウォル号が沈没して、早2週間になろうとしている。乗客447名、乗員29名、計476名のうち救出されたのはたった164名であり、16日の時点でも185の遺体が収容されただけで、117名もの方が未だ行方不明の状態だ。そして、遺体の収容は遅々として進まない中、この沈没が悲劇的な事故ではなく、重大な社会矛盾の上に成り立った事件であることが判明した。多くの人間が刑事責任を問われるだけでなく、今や朴政権の存亡にかかわる事態にまで発展してきている。
まずは乗組員の職責という観念の欠如。これだけ多くの被害者を出していながら乗組員の死亡は、最後まで乗客の避難誘導をしていた22歳の女性船員だけで、残る28名は救出された。本来、最後の乗客を脱出させるまで船にとどまるべき船長が真っ先に救助船に乗ったというから、開いた口が塞がらない。
次に人命より利益という会社の体質。セウォル号は日本の鹿児島、沖縄間を就航していたフェリーを中古で買い取った船であった。買い取り後、より多くの乗客を乗せるために最上階を増築した。このために、船の重心が上部に移動するのを防ぐために、船体最下部に注入するバラスト水を増やし、積載貨物量を減らさなければならなかった。
ところが実際には、基準積載量の3倍もの貨物を載せていた。さらに悪質なのは、そのままだと喫水線が下がって過積載が露見してしまう。それをごまかすためにバラスト水を大幅に抜いてしまっていたという。こうなると船の重心は非常に高い位置にずれてしまい、いつ転覆してもおかしくない状態だったと言える。しかも、重量オーバーの荷物をきちんと固定していなかったらしい。
日本では連日、この事件を報道している。いくらお隣の国の出来事とはいえ、日本人の乗客がいなかった事件に対する報道としては異例のような気がする。私の穿った見方かもしれないが、その根底には韓国叩きのチャンスとの思いがあるように思えてしかたがない。
たしかに、金のためなら何でもする企業体質。乗客を蹴落としてでも自分だけ助かろうとする乗組員のあさましさ。事故発生後の政府の救助体制の未熟さ。また、多数の人命までも己の人気取りの材料にしようとする政権の醜さ等々。竹島問題以来我が国に巻き起こっている嫌韓ブームを煽るのにこれほどうってつけの題材はないだろう。
テレビに登場する識者は口を揃えてこう言う。「日本では考えられない」。だが果たして、今回の事件は本当に韓国特有の社会問題の象徴なのだろうか。
セウォル号の報道が真っ盛りの4月21日、愛知県一宮市の名神高速道路で観光バスが中央分離帯を越えて数百メートルにわたり逆走し、乗用車やトラック計9台にぶつかる事件が起こった。
バスを運転していたのは、バスを所有する観光バス会社の社長であった。このバス会社は資本金300万円で平成10年に設立されたが、無免許運転や酒気帯び運転でこれまでに5回の行政処分を受けた。現在、この会社に所属する常勤のドライバーはこの社長一人だということだ。複数の仕事が入るとドライバーを臨時雇いしてバスを運行させていたらしい。とても会社と呼べるような代物ではない。だが、消費者にはそんな実態は分かるはずがない。
私の周囲には「最近のバス旅行は信じられないほど安いんだ」と得意げに語る人が多い。話を聞くと確かにびっくりする。数千円で昼食やお土産まで付いている。どうしてこんな値段で成り立つのだろうと心配になる。その心配は当たっているのである。つまり、旅行業者は薄利のつけを安全性が危ういことを承知の上で、最終的にバス会社に背負わせるのである。
大型バスを1泊の旅程で運行しても、バス会社に支払われる代金は数万円にしかならないツアーが少なくない。しかもその値段は燃料代、高速代込の値段だ。
採算が取れないので大手バス会社はそんなツアーを引き受けない。そこで登場するのが上記のように名ばかりのバス会社だ。名ばかり会社であっても、こんな値段では儲けが出ない。当然、人件費と点検修理代などの削減で生きていくしかないのだ。一宮のバス事故は起こるべくして起こったと言える。
こういったとんでもないバス会社は、社会的責任を無視せざるを得ない過当競争を強いる、小泉、竹中の規制緩和政策の賜物である。彼らの規制緩和の結果、バス会社は2倍に増えたという。そして増えた会社の実態は言わずもがなである。つまり、幸運にも死者こそ出なかったが、このバス事故の根底にある問題はセウォル号事件と何ら変わりがないのである。
現安倍政権もアベノミクスの重要な柱の一つとして規制緩和をあげている。だが、よく考えてほしい。なんでも競争がよい、競争こそ健全な経済の根源であるという、新自由主義経済の大いなる嘘を。
野放図な競争は拝金主義を生み、畢竟、生命にかかわる安全性を犠牲にするのだ。競争は一定の限度内の中で行われなければならない。こう言って、規制緩和に反対すると、必ず既得権益者の抵抗いう図式で、その主張が抹殺される。そして農協と医師会がその抵抗者の代表格とされる。
だがそうではない。私たち医師は既得権益を守ることの前に、生命にかかわる分野へやみくもな競争原理を持ち込むことに異を唱えているのだ。
原発政策において鮮やかな君子豹変を見せた小泉さん。無責任、無反省な拝金主義がはびこった現在の社会を素直に認めて、経済の分野においても一言「やり過ぎた」と反省の弁をいただきたいものである。