投稿日:2014年3月3日|カテゴリ:コラム

この4月、2年に一度の診療報酬改定がある。国はここ10年以上医療費の総支払額を減らすことを目標としている。今回も一見すると増額されたように見えるが、増加する消費税分を差し引くとマイナス査定だ。さらに、今回の改定では精神科が狙い撃ちにされた。向精神薬の使用量を減らすとともに、精神科カウンセリング料を引き下げようという策謀だ。
近年メンタルクリニックや心療内科と名の付く医療機関が数倍に増えた。私が開業した23年前には豊島区には9軒しかなかったメンタルクリニックが、現在は30件を超えた。
メンタルクリニックは高価な医療機器を必要としないために開業しやすい。だから、精神科を希望する若手医師が年々増えている。私が卒業した当時の精神医学教室は、毎年数名の変わり者しか入局しなかったが、最近は10数名の研修医が押し掛けると聞く。
その上、他科を研修した医師までもが、開業しやすいという理由だけからメンタルクリニックを開設するに至って、粗製濫造状態となっている。さらに、こういった医療機関の中には、ろくな診断もせずに「うつ状態」の診断書を乱発し、製薬会社の営業トークのままに高価で効果のはっきりしない向精神薬を山のように処方するところも少なくない。こうなると、精神科外来医療費が増加し、厚労省が目をつけるのも分からなくはない。
しかし、大多数の精神科医は好き好んで薬を大量に処方しているわけではない。そもそも、院外処方が主流となっている現在、いくらたくさん薬を処方したからと言って収入が増えるわけではない。1剤を処方しても6剤を処方しても医療機関に入る処方箋料は680円に決まっている。それどころか、今でも7剤以上処方すると処方箋料は400円に減額される。我々は医学的見地からもまた経済的観点からも、必要最小限の処方にとどめたいと考えているのだ。
だが、病状によっては7剤を超える薬が必要な場合がある。それだけの薬がないと自殺や乱暴行為の危険性が高く、社会の中でうまく生きていけないケースがあるのだ。もし、多剤処方を一概に悪と決めつけるならば、多くの種類の向精神薬を必要とする難しいケースについては、我々外来精神科医は診療を辞退せざるを得ない。そうなれば、そういうケースはみな入院治療を続けなればならないことになる。言い換えれば、精神症状は安定していても、決められた数の処方にまで減らせるまでは入院させなければならないことになる。
入院期間を短縮して、外来での治療を促すことによって医療費を削減してきたこれまでの精神医療政策に反し、総医療費がかえって増えるに違いない。
それなのに厚労省は我々精神科医が悪意で患者さんを薬漬けにしているという前提で強制的に処方に制限を加えようとしている。具体的には向精神薬処方数に上限を決めて、それを超えた場合には精神科カウンセリングの報酬を減額することを企んだのだ。
臨床の場での患者さんの実態を知らない役人が、医療費削減という観点だけから、机の上で電卓を叩いて勝手に処方数の上限を決めること自体、無茶な話だ。その上、薬の処方でのペナルティを精神科カウンセリング料というお門違いの項目に課そうというもの。理不尽極まりない。
この動きを察知した私たち精神科医が中心になって署名運動を展開し結果、今回の謀略は何とか先延ばしにさせることができそうだ。しかし、役人が一度やると口に出したことは、己のメンツを保つためにも必ずやり遂げる。早晩、本来医師が決定すべき処方は役人の管理下に置かれることになるだろう。
こういった動きと呼応するかのように、2月11日付の読売新聞が1面を割いて、向精神薬の過剰処方を糾弾する記事を載せた。向精神薬の大量服薬による事故を取り上げて、日本の精神科医があたかも利益のために向精神薬を過剰処方しているかのように思わせる、偏向した内容の記事だ。
向精神薬の処方量がアメリカの6倍にもなっていると書いているが。アメリカでは向精神薬が犯罪の手段として頻用されたために、厳しい規制がかけられた。こういう背景を論じことなく、数字だけの「安易な比較」をしている。因みにこの記事のサブタイトルは「安易な処方」だ。
産婦人科医の不足を招くことになった、医者叩きキャンペーンをはじめ、マスコミの偏向した「ためにする」報道は今に始まったことではないが、医療の分野に限らず、最近の行政におもねった報道は目に余る。
都知事選挙における各テレビ局の報道では、政府の意向に反した原発即時廃止を訴えた細川陣営の演説風景に、目玉である小泉元首相の姿をできる限り映らないようにしていた。実際の街頭演説では圧倒的な人気を集めていた小泉さんの姿は恣意的に葬られたのだ。
さらに、反動的な発言を繰り返すNHK会長やNHK経営委員を登用するなど、最近の安倍首相は自分の意のままになる者をマスコミの要職にはいして、露骨な報道操作を推し進めている。
このまま不偏不党であるべき公共放送や、権力の番人であるべきマスコミが行政の走狗に堕するならば、この国に再び「大本営発表」の悪夢が蘇り、国民主権ではなく行政主権の強権国家になっていくだろう。

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